肉体的に男性のトランスジェンダーの女性トイレ使用制限は違法、との最高裁判決に対する漠然とした感想~2

(前ブログの続きです)

 ちょっと脱線してしまったが、本判決の認定では、説明会で明確に異を唱えた女性職員はいなかったとし、その点についてかなり重視しているように読めた。しかし、仮に女性職員らが明確に異を唱えれば何らかの不利益を被る危険性も高く、明確に異を唱えにくい状況にあったと考えるのが自然ではないかと考える。

 「同性婚について見るのも嫌だ」とマスコミに述べた首相秘書官が、オフレコ発言であったにも関わらず、その事実を公にされ、世間にバッシングされ、更迭された事件も記憶に新しい。オフレコでもこの対応なのだから、説明会のように半公的な会合でトランスジェンダーに対する違和感を明確に表明したりすると、マスコミの餌食にされたりするなど、意思表明の危険性の高さは容易に想像できるはずである。特に国家の中枢で勤務する経産省の優秀な職員であれば、なおさらマスコミは喜んで記事にするだろう。
 この点最高裁は、明確に異を唱えた女性職員はいなかったのだから、特段の配慮をすべき職員の存在も認められないと形式的に判断しているようである。

 さらに最高裁は、上告人が職場と同じ階とその上の階の女性トイレを使用できない処遇を受けてから4年10ヶ月、上告人は使用している女性トイレで特に問題が生じさせていないこと、当該処遇の見直しが検討されなかったことも理由にしているようである。

 上告人が使用している女性トイレで問題を起こさないことは、問題を起こせば女性トイレを使えなくなるのだから当然である。
 そして、処遇の見直しがなされなかったことは、上告人以外の職員、周囲の女性職員も女子トイレ使用制限処遇が適切であると判断していたから、見直しの必要性を認めなかったということではないのだろうか。

 仮に同じ職場の女性職員が、上告人と一緒に女子トイレを使用することについて、違和感も羞恥心も刺激されず、何の違和感も羞恥心も感じずに受け入れられる状況になっていたのであれば、説明会で上告人が女子トイレを使用したいという要望を聞いていたのであるから、「私たちは大丈夫なので上告人に是非とも使わせてあげて欲しい」と、女性職員から上層部に申し入れることもできたはずである。
 そのような申し入れがなかったということは、周囲の女性職員としては上記の処遇について必要且つ適切と判断していたことになるだろうし、職場環境として必要且つ適切なら見直しの必要性は認められなかったのではないか。

この点、宇賀克也裁判官補足意見によれば
「上告人が戸籍上は男性であることを認識している同僚の女性職員が上告人と同じ女性トイレを使用することに対して抱く可能性があり得る違和感・羞恥心等は、トランスジェンダーに対する理解が必ずしも十分でないことによるところが少なくないと思われるので、研修により、相当程度払拭できると考えられる。」

と説示するが、果たして本当にそうなのか。

 何の根拠もないが、上記の違和感・羞恥心は、極めて本能的な感覚に近いものであり、教育・研修を受けた程度では簡単に払拭できるものではないように思う。そしてその違和感・羞恥心は、抱いてはいけないものなのか、払拭しなければならないものなのか。

 第三小法廷の最高裁裁判官は、全員一致で判決を下しているが、「人は理性的であり、キチンと教育を受ければ理解できるはずだ」という理想論を振り回し、実際に周囲が感じると思われる直感的な違和感・羞恥心について、配慮が少ないように私は、感じる。また、トランスジェンダーの方の生き方を認めるのが先進的であるという強迫的観念にも囚われているのではないかとも感じる。

 もちろん、トランスジェンダーの方をトランスジェンダーだという理由で差別することは許されるべきではない。
 しかし、周囲の人間に求めることができるのはそこまでであって、トランスジェンダーの方に対して直感的に抱く違和感まで持つなというのでは、行きすぎであり、思想良心の自由を制限しかねない発想につながりかねないのではないか。

肉体的に男性のトランスジェンダーの女性トイレ使用制限は違法、との最高裁判決に対する漠然とした感想~1

 トランスジェンダーの方に関する、最高裁第3小法廷令和5年7月11日判決を斜め読みしただけなので、特にまとまった内容ともいえず、ボヤッとした感想である。
 第1審から控訴審、そして本判決まで全部精査すれば感想は変わるかもしれないが、あくまで現時点の感想として記載しておく。

