法科大学院は大学教員のための制度なのか?

先日、某国立法科大学院で教授を努めている友人から、一通のメールを頂いた。

文科省の告示によって、日弁連法科大学院人証評価事務局は法科大学院の教員の適格審査について、実務家教員であったとしても法律基本科目(司法試験科目)を担当する場合には、担当する科目分野について直近5年内に研究業績(論文)があることを厳格に要求しようという動きがあるそうだ。

つまり、誤解を恐れず簡単にいえば、どんなに実務に精通しており、誰よりも実務家として素晴らしい力量を持っていたとしても、そして、えら~い学者の先生方よりも遥かに学生に教える能力が高かったとしても、直近5年以内に論文などの研究業績がなければ、法科大学院教員としては失格とみなす、ということだ。

もちろん、学者の先生方は困らない。忙しい弁護士業務に患わされることなく、御自らの研究に邁進しておられるわけだし、その成果を論文として発表されること、それ自体がお仕事だからだ。論文を書くのもお仕事なんだから、何のハードルにもならないのだ。

しかし、一流の実務家であれば、当然忙しい弁護士業務をこなしているはずだから、ただでさえ弁護士稼業と法科大学院と二足のわらじを履くことは相当厳しい。その上で論文まで書いておけ、とは、事実上かなりの負担を実務家教員に負わせることになり、実務家教員の確保に大きな影響を与えるおそれがある。

論文の審査だって、要するにタイトルが法律基本科目の教育分野に入っているかどうかを見るだけのようであり、内容まできちんと検討して法科大学院に相応しい研究成果かどうかを検討しているとも思えない。

これは悪くいえば、法科大学院により実務と理論の架橋を目指した法曹教育を行うといいながら、法科大学院が目論見どおり発足できたので、「実務家教員なんてもうイラネーヨ、法科大学院は研究者教員の職場確保にこれからは使わせてもらうぜ」、と文科省がいっているのとそう変わらないように感じられる。

もっと大きな問題は、法曹教育に実務家を参入させることに積極的だった日弁連が人材と資金を出している(はずの)日弁連法務研究財団が、法科大学院認証評価において、実務家教員排除につながりかねない文科省の告示に、唯々諾々と従おうとしていることだ。

まあ、日弁連法務研究財団の理事やら評議員らには、日弁連のお偉いさんがずらりと並んでいて、ほとんどが法科大学院推進派(実務と理論の架橋というお題目をを振り回していた)であった方々のように見える。それなら当然、実務家教員排除につながりかねない文科省の告示に決然と反旗を翻す立場のはずだが、どうもその気配はない。

まさか日弁連のお偉いさん方が、会員の血税ともいうべき会費を投入している法務研究財団から給与をもらっているとは思わないが、もしもらっていたら、そしてこの問題について知っていながら放置しているのだとすれば、「文科省がそう仰るのであれば御意の通りに」と事なかれ主義に陥っている官僚の天下りの構図と同じようにも感じられる。

今後の日弁連法務研究財団の動向には、法科大学院推進派であっても十分注意を払う必要があるように思う。

裁判官から見た法曹人口の拡大と法曹養成制度改革~その5

(肯定的意見その4)

平成22年で実現を予定されていた合格者3000人が未だ実現されず、逆に、合格者を大幅に減らそうとする動きが主流になりつつある。法曹の活躍場所を拡大する余地はまだ残っているのに、その努力をしないで合格者を減少させることは、夢をもつ若者達を裏切るものだ。

(坂野のコメント)

元裁判官の御意見です。まず、法曹の活躍場所を拡大する余地があるのなら具体的にその分野と採算可能性を明示して頂きたいものです。確かに、採算を度外視するなら、弁護士の需要は間違いなくあります。しかしそれは、ボランティアならともかく、仕事としてみるならば、弁護士の需要ではありません。例えば、一時の規制緩和で法人タクシーが増えすぎてしまい、法人タクシーは減車している状況にありますが、そのような状況下で、次のようなことを言うようなものです。「バス停を見ろ、地下鉄の駅を見ろ、みんな移動したいと思っているじゃないか。だから、タクシーの需要はあるじゃないか、1区間200円の地下鉄料金にすれば、いくらでも需要があるはずだ。」

しかしこの主張が現実離れしていることは明白でしょう。その料金ならタクシーの経営は、決してなり立たないからです。また日弁連や各弁護士会は、業務拡大のために様々な努力をしています。個々人の弁護士だってそうです。HPを作ったり、パンフレットを作ったり、様々な努力をしています。その結果、この現状なのです。抽象的な需要論は聞き飽きました。そんなに需要があると仰るのなら就職出来ていない新人全て雇用してやって下さい。その上で、法曹の活躍場所を開拓して下さればいいのです。採算が取れる、ホントの需要があるのなら出来るはずです。

