年末の御礼

皆 様

 ウィン綜合法律事務所は、明日より、新年1月4日まで冬季休業を頂きます。

 新年1月5日・6日が土日となるため、新年の業務開始は1月7日からとなります。

 今年1年、地震・台風などの自然災害をはじめ、様々な事がありました。

 それでも当事務所が、弁護士・職員一同、そろって無事に年末を迎えることができたのは、ひとえにクライアントの皆様を始め、多くの方々の御支援があってのことと、深く感謝しております。

 新たな年は、亥年。猪にちなんだ猪突猛進との言葉もありますように、当事務所にとって更なる前進・飛躍の年にしたいと強く思っております。

 新年も、当事務所に対し、変わらぬ御支援、ご指導・ご鞭撻を賜りますよう、お願い申しあげます。

 末筆になりましたが、皆様におかれましては、良き年末、より良き新年をお迎えされますよう、心から祈念しております。

 今年1年間、誠に有り難うございました。

ウィン綜合法律事務所 代表弁護士 坂 野 真 一

判事補採用が一番多いのは予備試験ルート

共同通信社が、新判事補の採用に関して次のような報道をしたとのことだ。

(記事ここから)

最高裁は26日、司法修習を12日に終えた修習生1517人のうち、82人を判事補として採用すると決めた。閣議を経て来年1月16日付で発令される。

 年齢は23~41歳で、平均年齢は26・0歳。女性は21人。女性裁判官は全体で795人、全体に占める割合は約22%となる見込み。

 出身法科大学院は10校。最多の慶応大が16人、次いで東大14人、一橋大9人、京大7人、中央大6人と続く。法科大学院を修了しなくても司法試験の受験資格が得られる予備試験の合格者は22人だった。

(記事ここまで)

 さてさて、法科大学院維持派の御主張は、法科大学院によるプロセスによる教育が法曹には不可欠(だからこそ、司法試験受験のために、法科大学院卒業が要件とされるよう法改正させた)とのことだった。

 以前ブログで指摘したとおり、日本の大手法律事務所は司法試験を受験していない予備試験合格者に対して、青田刈りをやっているし、東京地検もついに予備試験合格者に対する青田刈りをはじめた。

 さらに、最高裁が任命する今年の新判事補においても、予備試験ルートの者がどの法科大学院よりも多いので、最多数を占めることになった。ちなみに新判事補任命のためには、裁判教官が修習中から希望者や見込みのある者をしっかり見極めて選抜することが多く、場当たり的に選抜することはまず無い。検察官の任命もその傾向が強い。

 一流の実務家からみて、予備試験ルートの者が裁判官にも検察官にも、たくさん選抜されるということは、もはや、法科大学院が主張する、「法曹には法科大学院でのプロセスによる教育が必須」という命題がもはや崩壊しているということを意味するだろう。

 もう一度いうが、実務では、法科大学院でのプロセスによる教育が法曹に必須だなんて、法科大学院維持派以外は、おそらくだーれも思っていない。

 万一、法曹に法科大学院のプロセスによる教育が必須だとするなら、大手法律事務所・検察庁・裁判所が、こぞって予備試験ルートの修習生を採用しようとするはずがないからだ。

 実務で必須とは言えない「プロセスによる教育」に、法科大学院維持派の学者は、いつまですがり続けるのか。

 イワシの頭も信心から、とは良くいったものだ。

 念のために説明しておくと、鰯の頭のように取るに足らないものでも、信じる気持ちがあれば尊く見える。という意味だ。

 もし、本当に「法科大学院によるプロセスによる教育が法曹にとって必須」なのであれば、予備試験ルートの法曹にプロセスによる教育が欠けていたことに起因してどのような問題が生じており、法科大学院ルートの法曹がプロセスによる教育を受けた結果どれだけ予備試験ルートに比べて優れているかを、直ちに示せるだろうし、示すべきだろう。

 何の根拠もなく、法科大学院教育を礼賛し続けても、私から見れば、鰯の頭を拝んでいるとしか思えないのだ。

 もちろん、現実認識ができないほど、頭の中にタンポポが咲き乱れている先生方ばかりではないと思うので、本当は法科大学院維持派の先生方もご存じなのだろうとは思う。

 だとすれば、どうすればよいかはすぐ分かると思うのだが、、、。

IWC脱退報道に関して。

 私は、和歌山県太地町出身であることもあり、捕鯨容認派である。

 今回のIWCからの脱退報道に接して、ようやく脱退に踏み切ってくれたかとの感想を持っている。

 私の立場は、以前イルカの追い込み漁に関して記載したブログをもとに、作られた下記の記事を参照して頂きたい。

https://news.biglobe.ne.jp/trend/0614/bdc_150614_1793192415.html

 また、太地町で町民を挑発したり盗撮して作成されたザ・コーヴという映画の虚偽、欧米の傲慢さを暴き立てることに成功した映画「ビハインド・ザ・コーヴ」についてもブログで触れたのでこれも参照されたい。

 http://win-law.jp/blog/sakano/2017/11/post-209.html

この映画を御覧頂ければ、いかに欧米反捕鯨国が身勝手な主張をしているか、理解して頂けるだろう。

 特に、かつて捕鯨国であったアメリカも、ある時期から反捕鯨運動をとるようになるが、その動機はベトナム戦争の環境破壊問題から目をそらせるためだったという事実(もちろんその証拠も映画の中で提示される)もあるし、反捕鯨の立場をとりながらも、ある時期まで宇宙開発に不可欠であったマッコウクジラの鯨油について、アメリカは日本から輸入していた事実もあるそうだ。
 その際に、輸入品の名目としては「高級アルコール」と名前をつけ反捕鯨の立場と矛盾しないような小細工も弄していたという。

 また、捕鯨を批判する方には、まず、「いのちの食べ方」という映画を見て欲しいと強く思っている。

 人が生きていくためにはどうしても、食料として他の生き物の命を奪わなくてはならないこと、そして食料とされる他の生き物の命がどう奪われ、現実にはどう扱われているのか等につき、いかに私達が無知であることが少しは理解できるのではないか。

 自分達は食用にしない動物について、それを食用とするのは野蛮だという発想には、自己の価値観が絶対であるという尊大な考えがその裏に潜んでいる。

 もちろん国際協調は必要だが、価値観の押しつけに屈する必要はないはずだ。

 私の知る限りではあるが、「鯨資源の保存及び捕鯨産業の秩序ある発展を図る」という設立目的から、いつの間にか、かけ離れた行動に終始してきたこれまでのIWCの活動から見れば、むしろ遅すぎるIWCからの脱退だといってもよいのではないだろうか。

ギャップターム問題ってホンマにあるのかな?