 上告人のトランスジェンダーの方は、性転換手術は受けておらず身体は男性であるが心は女性とのことであり(MtF)、自分の勤務部署のある階と、その上の階の女性トイレについては、勤務部署の女性職員が実際に使用していること等から、使用を制限される処遇を受けていた。
もちろん、それ以外の階の女性トイレなら使用できたようである。

 最高裁第三小法廷は、上記の使用制限処遇を違法と判断した。

 おそらく論点としては、経産省が、他の女性職員が上告人と同じ女性トイレを使用することに対する違和感・羞恥心等を重視してとった対応が、上告人の自らの性自認に基づいて社会生活を送る利益に対する制約として正当化できるかという点なのだろう。
 古いと思われるだろうが、私は、女性トイレ使用制限を違法としなかった高裁判決の結論に説得力を感じる。

 確かにトランスジェンダーの方が自らの認識する性にしたがって生きていく利益は重要である。しかし、トランスジェンダーの方の生き方に対して、周囲の人間が違和感・羞恥心を刺激されることがあるのも、また自然である。そのような違和感・羞恥心を感じることも、自らの性自認に基づいて社会生活を送っているからこそ感じるものなのではないのだろうか。

 いくらMtFトランスジェンダーの人だと頭で理解していても、女性の姿で勤務していたとしても、肉体的に男性である方が、同じ女子トイレを使うとしたら、直感的に違和感・羞恥心を覚える女性の方が多いのではないか。
 私の感覚では、その感情は、肉体的特徴から性を判断してきた生物学的な見地からは、極めて自然であり多数派が有する感情なのではないかと思われる。

 このようにトランスジェンダーの方が自らの生き方を貫こうとし、今までと違う配慮を周囲に求める場合、周囲の人の性自認に基づく違和感・羞恥心とぶつかることは当然考えられる。

 その場合、トランスジェンダーの方の自らの性自認に基づいた生き方と、トランスジェンダーに対して周囲の人間の抱く違和感等について、その価値に差があるのだろうか。


 私は双方に価値の差はないような気がするが、現実的には、トランスジェンダーの方の自らの性自認に基づいた行動の方を特別に優先・保護すべきような風潮が強いように(あくまで感覚としてだが)、私は感じている。

(続く)

珈琲 折り鶴 (岡山市)

 お店は、岡山駅から歩いて5分ほどのところにある。
 喫茶店らしい看板もなく、小さな入口なので、何のお店か一見しただけでは分からない。

 店主の藤原さんは、「まだまだ納得がいかなくて、ずっと勉強中です」と仰っていたが、深煎りネルドリップ珈琲の名店といって良いと思う。

 外の黒板には「店内は三席で営業。静かに珈琲を飲むお店です。」との記載がある。
 店内に入ると、磨かれた大きな天然木のカウンターに、間隔を空けて3席の客席があるだけ。
 メニューは「珈琲」のみである。
 一般の喫茶店にあるようなメニュー表はない。

 客席に座ると、薄い硝子でできたコップに透明な氷を入れたお水を、二つ折りにしたキッチンペーパーをコースター代わりに出してくれ、

「どのような珈琲にしますか?」

 と聞いてくれる。

 つまり、客が飲みたい珈琲を伝えると、それを実現してくれるというわけだ。

 私は、酸味のある珈琲が得意ではないので、「深煎りで苦みが美味しい、珈琲をお願いします。」と注文した。

 注文後、珈琲豆を選択し、計量。ミルで挽いていく。同時に、カップをお湯につけて温めていく。
 ミルの速度も豆に不要な熱を与えないように、あまり速い速度ではないように感じた。
 挽かれた豆を丁寧に、ネルに移し均していく。

 そして、暖めていたカップを取り出し、時間をかけてじっくりとネルの中にお湯を注いで、珈琲を淹れていく。

 おそらく何千回、何万回と繰り返されてきた動作なのだろうが、不思議と、「慣れ」を感じさせない。
 仕事として珈琲を淹れている感じがしないのである。
 おそらく、毎回が真剣勝負なのだろう。