(肯定的意見その5)

司法試験合格者3000人計画には日弁連が総意として賛成したのであり(H12年11月臨時総会)、見通しを誤って1500人への原因を主張するのは帯刀を取り上げられた武士の反乱に似ている。佐藤先生は「日本に司法が行き渡っていない、まだ増員の必要がある」という立場で一貫している。

(坂野のコメント)

元裁判官の御意見です。ご指摘の日弁連臨時総会では、このまま増えすぎたらどうなるのかという質問に対して、執行部から「企業でも製品が余れば減産する」それと同じように対処できるはずだ、との説明がありました。また、最終的には賛成多数でしたが、議論を強引に途中で打ち切るなど非常に手続的に問題があると思われる臨時総会でした。本当に総意として賛成したのかどうか、執行部の詭弁に惑わされたのではないかについて、是非議事録を読んで頂き、現実を把握して頂きたいと思います。

また、佐藤幸治氏を礼賛していますが、君子は豹変するとは古今の名言。本当に立派な人物は、自分が誤っていると分かれば心を入れ替え、行動の上でも変化することが出来る人であるはずでしょう。過ち(法科大学院制度に関して井上正仁東大教授は、つい「詐欺的」と言ってしまっています。)を歪みと言い換え、あくまで過ちを認めない人物に、立場が一貫していると誉めることの意味が私にはよく分かりません。

(中間的意見その1)

司法改革により多くの分野で素晴らしい成果が上がっていると思うが、弁護士人口の増加が「極端なまでにいびつ」であったので、深刻な状況を引き起こしつつあり、それがせっかくの司法改革の諸成果に悪影響を及ぼしかねない。このような結果を考えずに3000人増員に賛成した責任を感じている。長年20人台の弁護士会に60人を超える弁護士が入会してきたので、ゼロワンが解消され、被疑者国選にも対応できたが、年齢構成が極端にいびつになり、若手のOJT指導が困難になった。都会では最低限の経営基盤さえ見通せず、メンタルを病むなど、廃業する若手弁護士も出てきている。弁護士が増えても弁護士に相応の報酬を支払って依頼する事件は増えていない。遠距離の支部の裁判所には裁判官が常駐せず、その地に開業した弁護士は本庁まで出向いて経済的に割に合わない仕事を余儀なくされている。

(坂野のコメント)

元裁判官の御意見です。法曹人口問題については、中間的というより否定的というべき御意見でしょう。「結果を考えずに安易に3000人に賛成した責任を感じている」と素直に反省されている点は、未だに3000人と約束したのだからそうすべきだと言い張る方よりも好感が持てます。また、若手の現状や、弁護士に相応の報酬を支払って依頼する事件は増えていないという点も的確なご指摘です。弁護士会執行部に鎮座され、何らこれまでの方針を批判的に検討できていないご立派な先生方よりも、よほど現実を見ておられます。惜しむらくは、そういう思いの方が、なかなか積極的に発言して下さらないことです。大阪弁護士会でも会派内でかなり実力をお持ちの方が、もっと発言して下さると変わると思うのですが・・・・・。

(中間的意見その2)

司法試験合格者の質が低下している。OJTが十分出来ていない現状で、能力の不足した弁護士を巷に溢れさせている。法科大学位制度を維持するのであれば、当初の理念に基づく教育をして、司法試験の合格者を増加し、修習期間を少なくとも2年間とした上で、修習期間中に実務能力をつけさせるべきである。厳しい修了試験をして実力を伴うまで終了させるべきではない。

(坂野のコメント)

元裁判官の御意見です。司法試験合格者の(優秀な方の存在は否定しないでしょうから、たぶん全体的な)質の低下、OJT不足による能力不足の弁護士の量産の危険など、かなり怖い現実を的確に表現されています。司法修習期間を2年として十分実務で実力を身に付けさせることも必要でしょう。ただ、以下に司法修習の期間を延ばしても、これ以上合格者を増やして質が維持できるのか、この点に大きな問題を感じます。私が受験していた時代(25000~30000人受験)で、2000番台と言えば私の時代の論文試験総合評価ではC~D評価です。私自身、論文試験でD評価をとったこともありますが、合格してから振り返って考えると、D評価のときは本当に、本当に、何にも分かっていなかったな、と感じます。そのような知識レベルでは、司法修習には到底ついて行けないでしょう。