法科大学院制度改革の一つとして、近時ギャップターム問題が盛んに取り上げられているようだ。

 いわゆるギャップターム問題とは、法科大学院修了(卒業)の3月末から、5月に行われる司法試験、司法試験合格を経て、11月末頃から開始される司法修習までに、約8ヶ月程度の期間が存在するが、この期間の存在が法曹志願者の時間的経済的負担になっていると指摘するものである。

 そしてこのギャップタームが解消されれば、激減した法曹志願者が回復に転じるという見通しの下、法科大学院在学中に司法試験の受験を認めようとする制度変更が議論されているようだ。

 確かに、法科大学院卒業と同時に司法修習を開始しようとすれば、法科大学院在学中に司法試験を受験させ、合格させておかなくてはならないことになる。

 しかし、そもそも法科大学院は、司法試験という点の選抜は弊害があると主張し、法科大学院でのプロセスによる教育が法曹に必要だと主張していたはずだった。学生が法科大学院で勉強中であり、卒業もできていない段階という、プロセスによる教育課程の途中で、司法試験を受験させることを主張することは、自ら法曹に必要だと主張したはずの、プロセスによる教育が実は不要であったことを自認するに等しい。

 以前から指摘しているように、大手法律事務所は予備試験ルートの司法修習生を優遇する就職説明会を開催しているし、ついには東京地検までが、予備試験に合格しただけで、まだ司法試験を受験していない者に対して、体験型プログラムを実施する等、検察庁も予備試験合格者の囲い込みに動き出した。

 つまり、法科大学院が、「法曹には法科大学院におけるプロセスによる教育が不可欠なのだ」と、いくら主張しても、実務界では、法科大学院におけるプロセスによる教育などには、全く価値を置いていないというべきなのだ。

 実務の役に立たないうえに、税金食いの制度など、マスコミなんかがすぐに批判しそうなモンだが、法科大学院はマスコミを利用して宣伝をしてくれるスポンサーでもあるためか、ちっともまともな批判をしないのは、見ていて悲しくなる。

 そもそも、ギャップターム問題を言うなら、旧司法試験時代だってそれ以上のギャップタームはあった。5月に短答式試験を受験し、7月に論文試験、10月に口述試験を経て最終合格し、司法修習開始は翌年の4月からだった。それなのに、ギャップターム問題それ自体を誰1人問題視することなく、法曹志願者も増加の一途だった。

 それはつまり、当時は、法曹になれば少なくとも食いっぱぐれはないと考えられており、法曹資格はプラチナチケットと言われるだけ法曹という資格に魅力があったのだ。だからこそ、合格率2~3%という狭き門であっても、ギャップタームが大きく存在したとしても、法曹志願者は増加の一途をたどっていたのだ。

 断言しても良いと思うが、いまギャップタームを解消したところで、法曹志願者が急に増加に転じることはないだろう。法曹の職業としての魅力を上げない限り、優れた人材が法曹界を志願しない傾向は変わらないだろう。

 当たり前のことだが、良い人材を得るためには、それに見合った対価が必要だ。ヘッドハンティングをしようとするときに、金か名誉か権力か、とにかく魅力のある提案をしないと良い人材は得られまい。努力や能力に見合ったリターンが得られない道を選択する人間は極めて少ない。

理由は簡単だ。

職業は生活を支える手段でもあるからだ。

 だとすれば、法曹志願者を増やすことは簡単だ。

 現在志願者が激増している医師と同様、その資格の魅力を上げればよいのだ。

 なぜこのような簡単なことがわからないのか。

 いや、分からないふりをして、議論していないのだろう。法曹資格の価値を上げようとするなら、(今さら遅いかもしれないが)司法試験合格者を減少させて資格の価値を上げることが最も効果的だが、それでは法科大学院を卒業しても司法試験に合格できない生徒が激増することにつながり、法科大学院制度の自殺にもつながるからだ。

 法科大学院を維持しようとすることが、いまや、法曹養成制度の桎梏となっていることを直視する必要があるだろう。

  それに、こんなに制度をいじくり回したら、受験生は予測可能性を失い、さらに志願者が減少するだろう。

 もういい加減、(法科大学院維持派の)学者の先生方による、現実無視の議論は止めてもらいたいものだ。

もうやめて、法科大学院延命策

 最近、法科大学院在学中に司法試験を受験することを認める案が、議論されている。それとともに、予備試験ルートを狭めるべきという主張も併せてなされているようだ。

 私は、上記の議論には、もちろん(というより法科大学院制度を維持すること自体に)反対だ。

 そもそも、旧司法試験制度に異議を唱え、法曹としての必須の素養を身に付けさせるために時間をかけて双方向授業を行うなどプロセスによる教育が必要だと主張したのは、法科大学院推進派だった。

 その法科大学院の方から、プロセスによる教育も終わっていない段階での司法試験受験を認めることを提唱するなど、自己矛盾も良いところだ。

 さらに、法科大学院在学中に司法試験に合格しても、法科大学院を卒業しないと司法修習生に採用させない方法も考慮していると聞く。
 司法試験に合格すれば、その時点で、国から法曹として必要な最低限度の知識や応用能力が認められることにはなるはずだから(近時の採点雑感によるとそれすら危ういといわんばかりの批判も多いが)、何も法科大学院を卒業させる必要など無い。

