10月13日午後7時から、BS-TBSで、新海誠監督の映画、「雲の向こう、約束の場所」が放送されるという報道を目にした。
映画自体は、2004年公開だったと思うから、もう20年になる。当時思春期だった人たちも30代後半~40代に近づいているだろう。
私は公開当時この映画を見ておらず、後で、DVDを購入して見た。
まだご覧になっていない方には、強くお勧めする作品である。
もう13年も前になるが、私は2011年10月27日に、映画を見た私は、ブログに少し長めの感想記事を投稿している。思い違い等もあるかもしれないが、映画鑑賞直後の新鮮な私の受けた印象を記載しているので、「へぇ~、この映画について、こんな見方をする奴もいるんだなぁ~」程度で読み流してもらえれば幸いである。
但し、私のブログ記事は、ネタバレを含むので、まだ映画を御覧になっていない方で、気になる方は、映画を見てからお読みになることをお勧めする。
(私のブログ記事~映画の感想・ネタバレあり~ここから)
以下、ネタバレを含む私の感想である。私はDVDを見ただけであり、パンフレットなどの関連書籍等も一切読んでいないので、思い違いや不正確な部分があるかもしれないし、後で考えが変わるかもしれないが、映画を見た者としての現時点での感想として、お許し頂きたい。
最初に、この映画を見終わったときに、まず、ノスタルジックで美しいという印象を受けた。しかしその中で、いくつかの違和感を感じた部分があった。
違和感に関連するのは、
まず、主人公ヒロキの「あの遠い日に、僕たちはかなえられない約束をした。」というモノローグである。
つぎに、冒頭に大人になったヒロキがタクヤと一緒に飛行機(ヴェラシーラ)を作っていた思い出の地を訪れるのだが、そのときヒロキが一人であり、決して楽しそうな表情を浮かべているわけではない、ということ。
サユリが廃駅跡から落下しそうになったときにヒロキが手をさしのべるが、そのときサユリが「以前にも私たち・・・・」と語ること、
ユニオンの塔まで飛行する前日の眠りで、夢の中の教室で再会したサユリに対して、ヒロキが帰ろうとする際に、「おやすみ」と声をかけること、
そして、ユニオンの塔まで飛行し、長い眠りから覚めたサユリが、夢の中でヒロキ君と呼んでいたにも関わらず、目覚めたときにヒロキに対して藤沢君と呼びかけること。
彼女はいつも何かをなくす予感があるといっていた、というモノローグ、
等である。
「雲のむこう、約束の場所」という映画の題名から考える限り、ヒロキのモノローグで言うところの「約束」とは、タクヤと一緒に作った飛行機ヴェラシーラで、サユリをユニオンの塔まで連れて行くことと解釈するのは素直かもしれない。しかし、ヒロキは実際にはタクヤの協力を得てヴェラシーラを飛ばし、ユニオンの塔までサユリを連れて行きサユリの長い眠りを覚まさせているのである。
つまり、上記の意味での約束であるならば、約束はかなえられているのだ。
だが、ヒロキの「あの遠い日に、僕たちは、かなえられない約束をした。」というモノローグは、その経験の後において語られている。
どこか引っかかる。
確かに、ヒロキとタクヤとサユリは3人で、一緒にユニオンの塔まで飛ぼうと中学生の時に約束をしている。そして、その約束はかなえられた(3人一緒という意味では約束は叶っていないが、元もとヴェラシーラは2人乗りなのでこの点は考えない。)。しかも「かなえられない約束」というモノローグは、あくまでヒロキ一人の発言でしかない。もし3人で交わした約束がかなえられていないのなら、タクヤもサユリも同じ言葉を述べていてもおかしくはない。だがそのような場面は見あたらない。
おそらく別の約束があったのではないか、そういう視点で、この映画を見てみると、ヒロキがサユリともう一カ所約束をかわしていると思われる場面がある。
サユリのいた病室で、夢を通じて惹かれあい、求め合っていたヒロキとサユリが、夢の中で再会するシーン(お互いが「ずっと・ずっと探していた・・・」と話すシーン)の続きに、ヒロキが「(正確ではないかもしれないが)これからは、ずっと一緒にいてサユリを守るよ、約束する。」という言葉を交わす場面があるのだ。その場面のあと、ユニオンの塔の活動が活発化して沈静化するシーンが描かれるが、その直後にもう一度「あの遠い日に、僕たちは、かなえられない約束をした。」というヒロキのモノローグが入る。
ユニオンの塔まで飛んだ後でも、なお、残った「かなえられない約束」という点から考えると、ヒロキのいう「かなえられない約束」とは、「これからずっと(一緒にいて)サユリを守る」という約束と考えるほうがよさそうだ。
ヒロキとサユリの約束であれば、なぜ、サユリがその約束を語らないのか。それは、夢から覚め、現実に戻ることと引き替えに、サユリは夢の中での記憶を全て失ってしまったからだ。サユリが夢の中で、その存在を感じ、求め続けていた、ヒロキへの思慕の感情、サユリはそれを目覚めるとなくしてしまうことに気づき、目覚めの直前、必死で祈る。「この気持ちをヒロキ君に伝えられたら他には、もう、何もいりません。」とまで祈るのだ。