法科大学院に関して、この方が仰ることは、理想論では理解できます。しかし、他の全ての制度と同じく、優秀な人材を集めないと優れた司法は構築できません。法科大学院制度が足かせとなり、またいびつな弁護士激増が追い打ちとなって、法曹人気が地に落ちた現状では、この方の指摘される手段では、もはや優秀な人材を集める決定打とはなり得ず、残念ながら優れた司法を構築するための有効な処方箋になり得るとは、思えない。

(この項終わり)

裁判官から見た法曹人口の拡大と法曹養成制度改革~その4

否定的意見ばかり載せることは、公平を欠くと思われますので、肯定的意見、中間的意見も引用致します。

(肯定的意見その1)

弁護士増加によりゼロ・ワンが解消され、地方にも弁護士が増え、ひまわり基金事務所などが各地に設置され、被疑者国選弁護の拡大が可能になり、弁護士の職域も一定程度拡大する成果があった。

(坂野のコメント)

元裁判官、現簡裁裁判官の方の御意見です。ひまわり基金法律事務所(公設事務所)は、弁護士過疎解消のために、日弁連・弁護士会・弁護士会連合会の支援を受けて開設・運営される法律事務所です。法曹人口増だけでひまわり基金事務所が出来たわけではなく、その裏側には弁護士個人の金銭負担があるのです。弁護士職域の一定程度の拡大と仰いますが、それはここ15年で約2倍の弁護士人口増加に見合ったものなのでしょうか。今やコンビニ上位3社(セブンイレブン・ローソン・ファミリーマートampm)の全国店舗数の合計よりも弁護士の数は、はるかに多くなっています。

(肯定的意見その2)

法科大学院制度を含めた法曹養成制度の改革は、弁護士の就職難等がいわれるが、基本的に正しい方向である。修習生の実力不足がいわれているが、修習期間が短縮されたのであるから当然のことであり、弁護士になってからの教育で補うことが制度的に考えられていたはずだ。

(坂野のコメント)

現役裁判官の御意見です。少なくとも私が見た限り司法制度改革審議会の意見書には、裁判官・検察官・弁護士全ての法曹に関する継続教育を整備すべきであるとの項目はありますが、弁護士になってからの教育で司法修習を補うとの項目は見当たりません。なにより、法科大学院は優秀な法曹を排出すると豪語したのですから、いまさら、レベルが落ちても仕方がないとの御意見はいただけません。

(肯定的意見その3)

3000人目標に届いていないとはいえ司法試験合格者は大幅に増え、その90%は弁護士になる。この際、修習を弁護修習一本に絞り、裁判官・検事は任官後に、別に研修させるのがよい。これは、分離修習ではなく、法曹一元に連なるものだ。

(坂野のコメント)

元裁判官の御意見です。結局裁判官と検察官は別個に任官後研修を受けさせるということですから、実質的な分離修習につながるようにも思いますが、その当たりはどうお考えなのかよく分かりません。またどうして法曹一元につながるのか、法曹一元が何故良いのか、この御意見だけからはよく分かりません。なにより、この御意見が肯定的意見と分類されるべきなのかが分かりません。

(続く)

裁判官から見た法曹人口の拡大と法曹養成制度改革~その3

(前のブログの続きです)

(意見その5)

指導した修習生は就職先が見つからず、即独を選んだ。即独では事件経験を積むのも難しい。そのため資質の差が登録後さらに拡大していく。増員自体に反対しないが、急に増やしすぎたことが問題だ。もう少し徐々に増やせなかったのかと思う。一般国民は弁護士を選別する能力を有しないから、単純に競争原理が働くというものではない。

(坂野のコメント)

現役裁判官御意見です。ある程度の司法修習生が、即独しなければならない状況であれば弁護士の能力の格差がさらに拡大するのではないかと危惧されています。医師をどれだけ増やしても、手術の機会がなければ手術の上手な医師は育ちません。こんな簡単なことがどうして法科大学院推進者の学者に理解できないのか、未だに私には分かりません。

次に、今すぐ司法試験合格者を現状の半分である1000人にしても、毎年500~600名の法曹が増えていきます。少なくとも今後20年くらいは毎年辞めていく法曹が400~500名位と見込まれるので、合格者と辞めていく人の人数の差だけ法曹人口は増えていくからです。佐藤幸治氏など法科大学院擁護派は、「法曹人口を減らそうという意見があるが、けしからん」と述べる場合がありますが、その主張には誤導の罠が仕組まれています。法曹人口を減らそうとすれば、毎年法曹を辞めていく人の数(400~500名)よりも司法試験合格者を少なくしなければなりません。しかし、司法試験合格者を300名以下にしろと主張する人はまずいません。学者がわざと誤導の罠を仕掛けているのは感心しません。もしわざとでないとすれば、足し算ができない学者ということになりましょうか。