 結局のところ、在学中受験を認める策は、法科大学院延命のための弥縫策にすぎないのだと考えるしかないだろう。

 しかし翻って考えるに、法科大学院がいうように、法科大学院におけるプロセスによる教育が法曹にとって本当に必要なのだろうか。

 私達、旧司法試験世代が体験した司法研修所での教育は、一流の実務家教官の献身的な努力によって実施される、密度が濃く、双方向性の高い、まさにプロセスによる教育の理想型に近いものだった。

 私は、少なくとも私の時代の司法研修所の教育を上回るだけの、プロセスによる教育を、法科大学院ができるはずがないと断言しても良いと思っている。
 理由は簡単だ。
 プロセスによる教育が効果を生むためには、教育を受ける側と教育を施す側のレベルがいずれも高く粒ぞろいでなくてはならないが法科大学院にそれは望めないし、司法試験がある以上法科大学院生は受験対策をせざるを得ないから、悠長なプロセスによる教育など受けていられる状況にはないからである。
 そうかといって、人間は怠け者だから、突破すべき試験がないと勉強しない人がほとんどだ。また、権利侵害を受けた場合の最後の拠り所がヘボ法曹ばかりだったとすればそれこそ、優秀な法曹を生み出すはずの司法改革が司法改悪になってしまうから、(現実には、採点雑感等から合格レベルは相当下がっていると思われるが)これ以上司法試験のレベルを下げて合格させ易くしろとは言えないだろう。
 だから、法科大学院で、かつての司法研修所のような、きちんとしたプロセスによる教育を行うことは、ほぼ不可能だと私は考える。
 

 旧司法試験制度では、司法試験を突破する実力をつけた者に対して、国がまさに手塩にかけて、プロセスによる教育を行い実務家の卵を育ててくれたのだ。

 それと比較して、法科大学院は、志願者減もあって優秀な学生を集めることに苦慮しているばかりではなく、司法試験に合格したことも実務を体験したこともない学者が多数、教員として学生を教えている。

 以前にも例えたことがあるが、
 旧司法試験制度は自ら生育の可能性を示した稲を司法試験で選抜し、司法修習で手塩にかけて育て上げる方法、
 法科大学院制度は田んぼ一面にモミを撒き、芽を出すかどうか分からないモミも含めて、最初から手間と金をかけて教育を行おうとする方法、である。しかもその農家は、農業の一部分の(例えば遺伝子とか、肥料とか)研究ばかりをしており、畑に出たこともない研究者が、相当数を占めていることになるのだ。しかもその農家の耕作方法は、発足から10年以上、ずっと改善すべきと指摘され続けているのだ。

 優秀な法曹を生み出すという効率を重視すれば、もちろん前者の方が優れているだろう。
 しかし、農家(法科大学院側)とすれば、国から補助金が出るのであれば、モミが育つかどうかは関係がなく、多くのモミをいじる方が(きちんと育て上げられるかどうかは別として)儲かることになる。

 その補助金の出所が、国民の血税であるところが泣けるところだ。

 そもそも、法科大学院が行うプロセスによる教育が法曹に必須であるのなら、法科大学院制度以前の法曹は全て欠陥があることになる。
 また、予備試験ルートの司法試験合格者も同じはずだ。

 ところが現実はどうだろう。法科大学院でも法科大学院を卒業していない優秀な実務家が教鞭をとっていることも多いだろうし、新人法曹に関しては、裁判所、検察庁でも予備試験ルートの司法試験合格者は何ら排除されていない。そればかりか、大手法律事務所は、こぞって予備試験ルートの司法試験合格者を募集し続けている。

 つまり、法科大学院がいくら法科大学院によるプロセスによる教育が、法曹に必須だと主張しても、現実世界ではそんなお題目、一顧だにされていないのだ。

 それでも、法科大学院でのプロセスによる教育が法曹にとって必須であると主張するのであれば、少なくとも、予備試験ルートの法曹にどれだけの問題が生じているのか、また、法科大学院ルートの法曹が予備試験ルートの法曹と比較してどれだけ優れているのか、を示すことが先だろう。

 その実証もしないで、法科大学院のプロセスによる教育が優れていると言い張るのであれば、それは、イワシの頭を神様だと断言して崇めることとそう変わりがなかろう。それを法科大学院推進派の、学者としては一流と思われる方々が、こぞって主張しているところが、悲しすぎる。

 さらにいえば、司法試験受験制限(5年5回、かつては5年3回)の理由として、法科大学院教育の効果は5年で消滅するからと説明されていたはずだ。
 しかも、法科大学院教育に関しては、発足からこれまで10年以上ずっと、教育の改善必要性が指摘され続けているではないか。

 もういい加減、小手先の延命策はやめるべきではないのか。

 過ちを認めることができずにひたすら繕うことに尽力するより、過ちを認めてやり直す方が傷は浅くて済むことが多い。

 そろそろ、(何が何でも法科大学院維持という)結論ありきではなく、現実を見据えた議論を期待したいところだ。

谷間世代への20万円給付案~大阪弁護士会は賛成意見

 先日の大阪弁護士会常議員会で、日弁連の提案する、いわゆる谷間世代(貸与制世代)への20万円支給案に賛成する意見が、可決されてしまった。

 大阪弁護士会執行部の賛成意見の理由は、概ね次の通り。
 ① いわゆる谷間世代は日弁連会員の約4分の1を占めており、この世代が経済的理由により、その活動に支障をきたすようなことがあっては、我が国司法の人的インフラが抱える大きな問題ともなり得る。
 ② 約20億円の予算であれば、日弁連での将来必要な支出や活動を大きく制限しその執行に支障が生じるとは言えない。
 ③ 谷間世代が有している負担感等を全会員として受け止め一体感と統一性を醸成することで日弁連のメッセージとして意味がある。

