善き羊飼いの教会(夕刻・近景)
既に閉まっている教会。教会内には、もう誰もいない。
窓から灯りが洩れているように見えるが、実際は、夕日の残照が窓を通して見えているものである。
コンパクトデジカメしか使えないので、シャッタースピードが遅くなり、ねぐらに帰る鳥たちがぶれてしまったのが、残念。
静かに、そしてひんやりと澄んだ夕刻の感じが伝われば、良いのだけれど。
気付いたことなど不定期にアップしていきます。
善き羊飼いの教会(夕刻・近景)
既に閉まっている教会。教会内には、もう誰もいない。
窓から灯りが洩れているように見えるが、実際は、夕日の残照が窓を通して見えているものである。
コンパクトデジカメしか使えないので、シャッタースピードが遅くなり、ねぐらに帰る鳥たちがぶれてしまったのが、残念。
静かに、そしてひんやりと澄んだ夕刻の感じが伝われば、良いのだけれど。
テカポ湖を背景にした、善き羊飼いの教会(遠景)。
こちら側にある教会の入口の扉は開いており、教会の奥側の壁には湖を見渡せる大きな窓がついているため、この写真では、教会を通して湖の蒼さが見えている。
近くで見るのもよいが、ちょっと離れて見ると、教会周辺の観光客も気にならない写真が撮れたりする。
世界で最も夜空が美しいといわれる、NZテカポ湖畔の夜景。
宿のベランダから撮影した記憶がある。
残念ながら月夜であったが、テカポ湖に月光が反射して宇宙からの贈り物を目にしたように思えた。
テカポは小さな街であるが、「善き羊飼いの教会」という、かわいい教会が有名。
このあたりは人口密度が低いので、夜は殆ど車も通らず静かである。
GWに出かけたので、NZは晩秋。
外は肌寒く、近くの家から薪を焚く匂いが漂ってきた。
私は、何故か思春期の頃の自分の記憶を思い出していた。
ベネチアで見た猫。
猫って奴はどうも良く分からない。
逃げている途中、立ち止まって耳を掻いてみせたりするのだ。
もちろん耳をかいている途中で、こちらがさらに追いかける素振りを見せると、すっ飛んで逃げるのだが(笑)。
ベネチアのお土産屋さんのウィンドウに、実によくおさまっていたので、つい撮影。
先日掲載した、ストックホルムの鐘楼の遠景。
ストックホルムは港町でもあり、高台から見るとそれを強く感じられる。
シリアラインなどのフェリーを使えば、ヘルシンキ(フィンランド)、タリン(エストニア)、リガ(ラトビア)等にも行ける。
実際に、タリンとリガには、飛行機ではなくここからフェリーで出かけたことがある。
ちょっとさみしげな雰囲気と水の都という感じがして、気に入っている一枚である。
これも何年か前の年賀状に使った写真である(と思う)。
毎年、年賀状は自分が撮影した写真を使っているのだが、以前の年賀状を保存していないので、これまでの年賀状にどの写真を使ったのか、ちょっと記憶が曖昧になっている。
・・・・黄昏時に街歩きをしていたら、橋のあたりから鐘楼が見えた。
鐘楼を左右対称に撮ろうと思って望遠で狙ったものだが、左右で少しずれていた(星のような飾りでズレが分かる)のがちょっと残念。
でも背景の雲が良い感じで、不思議な雰囲気は出せたように思う。
場所はストックホルム。
以前のブログに掲載したときの題名は「空中ブランコ」だった。
私は、海外旅行に出かけた際にサーカスにも行きたがる癖がある。
これはミュンヘンのクローネ・サーカスでのもの。
劇場もテントではなくちゃんとした建物で、正統派のサーカスという印象があり、何度も観覧しているが、飽きないし、その度に楽しい。
ミュンヘンの子供達は、クローネ・サーカスを見ることができるというだけでも幸せなのだろうと思う。
2020年の年賀状に用いた写真。
晩秋に、阿蘇周辺の瀬の本高原から、久住高原に向けて車で走行中に撮影した。
写っているのは、ライダーで、この近くにバイクが止めてあった。
ライダーを入れない構図も考えられたが、ライダーを入れた方が雲海の壮大さが伝わるように感じ、結果的にそれは正解だったように思う。
ノルウェーの北極圏内にあるポーラーズーにて撮影。
私には、海外旅行で動物園に行きたがる癖がある。
ポーラーズーは確かノルウェーのトロムソから自動車で2時間くらいのところだったと思うが、人が育てたオオカミと、じかに遊べるという、犬派の私には垂涎の動物園である。
私が訪れたときは、「今日の、オオカミとのふれあいは、お客が少ないからやらねー」とのことで、とても残念だった。
とはいえ、金網越しではあるが、丘の上から、あたりをじっと睥睨していたボス的なオオカミは、写真のとおり実に格好良かった。
上下が反転しているのではないかと思われるかもしれないが、これで上下は正しい。
つまり、湖面に映った対岸の景色を被写体にしたのでこうなっている。
実際には湖面に映った景色に印象派の絵画っぽい感じが出ていて、興味深かったのだが、そのときの私の受けた印象まで切り取れているかと問われると、微妙なところか。
中秋の早朝でひんやりしていたが、湖畔の道では、ジョギングをする人、犬の散歩をしている人等が、かなり多かった記憶がある。