一般の国民の皆様が弁護士を選別することは極めて難しいことにも触れられています。特にたくさんの弁護士の訴訟を拝見されている裁判官の御意見なので、重い意味を持つと思われます。平たくいうと、弁護士の善し悪しは、国民の皆様からは判断つきにくいということです。対象の善し悪しが分からなければ、自由競争はなり立ちません。自由競争は、両者を比較してよりよい者が選別されて生き残るという仮説です。両者の比較ができることが大前提なのです。この点も、学者は自由競争さえ実施すればうまく行くと根拠もなく主張する方が多いのですが、必ずしもそうではありません。

(意見その6)

資格試験に過ぎない司法試験の受験に、金のかかる法科大学院を経なければならないとするのは合理的ではない。この制度では幅広い分野からの人材を確保できない。

(坂野のコメント)

元裁判官からの御意見です。すでに、法学部以外の出身者の比率は、旧司法試験時代と対して変わらなくなってきています。つまり多様な人材の確保を目的とした法科大学院は、その目的を実現することが出来ていないということになります。そのうえ、法科大学院制度は、大学卒業後さらに学費を2~3年支払う必要がありますから、経済的に余裕のある者がより有利になる制度です。2世弁護士が相当増えたという話も聞きます。司法修習生給費の貸与制への変更も加わって、いまや法曹になるには相当高額の費用が必要になってきているのが現状です。その費用が、確実に回収できるのであれば法曹を目指す人も増えるかもしれませんが、この就職難です。法曹資格を得ても就職出来ない可能性も相当あります。だったら優秀な方はなおさら法曹を目指すことを敬遠するでしょう。多彩な人材を確保するはずの法科大学院が足かせになって、優秀な人材が法曹を目指すことを辞めてしまう危険がかなり現実化しているのではないでしょうか。

(意見その7)

司法試験受験資格の回数制限は司法制度審議会の中で議論されたのか。同審議会の手を離れてから回数制限が制度化されたのだとすれば、佐藤先生(筆者注:佐藤幸治氏のこと)は回数制限をどう思われますか?司法試験の受験回数制限も検討し直すべきである。

(坂野のコメント)

元裁判官の御意見です。私も不思議に思って調べてみたところ、司法制度改革審議会の意見書中には、受験回数制限は記載されているようです。佐藤幸治氏も確か審議会のメンバーだったと思うので、抜け目なく、法科大学院制度維持のための記述を記載させたのでありましょう(受験回数制限をしないと、70~80%の合格率はまず達成できないし、その合格率が達成できないとプロセスによる教育という法科大学院のお題目は画餅に帰すからです)。しかし、受験回数制限は、少数精鋭の合格率70~80%の法科大学院制度を前提にした制限であり、制度の前提が違ってきているのに、受験回数制限だけ残してあるのは問題が大きいように思います。

例え合格率が低くても、旧制度のように何度でも受験できる制度の方がよほど良いと思うのですが、法科大学院維持派の学者さん達は、大器晩成型、じっくり実力を貯えるタイプの方は、法曹にならなくても良いとおっしゃっているようで、正直頭にきます。

(続く)

裁判官から見た法曹人口増大と法曹養成制度改革~その2

(昨日の続きです)

(意見その3)

法科大学院と合格者増加による修習生のレベルの格差の大きさには、驚きより不安を覚える。「競争させれば良いものだけが残る」という実証されていない幻想だけで運営されているとしか思えない。

(坂野のコメント)

現役裁判官の御意見です。

法科大学院制度と合格者増により、優秀な志願者が増えてその結果優秀な修習生が増えてくれたら良かったのですが、「(レベルの格差の大きさに)不安を覚える」と書かれていることから、裁判官から見てもこれは問題だと思うほどレベルの低い司法修習生が相当程度裁判修習にきていることが窺えます。

従来の500人よりも4倍に増加された合格者+法科大学院制度なのに、現場の実務家から見て問題があると思わざるを得ないレベルの司法修習生が(不安を覚えるほど)存在するということは、法科大学院制度の失敗を端的に示しているように思います。

