「見捨てられた街」 フェルナン・クノップフ

 私が最初に海外旅行を経験したのは、旅行好きの祖母に連れられて、親族らとヨーロッパに旅行させてもらったときでした。

 一応ツアーの旅行のようでしたが、何度も土産物店に連れて行かれ、嫌気がさしたので、途中からはわがままを言って自由行動をさせてもらいました。自分から言い出して自由行動させてもらったのに、緊張しながら街を歩いた記憶があります。

 その自由行動の際に、ブリュッセルの王立美術館で、クノップフの「見捨てられた街」を見ました。ほんとうはルネ・マグリットの絵を見に行くことが目的だったのですが、幾つかあったマグリットの作品以上に引きつけられてしまった絵でした。

 おそらく鉛筆とパステルだけで描かれた絵なのですが、人の気配が完全に消された街が描かれているのです。そして、水が(若しくは全てを眠らせ無に返すような何かが)広場を音もなく覆い尽くそうとしている絵です。彫刻が置かれていたと思われる台座にもすでに像は置かれていません。

  上手く言えないのですが、街の人々が街を見捨てて去っていった後というより、何らかの超人間的な意思の力によって人間及びその関係物が消し去られている状態のような気がしました。神のような存在が街を、それはどこか分からないのですが、あるべき所に返そうとしているその過程に生じた一瞬の人間性の抹消、つまり人間を超えた力により主体的に作出された無であるかのような感じをうけました。

 ですから、「見捨てられた街」という絵の題名が直訳であるならば、ここで「見捨てられた」とは、人々に見捨てられた街ではなく、「造物主にすら見捨てられた」という意味なのかもしれません。

 絵自体は、美しく、そして静かな絵です。絵の中に描かれている街だけでなく、そこにあるその絵、それ自体が、ただひたすらに静けさの中にあるべく運命づけられているような感じを受けたことも事実です。

 なお、司法試験合格後に、ヨーロッパを再訪した際にもブリュッセルに立ち寄って、絵を見に行きました。その際は光の加減か、絵が黒ずんで見えてしまい、最初に見たときのような不思議なオーラは薄まってしまっていたような気がしました。無料だった王立美術館が入場料を取るようになっていたため、ちょっと嫌な気になっていたという私の個人的な感情からそのように見えてしまったのかもしれません。

 機会があれば、もう一度あの不思議な静けさに浸れるのか、試してみたいと思っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です