 藤原さんは、ネルの中の珈琲豆の様子をじっと見ながら、お湯を注ぎ抽出している。

 藤原さんのネルドリップを見ていると、不意に、ごく小さな音で、ピアノのBGMが流されていることに気付いた。
 普段気にすることもないが、ふと、夜空を見上げたときに、「あぁ、星空の下にいたんだな・・・」という感じを受けるようなささやかさで、気付く人だけ気付いて聞けば良いというレベルのBGMだった。
 また、エアコンの稼働音次第では聞き取れない場合もあるが、ゼンマイで稼働している柱時計の振り子も、実直に、規則正しく、時を刻んでいる音を立てており、今この瞬間にも、時が流れているのだ、と気付かされる。

 BGMと振り子の音が聞こえやすいように頬杖をついて、目を閉じると、見えないのに藤原さんが珈琲を淹れている気配が、強く感じられる。

 満点の星空の下、悠久の時を感じながら、私の好みの味の珈琲を淹れてもらう。
こんな贅沢なことがあろうか・・・・。
 静かなお店でなければ、この感覚は味わえない。

 先に来ているお客がしゃべっているだけで、多分BGMも振り子の音も聞こえなくなるように思う。

 だから「静かに珈琲を飲むお店です」と、入口の黒板に書いてあったのだ、と納得する。

 出来上がって、出された珈琲の脇に、小さなカップが置かれた。
 「チェイサーとして、この珈琲をお湯で割ったものです。これで口を慣らしたり、珈琲が重い場合に口に含んで下さい。」
 との説明だった。

 藤原さんが私に淹れてくれたのは、ブラジル産の樹上完熟トミオ・フクダという銘柄だった。

 珈琲の味については、言葉では表現し尽くせないので、実際にお店に行って味わって頂くしかない。

 あれだけ手間をかけてネルドリップ珈琲を淹れ、僅か3席の客席で、静かな雰囲気を楽しませてくれて、お代は一杯550円なのだ。

 満席の場合は入口のドアに、現在満席のふだが出るようだ。

 かつて東京の大坊珈琲店で、ネルドリップの珈琲を何度か頂いていたが、閉店してしまい残念に思っていた。
 岡山に行く機会があれば、是非とも再訪したい珈琲店である。

折り鶴の入口 三席で営業、静かに珈琲を飲むお店です。などの記載がある。

折り鶴の店内 真ん中の席から入口に一番近い席の方向を撮影。コーヒーカップ、チェイサーのカップなどが見える。

メニューはこのとおり、「珈琲」しかない。

我妻榮記念館訪問~その4

 最後に案内して頂いたのは、母屋の2階にある、幼少時の勉強部屋である。

 かなりの急傾斜で、段差も大きい木製の階段(記念館HP、館内案内の写真でも確認できるが、めちゃくちゃ急である)を、恐る恐る上がると、2階の6畳ほどの部屋に入れる。

 そこには、火鉢と小さな木製の机が置かれている。

 この机で高校まで勉強していたと記載された、小さな張り紙がある。

簡素な勉強机。左側に民法講義、右側に雑記帳が置かれている。

我妻民法の精緻な体系から想像するに、我妻少年は、正座して勉強していたにちがいないというのが、私の想像である。

 我妻栄著 民法案内1~私法の道しるべ(勁草書房刊)の附録の記載によると、我妻榮は米沢中学校では5年間主席でとおし、卒業時の成績は平均96.7点という空前のレコードをたたき出していたとのことなので、神童の誉れ高かったのだろう。

 記念館訪問者の感想を記載する雑記帳も置かれており、我妻先生が使用していた机を使って、その雑記帳に記載することができる。

 子供の頃とはいえ、大学者が実際に勉強していた同じ机で、雑駁な感想を書くのは申し訳ない気がして、つい、正座して記載したように思う。

 私が簡単な感想を雑記帳に記載していると、管理人の手塚さんが、米沢市の大火のことを話してくれた。多くの家屋が焼け落ちる中、我妻先生の生家は、教え子や多くの方のバケツリレーなどの協力で奇跡的に焼失を免れたそうだ。

 すぐ近くには、やはり民法学者遠藤浩先生(学習院大学名誉教授、ダットサン民法の改訂も手がけている。)の生家もあったそうだが、そちらは火事で焼けてしまったとも聞いた。