 前回私が、質問したことを気にしたのか、「日弁連理事会では谷間世代に関する立法事実に関する客観的資料は提出されていなかったことに違いないが、検討委員会では提出されていた」と釈明して、昨年9月に実施されたアンケート結果が配布された。

 それによると、65期修習の有効回答者の中で、貸与金返済のめどが立っていないとの回答者は46%にものぼったそうだ。

 そのような説明が副会長からなされたので、私は聞いてみた。

 「日弁連では、貸与金を返還できない状況にある者に貸付金制度を作ったはずだが、65期で、実際の制度利用者は何名なのか。もし利用者が少ないのであれば、返済のめどが立たない者が多いというアンケート結果は事実と異なる可能性があるのではないか。」

 執行部からは、正確な数字は分からないが10件以内であるとの回答があった。付け加えて聞いてもいないことだったが、最高裁に猶予を認められた者が32名いるとの回答があった。また副会長からは補足で、実際に困っているという問題という視点だけではなく、給費制との不公平という視点もかなりあるとの説明があった。

 仮に最高裁の猶予者と日弁連の貸付を受けた者が重複していないとしても約40名。65期の弁護士数は1838名。約2%である。

 谷間世代の多くが実際に困っているから助ける趣旨だ、というのであれば、日弁連貸付金制度利用者の数が少なすぎて、そのような立法事実は認められないというべきだろう。

 それに、仮に経済的理由で谷間世代の弁護士活動に支障をきたすくらいの問題が生じているのであれば、20万円一回の支給で、弁護士活動に支障をきたすくらい深刻な経済的問題が解決するとも到底思えない。また、実際に困っているかどうかの資力調査もせずに、申請者一律に20万円をばらまく制度なのだから、困っているから助けるという趣旨と制度の構造自体も矛盾する。

 さらにいえば、弁護士数の増加に伴った仕事が増加しているのであれば、このような問題はそもそも生じていない。今後も弁護士数の激増に歯止めがかからないのであれば、この弁護士の経済的問題は深刻化しこそすれ、解決するはずがないのである。

 もちろん副会長の「不公平」という補足説明は、上記の点に配慮した説明だったのだろうと思う。しかし、不公平という点を重視するなら、不公平に扱ったのは誰なんだ。それは国ではないのか。
 また、きちんと長年日弁連会費を支払いながら支給を受けない会員と支給を受ける谷間世代会員との扱いの違いは、不公平ではないのか。

 不公平を理由にすることは、理屈に合わないだけではなく、将来に禍根を残しかねない危険な言い訳でもあるのだ。

 つまり、現在の修習生は、確かに給付金を受領しているが、それでも給費と違い額は低く抑えられている。したがって、貸与制も併存しているのだ。

 だとすれば、給付金+貸与制度世代からも、「俺たちは、給費制に比べて僅かな給付金しかもらえていない。貸与制度も利用した。給費世代と比べて不公平ではないのか。谷間世代が20万円もらえたのなら、同額と言わないまでも、半額はもらえても良いのではないか。」との主張が十分考えられる。

 給付金+貸与制度世代は、制度が変わらない限り、今後新しく弁護士になる全ての修習生が該当するのだ。いつまで対策を続けたって終わりゃしないのである。

 もし給付金+貸与制度世代から上記のような主張がなされた場合、執行部はどうやって抗弁するのか。少ないながらも給付金をもらっているから不公平ではないと言い切るつもりなのか。もしそうなら、恣意的に公平、不公平を使い分けるご都合主義者と言われても文句は言えまい。

 このような問題点について、日弁連執行部は、な~んにも考えていないとしか思えない。

 上記の問題が現実化した時点で、現日弁連執行部の弁護士たちは既に弁護士稼業を引退しているのかもしれないが、問題の火種を作り上げて放置したまま、後の世代に丸投げするのは、止めてもらいたい。

 その他、他の常議員の先生から、日弁連の財務シミュレーションでは会費収入が減少しないことになっているが、本当に南海トラフ地震などが起きたとしたら、会費収入は減額するのではないか、その想定を全く加味していないのはシミュレーションとしておかしくないか、との指摘もあった。

 担当副会長は、正面から答えることができなかったのだろう、質問に対してきちんと答えずに、東北の震災の時はそんなに会費収入は減少していないと答弁するにとどまった。

 東北の震災に比べて、南海トラフ地震や、首都直下型地震では、被災する弁護士数も桁違いになるはずだ。きちんと返答できないのは、シミュレーションが、結論ありきで作成されているからだろうし、かといって、立場上そのシミュレーションを否定することもできないからだろう。もちろん、そのようなシミュレーションを作ったのは日弁連であり、大阪弁護士会の副会長に責任はないのだが、そのような適当なシミュレーションを作っておいて、それを根拠に会員を煙に巻こうなんざ、全国の弁護士も、ずいぶんとなめられたモンである。

 そのようないい加減な根拠の施策だが、大阪弁護士化の常議員会では、反対4保留4、賛成33で可決されてしまった。

 おそらく賛成された常議員の方は、理屈やシミュレーションがおかしくても谷間世代に支給すべきというお考えなのだろうし、まさか、他人の金なら支給すべきだが自分の金なら嫌だともいわないだろうから、万一困った谷間世代がいらっしゃったら、現日弁連執行部・大阪弁護士会執行部、及び大阪弁護士会常議員の先生で本議案に賛成された先生を見つけて支援を求めた方が良さそうだ。

 まさかお断りになることはないと思うから。

谷間世代給付金案~常議員会で討議の報告

 先日ブログにも掲載したが、日弁連が司法修習中に給費を得られなかった世代に対して、会費減額をする案を撤回したと思ったら、こんどは20万円を給付する案をだし、各単位会に意見照会をかけている。

