司法試験受験時代の夢~1

 司法試験受験時代の夢と言っても、「どえらい弁護士になってやる!」というような夢ではなく、実際に寝ていたときに見た夢のはなしである。

 私は受験生時代が長かったせいもあり、その時点で中学校の同級生2人、大学のクラブの同期生1人が既に鬼籍に入っていた(いずれも事故)。

 受験時代には、相当追い詰められていたこともあり、不眠症にも陥ったがその不眠症のときに、夜も昼も熟睡できず、うつらうつらしていたときに、夢を見た。

 私は、既に亡くなった3人の友人と食卓に着いていた。

 どうやら中華料理のお店らしく、赤い丸テーブルに私を含めて4人で座っている。

 中学時代の2人とは高校も違ったし、なにより、大学のクラブの同期生は私の中学時代の友人など知るはずもないのだが、みんな、すっかり打ち解けて、楽しそうに談笑し、美味しそうに料理を食べている。

 確か、みんな、様々な料理を勧めてくれるのだが、どういうわけか食欲がない私は、全く料理を食べない。友人達は無理に料理を勧めることはなく、談笑は続いた。

 そのうち、何かの拍子に、テーブルの下をのぞくと、3人は靴を履かずに、靴下だけだった。しかも、そろって赤い靴下をはいている。夢は見ている間は妙にリアルで、しかし、リアルなくせに、奇妙きてれつなことでも素直に受け入れてしまうところがある。

 ただ、そのときだけは、何か違った。

 赤い靴下をそろって履いている3人に非常な違和感を覚えたのだ。

 その後どうなったか目が覚めたので忘れてしまった。この夢は、ずいぶんと忘れていたのだが、合格して弁護士になったあと、「よもつへぐい」という言葉を聞いて思いだした。

 「よもつへぐい」とは、黄泉の国で煮炊きした料理を食べてしまうことであり、食べてしまった者は二度と現世には戻れない。日本神話でも、「いざなみ」は、「よもつへぐい」をしてしまったため帰れなかった。

 私の見た夢の3人は、私と仲が良かったので、多分励ましに来てくれていたことは間違いないだろうし、きっとそうだろうという確信はある。しかし、よもつへぐい、という言葉を知ったときは、少しだけ夢の中で料理を無理強いしなかった、友人達に感謝の思いがわいた。

 他にも不思議な夢を見たことはありますが、それは後日お話しします。

将棋界の一番長い日

 私は将棋に関しては、コンピューター将棋ソフトで認定してもらったペーパー初段であり、もちろんプロ棋士の深い意味のある指し手のことは分からない。

 しかし、将棋に関する棋士達の息づかい、真剣勝負は見ていていつも凄いものだなと感心せざるを得ない。

 今日は、A級順位戦最終日であり、最も権威のあるタイトル、名人戦への挑戦者が決まるため、将棋界の一番長い日と呼ばれている。

 名人に挑戦するためには、C2・C1・B2・B1と定められている各クラスで、1年をかけて行われる順位戦で2~3位の好成績をあげて順次昇格し、最後にA級にたどり着かなければならない。飛び級は出来ないため、どんなに強い棋士でも、一つのクラスを昇格するためには1年かかる。

 そしてようやくたどり着いたA級では、トップ棋士一〇名による総当たり戦が行われ、最も成績優秀な棋士が初めて名人に挑戦できる。

 現在戦いは進行中だろう。多くの戦いは夜半を越えて決着する。

 現在までの成績で、名人挑戦可能性があるのは森内九段と渡辺竜王の2人に絞られている。

 戦いは、名人挑戦だけの問題ではない。A級に残留できるかの争いも熾烈を極める。

 私が応援している谷川浩司九段は、現在四勝四敗で、挑戦にも残留にも関係はないが、勝ち越すために全力で戦っているだろう。

 BSで生中継もあるはずだが、BSを自宅に導入していないので、残念ながら、明日の新聞を楽しみにせざるを得ない。

 BSをお持ちの方は、是非一度ご覧下さい。天才中の天才達が、その全てを賭けて戦う真剣勝負の世界がそこにあります。

わけのわかんないTPP

 最近盛んに議論されている、TPPだが、ほとんどの国民の方はその内容を知らないらしい。

 私も農業に関する関税なんかの問題に限定されているのかなと、ボンヤリ考えていたら、どうも、TPPを批准すれば、金融業・サービス業・医師・弁護士らの世界も一方的に解放される(例えばアメリカの弁護士資格で日本の弁護士業を自由に出来るが、逆に日本の弁護士資格ではアメリカで弁護士業は出来ないなど)内容が含まれているらしいとの情報が聞こえてきている。