 概ね、以上の展示が、全て無料で見ることができる。それでも入館者数は年間500人に満たない年が殆どのようだ。記念館だよりによると、入館者数は令和元年度364名、令和2年度252名、令和3年度163名となっている。新型コロナウイルスの影響もあるだろうが、もっと来館者がいても良いはずの施設だと痛感した。

 

 何度か書いたが、現状においても管理や保存に尽力されていることは良く分かるものの、相当貴重な資料もあるように思えたので、政府や自治体などが費用を出して、これらの貴重な資料を、より適切に保管する方法を考えるべきではないかと感じた。

 帰り際に、玄関付近で色紙・クリアファイル・講演集・記念館発行の「我妻榮先生」と題した小冊子を記念に購入した。

 今年は、我妻榮先生没後50年という節目の年であり、命日の10月21日をはさんで記念式典が行われるとのことである。私に訪問のきっかけを与えて下さった、勁草書房の竹田康夫さん、管理人の手塚さんも出席されるのだろう。

 式典の成功を祈念して、訪問記を終えようと思う。

丁寧に、ときには面白く解説・案内して下さった管理人の手塚さん。

我妻榮記念館訪問~その3

 つぎに、土蔵2階の展示室に案内して頂く。

 土蔵2階展示室は、身の回り品、講演のレジュメ、メモ類、図書整理箱にはいった判例カードなどが展示されている。

 展示されているギブスについて、管理人の手塚さんのお話によると、我妻先生は左足首の関節炎のためギブスを装着しておられたそうで、どうやら結核菌による関節炎だったらしいとのこと。

 図書整理箱には、判例メモ(の原本)がぎっしりと詰まっており、そのうちのいくつかがコピーされて、整理箱の上に置かれている。判例研究会で、各判例をメモ化して検討していたことが分かる。判例メモのコピーをざっと見ると、担当者であると思われる「平井」「四宮」「戒能」との記載があり、それぞれ筆跡が違う。

 おそらく「平井宜雄」「四宮和夫」「戒能通孝」らの大学者達が、我妻先生の判例研究会に参加していたのだろう。

 私も40年近く前、京都大学法学部で指導して頂いていた中森喜彦先生(現:京都大学名誉教授)の研究室で、似たような判例研究用カードを見たような記憶がある。

 今でこそ、判例の研究は判例誌や判例検索ソフトのおかげで簡単にできるが、そのような文明の利器がなかった時代には、人の手で事案や判断などをメモ化して整理する必要があったのだ。教科書に引用されている判例・裁判例も、一見簡単に引用されているように見えるが、実は、このように手間暇かけて整理された裁判例の中から選ばれたものなのだろう。

 手塚さんが開いて見せてくれた図書整理箱内の判例カード原本。箱の上には判例カードのコピーがいくつか載せられている。

判例カードコピー。よく見ると、手前3枚に右から平井・四宮・戒能の記載が右上になされているのが見える。

 どういうわけか、最近団藤メモで有名になった団藤重光先生の東大時代のノートの写しも、ファイルにとじられて保管されており、見せてもらえた。

ノートの表面に筆書きで科目や名前が書かれており重厚な印象を受けるノート(写し)。

おそらく万年筆で記載されたノート(写し)。その緻密さに驚くばかりである。

 私は司法試験受験時代に、民法総則で四宮和夫先生の教科書を中心に勉強し、不法行為に関して平井先生の教科書を参考にしたことがある上、刑法では大塚説になじめず団藤説を中心にしていた。

 司法試験受験時代には、教科書の活字でしか知りえなかった学者の先生達が、それぞれ活字や学説ではなく、人として、生き生きと感じられるのがとても懐かしく嬉しかった。

 ただ、判例カード等、資料の原本類については、やはり保管方法を考える必要があるのではないかと思った。もちろん費用の問題もあるのだろうが、除湿機程度の管理では、いずれ傷んで、失われてしまう危険性が高いのではないか。貴重な文化的遺産として国家の費用で大学図書館などでの原本保管・レプリカ作成等も考えても良いのではないだろうか。

(続く)