しかし、現実に目覚めたときに、夢の中で育み続けてきたヒロキへの想いは、無残にも消え去ってしまう。だからこそ、目覚めたときに真っ先にヒロキ君と呼びかけておかしくないサユリが、藤沢君、と若干遠慮がちな呼びかけになってしまっているのではないだろうか。
確かに、サユリは目覚めた後、ヒロキに取りすがって泣く。しかしそれは、決して夢から覚めたうれしさや、夢の中で求めていたヒロキに再会できたうれしさの涙ではないだろう。夢の中で育み続けてきたヒロキとサユリの想いについて、サユリにはその想いがかつてあったことすら全く記憶から失われてしまったのだ。サユリは、もうヒロキとの夢の中であるが故に純粋に結晶化した想い自体の存在すら、忘れてしまったのだ。このときのサユリの涙は、なにか分からないが、極めて大事な何かをなくしてしまった、というサユリの漠然とした巨大な喪失感を感じているからこその涙だったのではなかろうか。
一方ヒロキにとっての現実は極めて残酷だ。サユリとの夢の中での邂逅、惹かれあい、求め合った時間、その感覚は、夢の中でのものであるというその純粋さ故に、全てヒロキの記憶に鮮明に残っている。しかし、現実に戻ったサユリの中では既にその記憶は跡形もないのだ。ヒロキはサユリが目覚めた直後、「何か大事なことを伝えなきゃいけないのに、忘れちゃった・・・・」と泣くサユリに対して、「大丈夫だよ、もう目が覚めたんだから」となぐさめる。
しかし、現実はそうではなかった。もしサユリが、夢の中でヒロキと2人で育んだ純粋な思いを覚えていてその想いが実現したのなら、ヒロキが約束通りサユリをずっと守っていられたのなら、冒頭のシーンでヒロキとサユリは二人で思い出の場所にやって来ていてしかるべきだ。
だからこそ、冒頭にヒロキは「現実は何度でも僕の期待を裏切る」と語っているのではないか。
「かなえられない約束」をした日が「あの遠い日」であるというのも、こう考えれば頷ける。一緒に約束を交わしたサユリが、そのときの記憶を失った以上、もはや、サユリと約束を交わした日は、ヒロキだけに残された遠い遠い記憶の中にしかないのだから。
このままの時間がずっと続いていくように、なんの疑いもなく感じられた思春期。この痛いほど純粋で壊れやすい思春期の記憶を新海誠監督は、ついにかなえられることのなかった、ヒロキとサユリとの第2の約束になぞらえたように思えてならない。サユリは、夢の中のあまりにも純粋であったヒロキとの心の交流(思春期の記憶)を失い、巨大な喪失感と引き替えに現実に目覚め、大人へと成長していく。
現実に目覚めることによって、大人として現実に適合していかなければならないときに、無残に失われ、封じ込められていく、あまりにも儚い思春期の記憶。
どこか切なく、ノスタルジックな、(過剰ともいえる)映像の美しさも、この人生の宝物のような思春期の記憶を表現するためだと考えれば納得がいく。
ここまで考えたとき、私は、サユリが、目覚めてからヒロキが思い出の場所を訪れるまでの間に、死んでいてくれればいいのにとさえ、思ってしまった。
仮に、サユリが死んでしまったのであれば、ヒロキも納得がいくかもしれない。あの美しい思春期の(夢の)記憶を一人でヒロキが胸に抱えたまま、しかしサユリが別の人と生き続けていたとしたら、あまりにもヒロキにとって、つらいかもしれないと思ったからだ。
だがおそらく、サユリは他の人と別の道を歩み、ヒロキは、この痛みを抱えつつ生き続けているはずだ。
映画の最後に流れる、エンディングソング「きみのこえ」の歌詞はこのようになっているのだから。
「きみのこえ」 作詞新海誠 作・編曲 天門
色あせた青ににじむ 白い雲 遠いあの日のいろ
心の奥の誰にも 隠してる痛み
僕のすべてかけた 言葉もう遠く
なくす日々の中で今も きみは 僕をあたためてる
きみのこえ きみのかたち 照らした光
かなうなら 僕のこえ どこかのきみ とどくように
僕は生きてく
日差しに灼けたレールから 響くおと遠く あの日のこえ
あの雲のむこう今でも 約束の場所ある
いつからか孤独 僕を囲み きしむ心
過ぎる時の中できっと 僕はきみをなくしていく
きみの髪 空と雲 とかした世界 秘密に満ちて
きみのこえ やさしい指 風うける肌
こころ強くする
いつまでも こころ震わす きみの背中
願いいただ 僕の歌 どこかのきみ とどきますよう
僕は生きてく
きみのこえ きみのかたち 照らした光
かなうなら 生きる場所 違うけれど 優しく強く
僕は生きたい
映像だけではなく、音楽も実に素晴らしい映画である。いろいろ考えていると美しい夕陽がどうしても見たくなる、そんな映画だ。
一度ごらんになることを、強くお勧めする。
(ブログ記事ここまで)