 いや、すごい。もし本当なら、この21世紀に、ペリー来航、幕末並みの不平等条約なんじゃないのか。

 医師会はすでに反対しているという情報もあるが、日弁連HPで検索してもTPP関連の記事は見つからなかったようなので、日弁連の態度はまだ決まっていないのかもしれない。

 それよりおかしなことは、周囲の人に聞いてみても誰もTPPの内容を知らないということだ。国民が知らないところで(若しくは故意に知らせないで)、国民に大きな影響を与える条約を勝手に締結するのは、なんぼなんでも横暴だろう。

 マスコミも、政府もまずTPPの正確な内容を国民に知らせるべきだ。特にマスコミは何をやってるんだ、国民の知る権利を充足するのが存在意義なんじゃないのか。

 この件に関しては、マスコミの公正な報道を期待しています。

ベテルギウスが超新星爆発?

 冬の大星座である、オリオン座の一等星ベテルギウス(和名:「平家星」)が超新星爆発を起こすのではないかという兆候が現れているらしい、という情報がNASAなどから出ていると聞いた。

 少し星座をお好きな方ならよくご存じだと思うが、ベテルギウスはオリオン座の左肩に見えるオレンジ色の一等星だ。

 私が、冬の大三角形を探す際には、まずオリオン座を探し、その左肩のベテルギウスを見つける。次に、オリオン座の三ツ星ベルトを下に伸ばした方向に青白く輝くシリウスが見つかるはずだ。そしてベテルギウスとシリウスの間に垂直二等分線を左側引いていけば、もう一つの一等星プロキオンが見つかる。こうして冬の夜空に大きな三角形がみつかるのだ。

 その、冬の大三角形を形作る一等星のひとつ、ベテルギウスが星としての寿命を迎え、少なくとも宇宙的規模で見て近いうちに超新星爆発を起こす可能性があるのだそうだ。確か、640光年くらい離れているので、今、私達が目にする光は、640年ほど前のものである。もうすでに超新星爆発が起こっていて、現実のベテルギウスは赤く輝いていない可能性もある。

 その際に、様々な宇宙線などが放射されて、地球に甚大な影響を及ぼす可能性を指摘する科学者もいるそうだ。早ければ2012年中にも超新星爆発が見られると考える科学者もいる。

 ナショナルジオグラフィックTVでも放映されていたが、古代において高度な天文学知識を有していたマヤ文明の暦の一つである長期暦が2012年12月21~23日頃一つの区切りを迎えることから、2012年人類終末の予言であるという人もいるらしく、それと併せて地球滅亡を唱える人もいるそうだ。

 人類が本当に滅亡する程の天災なら、どうあがいても防ぐ手立てはないだろうし、まず見られない天文ショーであることは間違いないはずだから、どうせならこの目で見てみたいと思う。

 なお、超新星爆発は平安時代の書物にも記載されているものがある。カニ星雲の超新星爆発だ。だからといって人類が平安時代で滅亡したわけではないので、大事はないと思うのだが、もし超新星爆発が起きて、オリオン座の左肩がなくなったら、冬の大三角形もなくなっちゃうし、ちょっと残念だよね。

少年事件のホームページ

 おそらく同期の弁護士の中では、少年事件を多く扱っているであろうこと、少年事件自体嫌いではないことなどから、思い切って、少年事件のホームページを作ってみました。

 HPビルダー15を使っての、嬉し恥ずかしの完全自作サイトです。

 写真素材は附属のものを使いました。下記のURLからご覧になれます。

 http://shonen.idealaw.jp/

 つたないHPですが、一度見てやって頂けると嬉しいです。

涙もろくなるということ

 年を取ると、涙もろくなるとよくいわれる。

 私も、例に漏れず、涙に関して少しだらしなくなりつつあるようだ。映画や小説などでも、若い頃なら「どうせ、演技やん」とか、「どうせ小説じゃない」、と冷たく突き放して見ている自分もいたように思うが、最近は、わざわざそのようなことを考えずに、素直に感情に従う場合が多くなってきたようだ。

 若い方が感受性が豊かだといわれることもあるのに、どうして年齢を重ねると、涙もろくなるのだろうか。

 本当のところは分からないが、おそらく、人生の経験がそうさせるのではないかと思うときがある。

 人は、喜びや悲しみを重ねて、人生を歩んでいく。ときには裏切りなど、手痛い目にも遭わされる。しかし、人だから明日が来る以上、辛くても生きていく。だから、経験が増えた分、その人の苦労やつらさ、そして人生の不条理などが、よりよく理解できるようになる。