我妻榮記念館訪問~その2

 記念館は、一見すると2階建ての古い民家である。建物の前には、自動車が4台ほど駐車できるスペースがある。

 入館料は無料であり、当然駐車料も無料である。

 私が記念館に着いたのは、開館時間13時の少し前である、12:50頃だった。既に玄関の扉が開いていたことから、「ごめんください」と声をかけてみると、女性の事務員のような方が出てこられて、「管理人は、もうすこしで来ますので、どうぞお上がりください」と会館時間前に入れて頂くことが出来た。

 履を下駄箱に入れて家(記念館)に上がると、女性の方は、茶の間のを通って、八畳ほどの床(とこ)のある上段の間に案内してくれ、「管理人が来るまで、よろしければ、御覧になってください」と言って、我妻先生の生涯や業績に関するビデオを見せてくれた。山形県郷土学習ビデオ教材として、山形テレビが制作した「法律学者 我妻榮」という番組で、テレビの左下に「鑑賞希望の方はお申し出ください。」と書かれた表示がある。

 もし興味を持って記念館を訪問されるかたがいるなら、このビデオを見せてもらった方が、より我妻先生を身近に感じることができるし、展示されている資料の貴重さも理解しやすいと思う。

(茶の間から上段の間を撮影。女性の方がビデオをつけようとしてくれている。来館者の記帳をするノートが机の上に置かれている。右側には、これまで発行された記念館だよりがラックに入れられていた。)

 ビデオ拝観途中に、管理人の手塚さんが来られた。簡単なご挨拶のあと、「ビデオが終わったらご案内しますね。」と言って下さる。

 わざわざ、管理人の方にご案内して頂けるとは思っていなかったので、これは、いつものことなのか、ラッキーなのか、訪問についてメールで問い合わせをしていたからなのか、ひょっとしたら竹田康夫さんが連絡して下さったのかもしれない等の思いが、一瞬浮かぶ。

 ビデオは非常に分かりやすい作りだったので、中高生でも我妻先生の凄さの大まかな点はつかめるのではないだろうか。

 ビデオが終わると、管理人の手塚さんが、「どうぞ、こちらへ」と、案内してくれた。

 まずは、資料を展示している土蔵の方へ向かう。

 分厚い扉が観音開きになった土蔵には、母屋から直接入ることができる。私の勝手なイメージでは、蔵は居住家屋と別棟で建っていることが多い。大学受験浪人時代、私が間借りしていた京都の古い町家の蔵も、小さな中庭の中に別棟で立っていたため、これは、記念館とするために別棟だった土蔵を母屋から直接行き来できるように改築したのではないかと推察する。(ちなみに、浪人時代に私の間借りしていた部屋は、エアコンはもちろん外につながる窓がなかったため、夏場の京都の酷暑はどうしようもないくらいきつかった。家主のおばあさんが台所で干物を焼くとその煙が立ちこめたし、隣の部屋を間借りしていた浪人生が、トイレに行ったり外出する際には、必ず私の借りた部屋を通らなくてはならず、プライバシーも0に近かった。)

 手塚さんの案内で、土蔵1階にはいる。

(土蔵1階展示室) 

 写真のとおり、天井は低い。中央に東大法学部部長時代に愛用された机がおかれている。東大法学部長とはいえ、簡素な机であり、もっと広い方が研究しやすかったのではないかと勝手に思ってしまう。

 机の上には、洋行時の手紙等の原本がファイルに入れられて展示されている。洋行時の状況等について、手塚さんが簡潔に、ときには面白く解説してくれるので、分かりやすい。

 硝子ケースには、著書とその原稿が並べて保管されている。日本民法界に大きな影響を与えた、民法講義の原稿も展示されている。フェリーの時間が迫っていなければもっとゆっくり見ることもできたと思うのだが、短時間で切り上げなければならなかったのが少し残念であった。

 除湿機は作動し硝子ケースに入っていたものの、それ以上の保管に費用を費やしている様子が窺えず、無造作に原稿の原本が置かれているように見えたので、これらの資料について電子データ化して保存されているのか、本来なら原本を厳重に管理して、レプリカで展示するべきではないのか、と少し不安に思った。

(続く)

 