 20万円の給付を谷間世代に行うと、日弁連にとって(つまり全世代の弁護士にとって)約20億円の支出となる。

 どうしてそんなに、日弁連執行部が谷間世代を優遇したがるのか、私には謎だ。ちなみに同じ時期に給費を得られずに修習を行い、裁判官・検察官になった人たちには特にそのような救済策はなされていないし、救済策を講じる予定もなさそうだ。

 常議員会で、討議事項に上がったので、私は2点質問してみた。

①谷間世代の裁判官・検察官に国が救済策を講じるかどうか、そのような動きがあるかについて調査しているのか(これは従前、谷間世代救済の件について、執行部が常議員会で、裁判所検察庁の動向も見ながらと発言していた記憶があるために質問した)。

②このような施策を実行する立法事実・根拠事実をどうやって把握しているのか。客観的な谷間世代の困窮を示す調査資料があれば出して欲しい。

 担当副会長の回答は、①について、調査していない。②については、客観的な調査は行っていないので資料はない。日弁連執行部が、各地でそのような声があると聞いているためではないか。というものだった。

 およそ、法律家には釈迦に説法ということになるが、『「立法事実」とは、立法的判断の基礎となっている事実であり、「法律を制定する場合の基礎を形成し、かつその合理性を支える一般的事実、すなわち社会的、経済的、政治的もしくは科学的事実」(芦部信喜、判例時報932号12頁)』を意味する。

 日弁連が、一般会計の剰余金のうち、ほぼ半額に匹敵する20億円もの支出を行う施策を行う場合、その支出の合理性を支える事実について、当然きちんと把握して然るべきだろう。
 その根拠が、「執行部がそのような声を聞いたから」、というのではあまりにもお粗末にすぎる。

 お話を簡単にするために、全員が同じ額を納税し、同じ公共サービスを受けている人口4万人のB国(日弁連)があったと仮定しよう。T世代(谷間世代)は、いまは多くがB国の国民だが、B国の国民になる前に、S国(司法修習)で、無給という酷な扱いを受けていたことあったと例えることが出来そうだ。なお、T世代のなかにはJ国(裁判官)、P国(検察官)の国民となった者もいるが、J国、P国ではT世代に対して何らの施策も採っていない。

 このような状況下で、
 「B国国民になる前に、S国から不当な扱いをうけたT世代の人が、S国から受けた不当な扱いが原因で困っていると聞いたんで、事実は全く調査していませんが、そのT世代の国民全てに対して申し出てくれれば、国庫一般会計に貯めていた万一の時のためのお金の半分を出してばらまきます。よろしくね。」、なんてことをB国首相が言ったらT世代以外の納税者は納得できないどころか、激怒するはずだ。

 そもそも、T世代に対して不当な扱いをしたのはS国なんだし、その不当な扱いはB国国民になる前に行われた話なのだから、S国に責任を問うのが筋だろう。

 確かにB国が好景気に沸いていて、右肩上がりの成長が今後も十分見込める余裕十分の国民ばかりであったのであれば、あるいは、このような施策もあり得るのかもしれない。

 しかし、B国国民の所得は各世代において減少しつつある。国税庁統計(日本)から算出されたデータによれば、所得の中央値を見ると、2006年の1200万円から、2014年には600万円と、わずか8年でキレイに半額になっているとの指摘もある。それでもB国の税金(日弁連会費)はほとんど減額されていないどころか、滞納を続けるとB国を追放される処分を受ける苛酷なものとしてB国国民に課されている。

 仮にB国の国民になったのだからということで、(J国・P国との均衡を無視して)相互に助け合うべきだと強調するにしても、全体としてB国が傾いている状況でT世代以外の国民も納付した税金を使うのだから、きちんとした根拠とその支出の合理性を全国民に説明する必要があるはずだ。

 日弁連執行部の人気取りかどうか知らないが、雰囲気で20億円もの支出をされてはたまったものではない。

 そんなに助けてあげたいなら、何度も言っているように、助けてあげる余裕があって、助けてあげたい人たちで基金を作ればいいじゃない。少なくとも日弁連執行部に所属する人たちは、しつこく谷間世代救済を主張するんだから、喜んで私財を投げ出してくれるはずだ。

 良いカッコしたいけど、かかる費用は他人の金で、とは虫がよすぎないか。

日弁連は、もう、法科大学院とつるむな

 日弁連が今年12月1日に、司法試験に関するシンポジウムを開くそうだ。
 その宣伝文句は以下のとおり。(下線は筆者が加筆したものです。)

「日本弁護士連合会では、新司法試験の開始以来、毎年、司法試験の出題内容から運営方法まで、その時々の重要課題を取り上げて「司法試験シンポジウム」を実施しています。
昨年度のシンポジウムでは司法試験合格後2~3年程度のモニターに司法試験論文問題を解いてもらい、司法試験の出題について法科大学院での学修の成果を確認するという以上の負担を課している面がないか、問題意識をもって分析と討議を行いました。本年度はその延長線上に立って、以下について取り上げます。
法科大学院では、特に法律基本科目については期末試験を課して学修の成果を図り、成績評価を行うことになっています。学修進度により出題形式や分量、内容は異なると思われますが、本年度は、法律基本科目の学修が基礎力・応用力を含めてひと通り終了する時期である2年次の時点での学修成果を図る目的の期末試験においてはどのような出題形式、分量、内容となっているのかを分析するとともに、本年度司法試験の出題形式、分量、内容についてもあわせて分析します。
その上で、2年次の成績評価とその後の司法試験の合否との間の相関も分析することを通じて、法科大学院での学修の成果を図るという本来の趣旨に近い司法試験にするには、法律基本科目の学修が終了した時点での法科大学院の学修成果に何を、あるいはどのような内容を加味することが必要なのか、あるいは必要ないのか等、より踏み込んだ検討を行うことも含めて、標記シンポジウムを開催いたします。
奮ってご参加ください。」