 15歳の少年が、例えばゴーゴリの「外套」を読んでも、世の中の理不尽さに憤るくらいかもしれないが、もう少し経験を積んで大人になれば、外套を新調するために、厳しい倹約を続けながらも妖しく燃え上がる主人公の心や、外套をついに新調したときの主人公の気持ちなど、よく理解できるようになるはずだ。それと同時に、外套の慎重をお祝いするという名目で飲み会をやりながら、あくまでそれは口実に過ぎない同僚たちや、せっかくの外套が外套掛けから落ちていたときの主人公の感じるだろう寂寞とした思いが、さらによく分かるようになるはずだ。

 そして、主人公の悲劇を描きながらも、主人公を見つめる作者の目が、おそらく一貫して暖かいものであることにも気づけるようになるはずだ。

 だから、私は涙もろくなることは決して悪いこととは思っていない。

 人の痛みを、よりよく理解できるようになりつつある、ということだと思えるからだ。

マークシート試験

 私の知る限り、マークシート試験のもっとも難易度が高かったのは、一時期の旧司法試験の短答式試験だったのではないかと思う。

 単に、正しい選択肢を選べとか、間違っている選択肢の組み合わせを選べというような簡単な形式(もちろん内容は高度)の問題もあったが、空欄まみれの文章が5つくらいあって、空欄を埋めつつその5つの文章を並べ替えて意味が通るようにし、そのうち、もっともたくさん用いられる語句の数と、2番目に多く用いられる語句の数の差はいくつだ、というような作業量が果てしない問題もあったように思う。

 予備校の模擬試験などでは、上記の問題に加えて、さらに並べ替える文章の中に使わない文章が紛れ込んでいたりして、もう、何の試験か訳わからんという状況もあったように思う。

 まさに究極のマークシート試験だった、という記憶がある。

 ただし、試験である以上、ある程度の自分なりの対策も立てていた。困ったときにはこうするという、自分なりの方針が立っていると、まよっているときに頼りになった。

 私の対策は、非常に簡単なことだった。

 絶対に確実な選択肢を基準にするということだ。

 どんなに勉強しても知識が完全ということはない。その時には、もっとも確実と思われる選択肢を基準に考える方が正解率が(私としては)高かった。

 つまり、間違っている選択肢の組み合わせを選べという問題が出たとする。

 自分の感触では、Aの選択肢は100%間違い、Bの選択肢は70%間違い、Cの選択肢はたぶん20%位間違い、Dの選択肢は70%間違い、という印象を持ったとしよう。

 その際に、(A・C)の選択肢の組み合わせと、(B・D)の組み合わせのいずれかが候補として残った場合、

(A.C)は100%+20%=120%

(B・D)は70%+70%=140%

 と単純に足しあわせて、(B・D)の組み合わせを選びたくなるのが人情だが、そこは、(A・C)の組み合わせの方が(私の経験では)正解であることの方が多かった。

 つまり、C:20%、B・D:70%の間違いというのは、あくまで自分の中での曖昧さの度合いにすぎないのであって、結局C・B・Dの選択肢について正確な知識がないことには変わりがないのである。

 そうだとすれば、絶対に間違っていると確信できるA を含む選択肢を選ぶ方が、少なくともAは絶対に間違っている選択肢なのだから、正解に近いと考えるべきなのだ・・・・というのが私の考えだった。

 あくまでこれは私なりの、方針に過ぎないが、センター試験や私大の試験でマークシート試験を受ける方も多いだろう。何かの参考になれば嬉しい。

ホンダ、F1復帰の噂

 自動車専門誌によると、ホンダがF1に復帰する可能性があるそうだ。

 かつて、ホンダは、高回転VTECエンジンや、CR-X、TYPE-Rシリーズ、NSXなどスポーツ路線のイメージで売っていた。現在のカーラインアップは、スポーツ路線なのは、シビックタイプR、同ユーロ、CR-Zくらいで、NSX・S2000、アコードユーロRもすでにない。

 私も、かつては、軽戦闘機のように爽快に峠道を走り抜ける、ホンダのR系セダンに乗っていたが、今は、ホンダ車ではない。

 F1復帰の可能性とともに、3~4年後にNSX復活の動きもあると聞く。

 NSXが復活すれば、是非乗ってみたい。期待して待ちたいものだ

 ・・・・・・・・年末ジャンボが当たることが前提になってしまうのだけれど。

合格の瞬間

 本日、知り合いの方が、税理士試験に合格された。実力がありながら、これまで、運に恵まれなかったのだ。しかし、今日だけは美味しいお酒が飲めるだろう。おそらく肩の荷が下りたような気がされているのではないだろうか。