我妻榮記念館訪問~その1

 もう、四半世紀近く前になるが、私は、司法試験受験時代、短答式試験の直前に一粒社から出版されていた我妻榮・有泉亨著、

「民法1 総則・物権法」(川井健 補訂)

「民法2 債権法」(水本浩 補訂)

(いわゆる「ダットサン民法」である。)

2冊を、一日半ほどで一気に通読して、試験直前の民法知識の整理をするのが常だった。

 まだ縦書きの本であったが、「通説の到達した最高水準を簡明に解説すること」を目的としており、小型ながらパワフルということから、ダットサンの愛称がつけられていて、短答試験直前の知識の整理には最適だった。

 著者の我妻 榮(わがつま・さかえ)先生は、日本民法界の巨星である。我妻先生が打ち立てた民法体系は、理論的に精緻であるだけでなく、結論が常識的であることもあって、受け入れやすく通説中の通説となることが極めて多かった記憶がある。

 司法試験合格後に、司法修習で訪れた全ての民事裁判官室に、我妻栄著「民法講義」(岩波書店刊)全巻が書棚におかれていたし、裁判官協議中に何か疑問点等が出た際に「我妻にはどう書いてある?」等と話題になっていたこと等からも、実務界にも多大な影響を与え続けていることは実感できた。

 ところが、ダットサン民法を出版していた一粒社が廃業してしまったことから、ダットサン民法はしばらく絶版になっており、私は残念に思っていた。

 その後、かつて一粒社に勤務されダットサン民法の担当をされていた竹田康夫さんのご尽力等もあり、勁草書房からダットサン民法が発刊されることになった。

 勁草書房に勤務されるようになった竹田康夫さんと、ふとしたことから、簡単ではあるが交流して頂けることがあり、竹田さんから我妻榮記念館が発行している「我妻榮記念館だより」の記事を頂いたのが、我妻榮記念館訪問のきっかけである。

http://www.yonezawa-yuuikai.org/introduction/pdf/wagatuma_dayori/wagatuma_dayori25.pdf

(続く)

我妻榮記念館は、山形県米沢市にある。

 

管理される方の都合もあるのだろう。常時開館されているわけではなく、月・木・金・日の13時から16時が開館時間となっている。ただ、それ以外の時間に見学を希望される人は事前にご連絡くださいとHPに記載があるので、開館日でなくても見学できる場合があるかもしれない。

我妻榮記念館のHPアドレスは

我妻栄記念館 (wagatumasakae.com)

である。

団藤メモによる大阪国際空港騒音訴訟判決への介入に関して~3

 さて、今回の大阪国際空港騒音訴訟の話に戻ります。
 

 日本は立憲主義国家です。


 憲法により国民の人権を保障し、他方で三権分立制度を定めて国家権力の暴走を防ごうとしています。

 日本が国民の人権を保障している以上、大阪国際空港を利用する人や社会経済的利益(多数派の利益)だけではなく、大阪空港周辺で騒音被害に悩んでいる人たち(少数派)の人権も考慮する必要があります。

 先程述べたように、裁判所が他の権力から全く影響を受けずに、当事者の主張と証拠だけに基づいて、どちらが理に適った正しい主張をしているのかを判断し、勝敗を決めるのであれば、政治勢力の分野では多数派に分があっても、少数者が多数者よりも理に叶った正しい主張をすれば裁判で勝てる可能性があります。


 そのような場合、政治部門では多数派が勝利していても、裁判では少数者が勝利し、少数者の人権が守られる可能性が出てきます。

 しかし、裁判所が政府機関からの影響により、当事者の主張に加えて政府の意向も採り入れて判断し、裁判の勝敗を決めるのであれば、それはもはや公正な裁判とはいえません。

 そして、そのようなことを一度でも許せば、政府は味をしめてその後も裁判に干渉してくる可能性が生じますし、国民も一度でも政府にひれ伏した裁判所が、本当に公平・公正な裁判をしてくれるのかと、裁判所(司法)を信じられなくなります

 これでは、人権保障の最後の砦であるはずの裁判所(司法権)の公正さと、司法権に対する国民の信頼が失われるかもしれず、人権保障の大きな危機といわざるを得ません。

 ですから、このようなことは絶対に許してはならないのです。

 詳細はまだ分かりませんが、報道によれば、夜間飛行差し止めに関して、団藤判事が所属していた第一小法廷が国を負けさせる判断をしていたところ、国が大法廷での審理を求める「上申書」を提出し、その翌日に元最高裁長官から大法廷で審理するよう要望があったということのようです。