 この宣伝文句を見れば、「司法試験(新司法試験)は、法科大学院の学習の成果を確認する試験である(べきだ)」というスタンスで、日弁連はシンポジウムを開催することはすぐに分かる。

 しかし、司法試験法は1条1項で次のように記載してある。
「司法試験は、裁判官、検察官又は弁護士となろうとする者に必要な学識及びその応用能力を有するかどうかを判定することを目的とする国家試験とする」
 つまり、法科大学院の学習の成果を確認する試験ではないのだ。
 確かに、同法4項には、司法試験は法科大学院の教育との有機的連携の下におこなうものとされているが、そうであっても、法曹になろうとする者に必要な学識と応用能力があるかを判定する試験であることに変わりはない。決して法科大学院の学習の成果を単に確認するだけで足りる試験ではないのである。

 司法試験合格率を一向に向上させることが出来ないばかりか、近時に至っては志願者を実質数千人にまで減少させてしまった法科大学院が、そもそも司法制度改革審議会の青写真では、「新司法試験は、法科大学院の教育内容を踏まえたものとし、」「新司法試験と法科大学院での教育内容との関連を確保するため、」とあるではないかという点だけを指摘して、(よりよい法曹育成のためではなく)自らの存続のために、司法試験合格者を増やすように主張し続けているように見える。

 この法科大学院の主張を端的に言えば、法科大学院の教育成果を確認するというレベルまで、司法試験の合格レベルをひき下げろ(合格者を増やせ)、という主張である。合格者が出せなければ法科大学院志願者はさらに減少し、経営が行き詰まるからだろう。既に半数以上の法科大学院が閉鎖されている現状から見ても、法科大学院経営維持のためのなりふり構わぬ主張と見るのが素直だ。

本題から少し外れますが、成仏理論のパロディで。

(新成仏理論)
問題の捉え方がそもそも間違っている。食べていけるかどうかをLSが考えるというのが間違っているのである。何のためにLSを設立したのか。私の知らない大学教授が言ったことがある。世の中の人々のお役に立つ仕事をしている限り、世の中の人々の方が自分達を飢えさせることをしない、と。人々のお役に立つ仕事をしていれば、LSも飢え死にすることはないであろう。飢え死にさえしなければ、LS、まずはそれでよいのではないか。その上に、人々から感謝されることがあるのであれば、LS、喜んで成仏できるというものであろう。

人々のお役に立っていれば、世の中の人々が法科大学院を飢えさせることをしないんじゃないのだろうか・・・?

 閑話休題。本題に戻ります。

 そもそも、司法制度改革審議会の意見書自体が、法曹需要の飛躍的増大という絵空事が生じるという予測をもとにした、スタート地点からズッコケた視点で出来上がっていた意見書であって、未だにそれを墨守することは現実を見る能力がない、と言わざるを得ない。

 仮にそれを措いたとして、司法制度改革審議会意見書を見るならば、確かに新司法試験について「法科大学院の教育内容を踏まえたものとし、」との記載がなされてはいる。
 しかし、同意見書はその前提として「法科大学院において充実した教育が行われ、かつ厳格な成績評価や修了認定が行われることを前提として、」という記載を置いているのだ。

 だとすれば法科大学院が、司法制度改革審議会意見書を振り回して司法試験を自分達の教育内容を踏まえたものとするよう求めるのであれば、その前提として、まず、自分達が充実した教育を行い、かつ厳格な成績評価や修了認定を行っていることを示すべきだろう。

 この点、司法試験法5条では、「予備試験は法科大学院卒業者と同等の学識及び応用能力並びに法律の実務に関する基礎的素養を有するかどうかを判定する試験」とされているから、予備試験合格者と法科大学院卒業者は全体として同等の能力を有しているはずであって、司法試験においてもほぼ同程度の合格率でないとおかしい。
 ところが実際には、予備試験組の司法試験合格率77.6%に比べ、法科大学院組の司法試験合格率は24.7%と著しく悪い。これは、予備試験合格者を決定する予備試験考査委員が、法科大学院ではこの程度のことは身に付けているはずだと想定しているレベルよりも、遥かに低いレベルの能力しか法科大学院では身に付けることができていない、という事実を意味していることになろう。

 また、このような司法試験合格率しか取れないということは、(一部優秀な法科大学院の存在は否定しないが)法科大学院は全体として、充実した教育が行われ、かつ厳格な成績評価や修了認定が行われている、とは到底いえないだろう。
 そればかりではない。近時の採点実感では、「条文の引用が不正確又は誤っている答案が多く見られた。」「基本さえできていない答案が少なからず見られた。」「法律的な文章という以前に,日本語の論述能力が劣っている答案も相当数見られた。」などと、レベル低下を憂う採点委員の感想が目白押しだ。

 このような状況にありながら、法科大学院側は、簡単に言えば、自分達が卒業させた生徒達はきちんと法曹としての素養が身についているはずだから、基本的には合格させろ、と要求していることになる。

 私に言わせれば、自らの教育能力のなさを棚に上げた、恥知らずな、極めてド厚かましい要求としかいいようがない。
 さらに言わせてもらえば、司法制度改革審議会意見書には、法科大学院について
•多様性の拡大を図るため、法学部以外の学部の出身者や社会人等を一定割合以上入学させるべきである。
•地域を考慮した全国的な適正配置に配慮すべきである。
•夜間大学院や通信制大学院を整備すべきである。
とあるが、いまや、全然守られていないんじゃないのか。

 それどころか、理念としていたはずのプロセスによる教育もかなぐり捨てて、法科大学院在学中に司法試験を受験できるよう求める等、もはや、国民の皆様のためによりよき法曹を生み出そうとすることよりも、自分達の延命だけを狙ったとしか思えない主張もされている。