このことだけからも、司法試験合格者を増やせば法曹の人気が回復して優秀な人材が集まるはずだという法科大学院関係者の根拠レスな主張が、妄想レベルの誤りであることは明白でしょう。

また自由競争至上主義を幻想である、と一刀両断しているところも、いまだ幻想に包まれ目が覚めない学者の方々よりも、よほど現実をきちんと見ておられる方なのだなと感じます。

(意見その4)

毎期修習生が就職困難に直面している。地方では地元で就職しない限り大都市部での就職は圧倒的に不利である。司法改革の最大の問題点は、無計画で急激な法曹人口増大にあることは明らかである。

(坂野のコメント)

司法修習生の就職難は極めて深刻であり、一括登録時に司法修習生の約1/4が登録できませんでした。その後1月に登録された方もそこそこいらっしゃいますが、それでも多くの司法修習生が登録せず(できず)にいるようです。

そもそも、司法制度改革審議会では、何の根拠もなく、今後は、法的問題が多様化・高度化し多くの問題が生じることが見込まれる、ということを大前提に司法制度改革を組み立てていったようです。しかし、裁判所データブックを見ても、その見込みは誤りで会ったことは明らかになっています。大阪弁護士会でも、知的財産問題や医療過誤などの専門相談制度を設けており、法的問題が多様化・高度化し多くの専門的な法的需要が生じているのであれば、専門相談は大賑わいとなるはずですが、現実には、一般相談よりはるかに少ない相談しかないのが現状です。さらにこれから日本は少子化に向かいます。法的問題が今までの2倍・3倍に増えるとはとても思えません。

それにも関わらず、司法制度改革審議会でそう決まったのだからと、前提の狂った計画を遂行し続けるのは、賢き者の取る途ではないでしょう。素直に、見通しの誤りを認めて軌道修正すべきです。

(続く)

裁判官から見た法曹人口増大と法曹養成制度改革~その1

一般の方には、とんとなじみがないだろうが、私は判例時報という雑誌を買っている。判例時報は、10日に一度、判決録をまとめて掲載している。1冊800円が基本定価で、毎号買っていると結構な負担になるのだが、弁護士である以上、判例時報か同種の雑誌である判例タイムスのどちらかは、おそらく必ず事務所で定期購読しているはずだ。

その判例時報が、2167号から2回シリーズの巻頭特集で、司法制度改革のことを取り上げた。2167号は相変わらず現実無視の佐藤幸治氏の講演録だった。2168号では、パネルディスカッションとその資料が掲載されていた。

私が気になったのは、法曹人口増大と法曹養成制度改革に関しての法曹実務家の意見だ。

肯定的意見も5つ掲載されていたが、中間的意見が3つ、否定的意見は9つ掲載されていた。いずれも法曹実務家(裁判官・弁護士・元裁判官)の意見である。

上記の問題に関する弁護士の意見はあちらこちらで、述べられているが、裁判官の意見は珍しい。

否定的見解の中で、裁判官または元裁判官の意見は7つある。

以下紹介する。

(意見その1)

修習生を一気に増やした結果、資質や能力の面でびっくりするような人が法曹になっている。2回試験で多少はふるいにかけられているが、三回の受験のうちにほぼ例外なく合格しているから、現状では資質面で問題のある法曹が誕生することは不可避だ。就職難などにより法曹全体の魅力が低下すれば、法曹志願者の減少は避けられず、一層の質の低下を招くことになる。

(坂野のコメント)

私がいつも言っていることと全く同じことを、この裁判官の方は感じておられるようです。佐藤幸治氏や法科大学院協会のえら~い教授が何を言おうと、現場を知らない机上の空論に過ぎません。この裁判官が仰るとおり、現実の法曹の現場では恐るべき事態が進行しています。早くそれを止める必要があるのではないでしょうか。

弁護士も自由競争で良いという人もいるようです。しかし、果たしてお医者さんでも同じことがいえるのでしょうか。

実力が足りなくても、ヤブでも、なんでもみんな医者にしてしまえ、競争させればそのうち藪医者は廃業していくからかまわんだろう、と平気で言えるのでしょうか。藪医者が廃業に追い込まれるまでに、助かったはずの命がいくつ失われるのでしょうか。しかもその藪医者に真の医師としての実力がなくても、営業能力が高く、笑顔の素敵な人だったらどうでしょう。自由競争は儲けた者勝ちの世界です。お客を集めて仕事ができなければ、どんなに良い腕のお医者さんでも生き残れません。医師の能力だけで淘汰されるわけではないのです。