 私も、司法試験は、論文試験で何度もつまずき、苦節10年だったので、その方の気持ちがよく分かるつもりだ。当時の司法試験は、論文試験に合格すれば口述試験は95%合格するといわれていたため、まさに論文試験が天王山だった。しかも、丙案という極めて不公平な若手優遇措置がとられていた頃の話だ。

 丙案導入前から、あと一歩(論文試験評価A~当時は1000番以内)のところで合格を逃してきていた私は、合格発表が張り出される京都地検の掲示板へ、その年は、発表時刻より少しだけ時間をずらして、発表を見に行った。

 表向きの理由は混雑の回避だが、正直いえば、勉強仲間が合格しているかもしれないところで、また自分が不合格であることを確認してしまうかもしれないという恐怖もあったからだ。この辛さは体験してみないと分からないし、何度も体験すればするだけ、どんどん辛くなる。

 その年、私は、発表時刻より20分ほど遅らせて、発表を見に行ったはずだ。発表直後の熱気が少し冷めた頃だが、多くの受験生が未だ掲示板に群がっているなか、受験生の肩越しに、掲示板を見た。

 探すまでもなく、私の番号と、名前が目に入った。

 このように、あれだけ苦労した論文試験だったが、合格発表の瞬間だけは実にあっけなかった。そして、その意味を把握するのに少し時間がかかった。

 次第に何かが、身体の中でわき起こってきて、私は小さくガッツポーズをした。他人に気付かれないようにしたつもりだ。

 これまで、論文試験の発表で嬉しさの余りはしゃぐ合格者を嫌というほど見てきたし、その合格者を横目に、来年の受験が可能か考えながら重い足取りで下宿に向かうことを何度も繰り返してきたから、その当時の自分を考えると、嬉しくはあったが大騒ぎする気持ちにまでは、なれなかったのだ。同時に、次に控えた口述試験をどうしようという不安も頭をもたげてきた記憶がある。

 早く下宿に帰って、口述試験向けて勉強しなくてはと、一旦家路についたが、「まさか、見間違いではないだろうか」という気がしてきて、もう一度自分の名前と番号を確認した。帰宅途中に最初に目に入った公衆電話で両親に報告したことは覚えているが、どの道をどう走って下宿まで帰ったのかについては良く思い出せない。

 その晩、不安になって、もう一度だけ合格しているか、わざわざ夜中に確認に赴き、冷たい風が吹く中、寒々しい蛍光灯に照らされつつ、自分の名前が少し曇ったガラスを通して掲示板の中に消えずに残っていることを確認して、ようやく少し安心した気持ちになったものだ。

 その後口述試験の合格発表は、東京の法務省まで見に行ったが、とにかく、ホッとしたという気持ちしかなかった。司法試験に合格した喜びというよりも、もうあの過酷な司法試験を受験しなくても良いのだという安堵の気持ちの方が強かった。

 現在の新司法試験制度は、法科大学院卒業後5年間に3回しか受験できない(いわゆる三振制)。じっくりと実力を身につけるタイプの人には向かない試験になっている。また、合格するには、相当程度の運も必要だ。3回とも運が向かない人もいるかもしれない。

 私は、法科大学院はもとより、特に三振制は、極めて不合理な制度だと思っている。

 それはともかく、Yさん、本当におめでとうございます。 

※記載内容については、全て執筆者の個人的な見解に基づくものであって、当事務所の統一した見解・意見ではありません。

裁判所の機構

 2010年度版、裁判所データブック(財団法人判例研究会刊、税込950円)に目を通してみた。

 裁判所データブックというだけあって、最初に裁判所の組織が明示される。

 例えば、p1で裁判所の種類と数を明示し、p2からの、「下級裁判所及び検察審査会の名称」のコーナーでは、各高裁所在地の地裁・地裁支部・家裁出張所・簡裁などが記載されている。

 不思議に思うのは、その記載されている順番だ。

 東京高裁→大阪高裁→名古屋高裁→広島高裁→福岡高裁→仙台高裁→札幌高裁→高松高裁の順だ。

 地裁や支部の数の多さでの順番ではなさそうだし、アイウエオ順でもない。もちろん北から順番という訳でもない。

 おそらく、エライ順なのだ。

 給与においても、東京高裁長官とその他の高裁長官には月給で10万7000円の差がついている。仮に、高裁長官8人で会議をするなら、最初に会議室に入るのは東京高裁長官でその次は大阪、その次は名古屋、となるのかもしれない。

 かつて、私はある年輩の裁判官と電車で隣り合わせた際に、日弁連の官僚制体質を批判されたが、組織体である以上、裁判所だってそんなところはあるよねぇ。