 法科大学院には多くの税金が投入されている。それは国民の皆様にとって有益な、よい法曹を生み出すという約束があったからではないのか。制度を自分達に有利に変更させ、国民の血税を自分達の延命のために利用しようとするのなら、法科大学院は無用の長物どころか、その存在はもはや有害ですらある。

 どうしてそのような、ド厚かましい法科大学院側に日弁連が尻尾を振って協力する必要があるのか。

 失敗には誰にでもあるが、失敗を失敗と認められずに現状を維持し続けることはさらに傷を大きくすることであって、賢い選択ではない。

 いくら導入に賛同してしまったからとはいえ、日弁連も、早く目を覚まして欲しいと思ったりするのである。

平成29年度司法試験採点実感から~公法系第2問

☆例年繰り返し指摘し,また強く改善を求め続けているところであるが,相変わらず判読困難な答案が多数あった。極端に小さい字,極端な癖字,雑に書き殴った字で書かれた答案が少なくなく,中には「適法」か「違法」か判読できないもの,「…である」か「…でない」か判読できないものすらあった。

☆脱字,平仮名を多用しすぎる答案も散見され,誤字(例えば,検当する,概当性,多事考慮,通交する等)も少なくなかった。

☆問題文では,Xらの相談を受けた弁護士の立場に立って論じることが求められているにもかかわらず,各論点の検討において,問題文に記されているY側の主張を単に書き写してXに不利な結論を導いたり,ほとんど説得力がないYやAの立場に立つ議論を案出したり,Xの側に有利となるべき事情を全く無視して議論したりする答案が相当数見られた。原告代理人としては,もちろん訴訟の客観的な見通しを示すことは重要であるが,まずは依頼人の事情と主張に真摯に耳を傾けることこそが,実務家としての出発点であろう。

☆例年指摘しているが,条文の引用が不正確又は誤っている答案が多く見られた。行政事件訴訟法や道路法の条文を引用していない答案も見られた。

☆冗長で文意が分かりにくいものなど,法律論の組立てという以前に,一般的な文章構成能力自体に疑問を抱かざるを得ない答案が少なからず見られた。

☆どの論点を論じているのか段落の最後まで読まないと分からない答案や,どの小問についての解答かが明示されていない答案が見られた。

☆結論を提示するだけで,理由付けがほとんどない答案,問題文中の事実関係や関係法令の規定を引き写したにとどまり,法的な考察がされていない答案が少なからず見られた。

☆法律解釈による規範の定立と問題文等からの丁寧な事実の拾い出しによる当てはめを行うという基本ができていない答案が少なからず見られた。

☆問題文等から離れて一般論について相当の分量の論述をしている答案(設問1⑴において処分性の判断基準を長々と論述するものなど)が少なからず見られた。問題文等と有機的に関連した記載でなければ無益な記載であり,問題文等に即した応用能力がないことを露呈することになるので,注意しておきたい。

☆一般的な規範については一応記載されているが(例えば,原告適格や処分性の判断基準),それに対する当てはめがなされていない答案や,あるいは,提示した一般的な規範とは全く別個の根拠で結論を出している答案が見受けられた。これでは一般的な規範が何のために記載されているのか不明であるし,その内容を正確に理解していないのではないかという疑念を生じさせるものである。

☆問題文の指示を十分に把握せずに答案作成をしているのではないかと思われる答案も少なからず見られた。例えば,設問2⑴において,路線の廃止に係る処分性を検討するに当たり,その前提として道路の区域の決定及び供用の開始の法的効果を論ずべきことが会議録に明記されているにもかかわらず,その検討を行っていない答案が少なからず見受けられた。

☆小問が4問あったことも一因と思われるが,時間が足りず,最後まで書ききれていない答案が相当数あり,時間配分にも気を配る必要がある。

☆行政手続法上の不利益処分の概念を正しく理解できていないため,ウェブサイトの記載を処分基準と誤解する答案が目立ったことなどに鑑みると,法科大学院においては,行政法学(行政法総論)の基礎的な概念・知識がおろそかにならないような教育を期待したい。

☆法科大学院には,単に条文上の要件・効果といった要素の抽出,法的概念の定義や最高裁判例の判断基準の記憶だけに終始することなく,様々な視点からこれらの要素を分析し,類型化するなどの訓練を通じて,試験などによって与えられた命題に対し,適切な見解を導き出すことができる能力を習得させるという教育にも,より一層力を注いでもらいたい。本年も,論点単位で覚えてきた論証を吐き出すだけで具体的な事案に即した論述が十分でない答案,条文等を羅列するのみで論理的思考過程を示すことなく結論を導く答案のほか,提示した一般的な規範とは全く別個の根拠で結論を出している答案すら散見されたところであり,これでは一般的な規範が何のために記載されているのか,そもそもその内容を正確に理解しているのかについて疑念を抱かざるを得ない。法律実務家を志す以上,論述のスタートは飽くまで条文であり,そこから法律解釈をして規範を定立し,具体的事実を当てはめるというプロセスが基本であるが,そのような基本さえできていない答案が少なからず見られた。上記のような論理的な思考過程の訓練の積み重ねを,法律実務家となるための能力養成として法科大学院に期待したい。

☆各小問に即して,上記のような観点からの能力の不十分さを感じさせる答案として特に目に付いたものとしては,原告適格,重大な損害,裁量権の逸脱濫用の判断に当たり,単に問題文に記載された事実を書き写すだけで,これを,問題文に指定された立場から法的に評価していない答案(設問1⑴,1⑵,2⑵),裁量が肯定される実質的な理由を検討することなく,単に法律の文言のみによって判断する答案(設問1⑵,2⑵),法的論拠を全く示すことなく,突如として本件内部基準の法的性質やその合理性の有無についての結論を述べる答案(設問2⑵)等が挙げられる。