自分は弁護士にかかるような事態は考えられないから無責任に、弁護士も自由競争で良いと言ってしまっていないでしょうか。

(意見その2)

法科大学院は予備校化せざるを得ず、法曹養成制度には制度的に致命的な欠陥がある。文科省がそれを糊塗するために法科大学院を締め付ければ締め付けるほど制度として歪んでいく。決して良質の法曹は生まれない。法科大学院は司法試験に合格した人を法曹へ教育する場とするべきであり、早急に、法科大学院→司法試験ではなく、司法試験合格者→法科大学院というように順序を正すべきである。法科大学院の統廃合は社会資本を無駄にし、法曹への途をより狭くするだけで、良質の法曹を産むことにならない。

(坂野のコメント)

元裁判官の御意見です。

法科大学院制度の欠陥を見事に指摘し、小手先の改革で法科大学院を生き延びさせても、税金の無駄になるだけだと明確に主張されています。法科大学院側はどう反論するのでしょうか。いくら法科大学院制度の理念が素晴らしいと主張しても、その理念が実現出来ない制度なら無意味な制度です。

法科大学院で身に付ける知識以外の要素が法曹に必要不可欠な要素であると主張しても、それならどうして大手法律事務所が法科大学院卒ではない予備試験ルートの司法試験合格者を争って採用しようとしているのか、説明がつきません。法科大学院が教養や人間性などが法曹に必要だと大上段に振りかぶっても、それは大手法律事務所から見れば、法科大学院で身に付けられるような資質ではないと考えているか、もしくは実際の現場ではそれよりももっと大事なことがあると考えているかのいずれかではないでしょうか。

結局、実際の現場で意味がない(かもしれない)畳の上の水練を、大金を取って教えることが果たして本当に正しいのでしょうか。

(続く)

司法試験委員が法科大学院に求めるもの~知的財産法

今回は、知的財産法を取り上げる。

(採点実感に関する意見から引用)

5 今後の法科大学院教育に求められるもの

論点の内容についてはそれなりに記載されているものの,実務において重要な事実関係の把握・分析が不十分と思われる答案が多かった。法科大学院は実務家を養成する教育機関であるから,論点中心の教育ではなく,実際の訴訟等を想定して,具体的事案の中から,実務家なら当然なすべき主張を抽出し,それについて的確に論述する能力を広く養うような教育が求められる。
また,明文の規定があるにもかかわらず,条文を指摘せずに解釈論を展開する答案が多数あったが,条文解釈が基本であるから,条文を前提とした解釈を意識した学習を指導することが求められる。
さらに,最高裁判例や判断基準を示す裁判例があるにもかかわらず,その判旨を全く無視して自説を展開する答案も目立った。繰り返しになるが,法科大学院は実務家を養成する教育機関なのであるから,判例を念頭に置いた学習を常に心掛けることが望まれる。

(引用ここまで)

【超訳】~司法試験委員がいいたいことを推察しての私の意訳

5 法科大学院教育は何やっとんねん

 あかん、出来てへんで。論点の内容についてゆうたら、そこそこ書く奴はおるみたいや。せやけど、事実関係の把握、分析が全然あかん。事実関係の把握、分析は実務で言うたらイロハのイやで。そんな重要なところがさっぱりや。法科大学院ちゅうたら、実務家を養成するとこやろ?国民の皆様に、「実務家を養成できます、教育して実務家を養成します、」って約束して税金を頂いとるとこやろ?それを論点中心の教育にしたらあかんがな。そもそも、大学側は言うとったわな、予備校は論点主義やからあかんって。せやけど、あんたらのとこで教育受けてきたはずの受験生が論点主義としか思われへん答案しか書けてへんで。

 法律実務家を養成するのが法科大学院の使命やねんから、実際の訴訟なんかを想定して、具体的な事案の中から、実務家やったら当然ここに目をつけてこんな主張するやろな~っちゅうところを見抜くこと、ほんで、そこんところを的確に論述できるように教育してもらわなあかんやん。

 それだけやないで、きちんと法律の条文があるのに、条文を指摘せんと解釈論だけ振り回しとる答案が、仰山あったで。ちょっとと違うで、仰山やで。法律家っちゅうたら法律を使う仕事やろ、法律は明文で条文として書かれとるんやろ。それやったら、先ず条文にどう書いとるのかっちゅうことが全ての出発点やないか。条文を指摘せんと解釈論を振り回すっちゅうことは、覚えてきた論点を吐き出しとるだけなんとちがう?ホンマ、しっかりやってもらわんとあかんで。