 団藤判事は、この要望について「介入」だと判断されていたようです。

 実際に最高裁は、第一小法廷で審理が終わっていたにもかかわらず、大法廷に事件を回し、大法廷では逆転で国が勝訴する判決が出てしまっています。

 常識的に考えれば原告の地域住民が、元最高裁長官を動かせるわけがないので、おそらくは、国側が元最高裁長官を動かして、大法廷で審理するよう圧力をかけたと考えるのが素直でしょう。場合によれば、第一小法廷以外の最高裁判事にも国側を勝たせるよう圧力をかけていた可能性も否定できません。

 もしそのような事実があったとすれば、この国側の行為は、憲法が人権保障のために定めた三権分立と司法権の独立を踏みにじる極めて重大な問題であって、到底許されて良いものではありません。

 仮に報道が事実で、介入の事実があったのであれば、人権保障の理念を無視して介入してきた国が悪いのは当然です。しかし、私としては、そのときの最高裁判事の方々は、なぜ、不当な介入があった事実を国民に公表して、司法権の独立を守る行動を取らなかったのかという点が疑問にも思われます。

 最高裁判事の地位は、名実共に日本の司法権のトップを占める地位ですから、捨てがたい魅力のある地位でもあるでしょうし、国と対立して自らの地位を失うことを恐れたのかもしれません。

 司法権は三権の一翼と言われながらも、裁判所の予算額は国家予算の僅か0.305%しか与えられていません(2021年裁判所データブック)から、国と対立して更に予算が減らされるなどされ、司法権が弱体化する危険性を恐れたのかもしれません。

 仮にそうでないとしても、国家の悪事を公表することで生じかねない社会生活上の混乱を避けようと配慮されたのかもしれません
 若しくは、国からの圧力を知らなかった判事もいたのかもしれません。

 しかし、私は社会生活上の混乱が多少生じても、人権を守る最後の砦である裁判所に国が介入してきたという極めて重大な問題を、広く公表して国民の適切な判断に委ねるべきだったのではないかと、考えます。

 裁判所の人権保障機能をもっと国民に分かって頂き、裁判所予算も、もっと多く投入すべきと訴えてもよかったのではないかと思います。
 

 いずれにせよ、国が自ら勝訴するために司法権(裁判所)に介入したという極めて許されない事件であることは、どうやら間違いないようなので、今後絶対にこのような介入を許すことなく、キチンと政府を国民が監視していく必要があるのだと感じます。

(この項終わり)

団藤メモによる大阪国際空港騒音訴訟判決への介入に関して~2

 特にモンテスキューは、「恐るべき裁判権」と表現していて、裁判権を行政権から分離させた方が良いと考えていました

 モンテスキューが目にしていた当時の裁判は、官房司法(君主が行う裁判)と呼ばれ、政府が行う行政の一環として裁判がなされていました。もちろん政府が裁判を行うわけですから、当然政府の味方をする裁判であり、決して公平・公正な裁判ではなかったのです。ですから国民が、政府相手に裁判を起こしても結果は政府の勝訴とほぼ決まっており、決して公正な裁判は行われず、国民は裁判では救われないし、他に救われる道も見出しにくい状況でした。

 このような裁判が行われる国では、政府がどれだけ国民の人権を踏みにじっても、裁判で政府の行為を正すことができないので、国民の人権は守ることはできません。

人権保障に反するのです。

 また、モンテスキューの時代ではなく、近代の立憲民主国家であっても、選挙で多数を占めた人たちの意向で法律は決まりますし、行政は法律に従って実行されますから、力の強い人たち(多数派)が政治部門(立法・行政部門)では優位に立っていることになります。

 多数派の人たちは、自分達にプラスになるように法律を作ったり、行政を行いますから、その過程で少数派の人たちにマイナス面を与える場合もあります。

 このような場合、多数派ではなく、少数派の人たちの人権をどうまもればいいのでしょうか。
 多数派が決めたことがどんなに少数派にとって理不尽でも、少数派の人たちは従わなくてはならないのでしょうか。
 仮にそうなら、少数派の人たちの人権は保障されているとはいえません。

 近代国家では、少数派の国民の人権を無視して良いわけではありません。国民は個人として尊重されますから、多数派だけでなく国は全ての国民の人権を保障する必要があります。
 とはいえ、先程述べたように政治部門(国会・内閣)では、どうしても多数派の意向に添わざるを得ない状況は変えられません。

 このように、政治部門が多数派の意見に添わざるを得ないことは動かせませんから、その状況下でどうやれば、少数者を含めたすべての国民の人権保障ができるのでしょうか?