☆法律実務家は,裁判官,検察官,弁護士のいずれにせよ,自己の見解とは異なる立場に立っても柔軟にその立場に即した法的検討,論述を展開し得る能力を身に付けることが期待されているものである。問題文に,Xらの依頼を受けた弁護士の立場で解答することを求める指示があるにもかかわらず,Xらの主張は認められないとの結論を導く答案や,Y側の主張を十分に理解した上でこれに法的評価を加えようという姿勢が見られない答案,ほとんど説得力を感じさせない主張の展開を試みる答案などが少なからず見られたのは,法科大学院教育又は学生の学習態度が,前記のような条文解釈に関する学説・判例の暗記に終始してしまっているところに一因があるのではないかとの懸念を生じさせるものである。

☆法律的な文章という以前に,日本語の論述能力が劣っている答案も相当数見られた。法律実務家である裁判官,検察官,弁護士のいずれも文章を書くことを基本とする仕事である。受験対策のための授業になってはならないとはいえ,法科大学院においても,論述能力を十分に指導する必要があると思われる。

☆法科大学院教育において,一般的な判断基準や主要な最高裁の判例を学習し覚えることが重要であることはいうまでもないが,更に進んで,これらの基準を具体的な事案に当てはめるとどのようになるかを学ぶ機会をより一層増やすことが求められているのではないか。

※(坂野注)

「少なからず」という言葉(副詞)は、「数量・程度などが軽少でないさま。 たくさん。かなり。」という意味です。たくさんなのだが、たくさんというのは憚られるときなどに用いられる言葉です。

 一部の優秀な法科大学院の存在は否定しませんが、法科大学院の教育能力が全体的に見ればロクでもないことは、採点実感から見ても明らかでしょう。「条文の引用が不正確又は誤っている答案が多く見られた。」「基本さえできていない答案が少なからず見られた。」「法律的な文章という以前に,日本語の論述能力が劣っている答案も相当数見られた。」という評価を受けた受験生達のなかから1/4が合格できてしまうのが、今の司法試験ということです。

 各地の弁護士会が、司法試験合格水準を適正に維持するよう声明を出していることも危機を物語る一徴表といえましょう。

谷間世代給付金案~続報

 司法修習の際に給費や給付金を受けられなかった、いわゆる谷間世代に対する日弁連の会費減額案は撤回されたが、先日お伝えしたとおり、新たな施策として谷間世代会員に20万円を支給する案が浮上している。

 今般、日弁連から、各弁護士会に10月15日付けで意見照会がなされ、その大枠が判明した。

支給対象
・新65期~70期(修習中に給費ないし給付の支給がなかった会員)のうち、給付を希望する会員
・給付時点(各年の7月1日時点)で、弁護士としての登録期間が通算して5年を経過していること
・弁護士会、日弁連の会費を滞納しているものを除く

給付額 20万円

※日弁連は、支給制度にすることにより、会費を事務所や会社が負担している会員にもメリットが出ること(そのような会員は、おそらく大都市に多いので東弁の会費減額反対に配慮した可能性が大)、既に育児免除により会費を免除されている会員にもメリットが出ることを示している。

 私が、何人かの谷間世代の方にお話を聞いたことがあるが、「確かに不公平感はあるがそれは国の制度が引き起こしたものであって、責任があるわけではない弁護士会や日弁連に対して積極的に救済を求めることは考えていない。しかし、弁護士会や日弁連が救済策としてなんとかしてくれるというのであれば、拒否はしない。」という御意見が多かったように思う。

 つまり、筋違いの救済を積極的に弁護士会に求めるわけではないが、頂けるのであれば有り難く頂戴します、というスタンスの方が多いのではないか。

 また、私と修習期が近い裁判官とお話ししたときに、弁護士会内で谷間世代救済の話が出ていて・・・と述べると、「谷間世代って何?」と真顔で返された経験がある。少なくとも裁判所において、谷間世代の不公平感については問題にすらされていない可能性がある(おそらく検察庁もその可能性は高い)。

 私は、本来責任を負うべき立場ではない弁護士会や日弁連が対策を取るのは、結局谷間世代以外の犠牲で谷間世代を優遇することになるし、国に対する施策を求める上でも障害になる(もう、弁護士会や日弁連が対策したじゃないか、もともと弁護士会費、日弁連会費が高いのが悪いのであって、裁判官・検察官においても同様の施策は採っていない等の反論の論拠を与える可能性がある)から、反対だ。

 それはさておき、仮にこの施策が実施された場合、財源は日弁連の一般会計収支差額約44億円をやりくりして出すことになるようだが、その規模は約20億円となるそうだ。
 有事に備えての留保なら分かるが、そんなに余っているなら全会員の会費減額するのが筋だと思う。しかし、日弁連は執行部の人気取りに偏っているのか、全会員にお返しするという発想がないようだ。

 支給額20万円を提案する日弁連執行部の理由がまたなかなかのものだ。

 私も知らなかったが、死亡弔慰金・災厄見舞金・傷病見舞金制度が日弁連にあるようで、死亡弔慰金は45万円、厄災見舞金、傷病見舞金はそれぞれ10万円の支給がなされるそうだ。

 そこで、将来予想される、南海トラフ地震、首都直下型地震で、弁護士の死傷者数や災厄で被害を受けた会員への見舞金を試算すると、南海トラフ地震で約15億9000万円、首都直下型地震で約5億2000万円必要なので、約20億円は残しておきたいという発想のようだ。

 会員への見舞金以外に、現実に必要になると思われる地震保険でカバーされない会館の修復費用、罹災地域弁護士会への支援金などは、まるで計算外なのだ。

 結局、支給ありきで、シミュレーションしているんだろうなという感を払拭できない。

 この日弁連の意見照会については、11月14日までの期限が付され、かなりタイトな日程で意見を求められている。

 筋違いの救済を振りかざして迷走するより、国に対して不公平是正を求めて活動している委員会を、全力で支援するのが日弁連の本来のあり方のような気がするのだが。