 駄目出しばっかしで、ホンマはもう言いたないけど、大事なことやから言うとくで。実務家にとって、法律の解釈や似たような事案で、裁判所がどないな判断をしとるのかは、めちゃくちゃ大事やねん。最高裁判例や下級審判例で、今回の試験問題に使えそうな裁判例が幾つも出とったんやけど、その判旨を無視して独自の見解を振り回す答案も多かったんや。実務にとって判例が大事なんやから、実務家養成をする法科大学院は、当然判例をきちんと教えとかなアカンわな。何回も何回も繰り返しになるけど、判例を頭に置いて教育してもらわな困るで。常にそこは心がけてや。

(続く)

ロースクール授業参観記~その2

さて、授業時間も迫ってきた。
問題は、どの授業を見学するか、である。

4限目(14:40~16:10)に授業参観を許されたのは、会社法の授業だ。
新入生13名の参加するクラスと、再履修者10名の参加するクラスのいずれかが見学可能だ。

S弁護士としては、法科大学院がやたら強調する「プロセスによる教育」とやらが、半年間でどれだけ新入生に威力を発揮して教育効果を上げているのか知りたいと思ったので、迷わず新入生クラスを希望した。

なんでも教室は地下にあるそうだ。京大在学中に、勉強会でJ(法学部)地下といえば薄暗い雰囲気があったので、地下の教室とはどんなところや??まさか薄暗くって変なとことちゃうやろな、と自問自答しつつ、弁護士会のエライ先生に続いて、S弁護士は階段を下りる。

地下とはいえ、蛍光灯が煌々と灯り、明るい。
未だ節電状態継続中で、蛍光灯が間引きされ、まっ昼間でも薄暗~い大坂地裁や高裁の廊下とは打って変わって、非常に明るい雰囲気である。
ただ、何となく司法研修所の「いずみ寮」のように、妙に真っ白で病院的な雰囲気が漂っていなくもない。なにもそこまで、司法研修所っぽい雰囲気を出さなくても良いのにと、S弁護士としては思うのだが、教室の中に入ってさらに驚いた。

教壇に向かって、半円形状にまた階段状に机が並べられている。50~60名は優に座れるだろう。机の広さや椅子の間隔から考えれば、司法研修所の教室よりも立派かも。教壇の後ろには巨大なホワイトボード。机のフタを開けてみるとノートパソコンが入っている。盗難防止用にワイヤーでしっかりとつながれているのが、将来の、優秀で人格高潔な法曹を養成する法科大学院としては泣けるところだ。
教員の方が、教壇のどこかをいじると、ガイィーン・・・と音を立てて、巨大スクリーンが降りてくる。パワーポイントで作ったと思われるレジュメがその巨大スクリーンに投影される。
おおっ、なんだか、ガルマ・ザビの葬儀の時みたいでかっこいいぞ。昔はガンダムファンだったS弁護士は、心の中でジーク・ジオンとつぶやいてみたりする。

でも、生徒は少ない。約13~14名程度しかいない。

だから、せっかくの教室も、がっらがらに空いている。貧乏性のS弁護士から見ると、こんな立派な教室・設備は、無駄な施設なんじゃないの、と思えてしまう。だって教室の5分の1も使ってないんだから、仮に今日の授業でパソコンを使うとしても40台以上のノートパソコンがむなしく眠っているのだから、そう思っても無理はない。

だが、それはそれで仕方がない。
法科大学院教育は少人数制・双方向教育が目玉なんだから、60名用の教室でも13名なんだ。それでいいんだ。それが売りなんだから。授業料だってそれを前提に設定しているはずなんだろうし、税金だって投入されている。無駄なんていうと、逆に崇高な法科大学院の理想とやらに、罰を当てられる危険があるかもしれない。

考え直して、教壇の真正面最後列の机にS弁護士は腰掛ける。

ありがたいことに、教員の方から、パワーポイントのスライド4枚分を一枚のB4判に印刷したレジュメ(4頁×2、第7回と第8回の分)を頂くことができた。

いよいよ、授業の開始である。

(続く)

ロースクール授業参観記~その1

大阪弁護士会からの案内で、某法科大学院の授業を見学する機会に恵まれた。
私は、これまで法科大学院制度反対の態度を取ってきた。時折誤解される方がおられるので念のため申しあげておくが、私は確かに、関西学院大学大学院法学研究科の非常勤講師も務めさせて頂いてはいるが、この大学院は法科大学院ではなく、修士課程の方なのだ。
その点ではきちんと、態度としては一貫しているつもりだ。