 これは難題といえそうです。

 でも、裁判所(司法権)が、多数派(政治権力)に全く影響をうけないのであればどうでしょう。

 裁判所においてだけは、政治的な力の強弱ではなくて、どちらの主張が理に適っていて正しいのかという面だけで判断してくれる、すなわち裁判所が権力に影響されない公平な立場で、公正な判断をしてくれるのであればどうでしょう。

 仮に多数派の人たちが政治勢力により、少数派の人たちを理不尽な目に遭わそうとしても、裁判所により少数派の人たちの人権が守られる可能性が出てくるのではないでしょうか。

 だからモンテスキューは、人権保障のために、裁判について、他の権力からの影響をゼロにしたかったのだと考えられます。

 多数派に牛耳られることのない裁判所(権力に影響されない、純粋な法原理機関としての裁判所)が、多数派の意向ではなく、どちらの主張が理に適っていて正しいのかという観点だけから判断をして判決するのであれば、(少数派を含めた)全国民の人権保障に役立つはずです。

 裁判所が人権保障の最後の砦といわれるのは、概ねこのような理由もあるからです。

 日本国憲法も司法権の独立(裁判官の独立)を明言し、他の権力が裁判に影響を及ぼすことを禁じています。

(続く)

団藤メモによる大阪国際空港騒音訴訟判決への介入に関して~1

 先日、大阪国際空港騒音訴訟最高裁判決について、団藤重光元最高裁判事のメモから、司法権に対する行政の介入があったのではないかと問題になっています。

 多くの人から見れば、「へ~、昔はそんなことあったんだ。」で、済ましてしまう報道かもしれませんが、実は司法権への行政(国家権力)の介入は大問題なのです。

 私なりの理解(私は憲法学者ではないし、報道しか情報がないので間違いがあるかもしれませんが、その点は予めご容赦ください。)から、問題点について大雑把に少し説明したいと思います。

 日本は国民主権ですから、国の帰趨を決定する権限は最終的には国民が有しているということになります。ただ、国の権力である、立法権・行政権・司法権、はそれぞれ国会・内閣・裁判所と3つに分けて与えられています。

 このことを三権分立と呼ばれることは知っているでしょうし、多くの人は中学校などでも習った記憶があると思います。

 そもそも三権分立はフランスの哲学者モンテスキューが「法の精神」という本の中で提唱したものです。モンテスキューは、国家の権力を立法・行政・司法の三権に分けて権力の集中を避け、更にそれぞれの権力がお互いを監視し合うことによって、国家権力の暴走を防ぎ、国家権力による人権侵害を防ごうとした目的だと考えられます。

 極論を言えば絶対王政の国では、絶対君主が自分の都合で法律を作り、自分の都合で法律を執行し、自分の都合で裁判ができたわけです。

 たとえば、そのような絶対王政の国家で、王様が、行列の際に見かけた坂野の顔がどうも気に食わず、王様に「あいつ(坂野)は気に食わん」と思われたらどうなるでしょうか。

 王様は、私の行動の自由や財産を奪う法律を作ったりして(立法)、私の身柄を拘束したり財産を奪ったりすることもできますし(法律の執行≒行政)、私が「王様の行動はおかしいので止めさせてください」と裁判所に訴えても、その裁判も王様の都合で判決が出せますから、判決は王様の勝ちになる(司法)、ということになります。

 つまり、坂野でなくても、その国の誰もが、どんな理由であれ王様に睨まれたらもう助からないことになってしまうのです。

 これでは、その国の人々は王様を恐れてビクビク暮らさざるを得ず、国民の人権は到底守れません。

(続く)