さて、授業参観当日、S弁護士は、集合場所と指定された法科大学院の建物に向かっていた。関西では誰もが知っている有名な大学だ。

近くの駅を降りると、いきなり、黄色に輝く伊藤塾伊藤真塾長の笑顔ドアップの大看板が立っていたりする。正門近くにはLECもあるようだ。営利社団法人の予備校が需要がないところに広告を出すはずがないので、この大学は伊藤塾やLECからは相当な需要が見込まれると判断された大学なのだろう。有名大学だし当然といえば当然だけど。懐かしいことに、大学浪人時代に足繁く通っていたゲーセンも数軒、まだこの界隈では生き残っているようだ。

秋とはいえ、あなどれない日差しを浴びて坂道を上る。途中、100円の自動販売機でお茶を買おうとしたら、売り切ればかりで、仕方なく130円で「綾鷹」を買うはめになった不運を嘆きながら、集合場所とされた法科大学院の建物へ急ぐ。

今ひとつ分かりにくい学内地図を見てようやく待ち合わせ場所の建物を発見した。

入ってみて驚いた。
ずいぶんと、立派なのだ。
シックな椅子が置かれた待合?の天井にはステンドグラスのような美しいガラス装飾が施されており、天井も高い。張り紙などもなく、清潔な印象だ。学生の密度が少ないのか、大学特有のがやがやした雰囲気もない。

私が在籍していた当時、外部の講師の方が「(教養部について)宇宙一汚い大学じゃないの」と宣った京都大学なんかよりも、はるかに学問の香りが漂っているんじゃなかろうか。
学究の塔は、こうでなくっちゃ、という感じである。

S弁護士は、そこで、大阪弁護士会の授業参観希望の先生方と合流する。
ところが、意外な事実が。
S弁護士は、大学までの、だらだら坂を汗をかきかき登ってきたのだが、何とエスカレーターがあったというのだ。多くの先生方は、当然そちらを利用したとのことだった。

完全に予習不足、情報不足だった。

誰もが認める人格者でいらっしゃる、森恵一先生が、Sさんは真っ正直だからと慰めて下さったが、S弁護士の気持ちは収まらない。

これでは、古文で習った、仁和寺を見学しようとして、末社などだけ見て満足して帰ってしまった僧のようではないか。

すこしのことにも先達は、あらまほしきことなり、吉田兼好は偉かった。

(続く)

65期修習生の採用お願いについて

また、弁護士会から、65期修習生を採用してやって欲しいというお願い文書がレターケースに届いている。

何度も言っているが、弁護士のニーズがあればどこの事務所も新人弁護士を雇用したくてたまらないはずなのだ。

しかし現実は違う。弁護士会が頭を下げて、どうか新人弁護士を採用してやって下さいと何度も何度もお願いしているのだ。

理由は明らかだ。弁護士のニーズがないからだ。

私は、この手のお願いが来る度に何時も思うのだが、この問題は、潜在的ニーズがある、弁護士はまだまだ不足している、と仰る(仰ってきた)弁護士の名前を公表してやれば良いと思う。それだけで、すぐに解決する問題のはずなのだ。

だって、ニーズがあるなら弁護士を雇用して、真っ先にそのニーズを開拓すれば良いだけだ。弁護士だって自由競争だというならば、その潜在的需要を真っ先に開拓したものが優位に立てるのは、子供だって分かるはずだ。弁護士が不足しているというのであれば、雇用したくても雇用できないからそういっているのだろう。だったら雇用すればいいじゃないか。

潜在的需要はホントはあるかどうか分からんがあるはずだ、自分で新人弁護士を雇用する必要はないがまだまだ弁護士は不足している、というのでは、あまりにも無責任な発言だ。

これまで潜在的ニーズ論や増員論を唱え続けてきた弁護士は、直ちに「私の事務所に来れば職はある。一緒に潜在的ニーズを開拓して、弁護士不足を解消しよう!」と、声を上げるべきだし、そうでないとおかしいだろう。
だとしたら、そのような弁護士を紹介してあげるだけで事は足りる。就職させてやってくれ、なんてわざわざ頭を下げる必要なんてないじゃないか。

潜在的ニーズ論弁護士、増員派弁護士、司法修習生、みんなハッピーじゃないか。

以前から日弁連や大阪弁護士会などでこの意見を何度か言ってきたが、日弁連会長も、大阪弁護士会会長もそうしてくれない。
最も効果的な就職対策だろうに、何をためらっているのか、私にはさっぱり分からない(皮肉です)。