諏訪敦個展「眼窩裏の火事」(府中市美術館)~その4

 私は、三菱地所アルティアムでの個展では展示されていなかった(と思う)HARBIN 1945 AUTUMNをメインにじっくり見たいとおもっていた。


 
 多くの人々の歴史を見てきたと思われる使い込まれた、しかしよく手入れされている階段には、女性の影とも思われる翳りが投影されており、その翳りからすれば確かに逆光の中に女性は実在しているはずである。それなのに、踊り場には翳りを落とすとは思われない女性の光る幻影しか見出せない。とは言いながらも、幻影の中から美しい右素足だけが現れている(若しくは、今まさに消え去ろうとしている女性のイメージの最後に残った素足の幻影を、私たちは見せられているのかも知れない)。

 かつてこの階段を利用し、通り過ぎていった人々の歴史や多くの想いを、諏訪先生がこのような幻影に代表させる形ですくい取り、表現したのではないか・・・。人々の想いは、昇華され、光る結晶と化しているのだろうか・・・。

 最初に印刷媒体でこの絵を見た際には、小学校の誰もいない校舎に忘れ物をとりに戻り、ふと自分がたった1人で校舎にいることに気付いた感覚、遠くの校庭から他の子どもたちの歓声が遠くに聞こえ、他の子どもたちは確かに実在しているはずなのに、その声や存在に現実感はなく、かえって自分が1人であることを強く感じさせられる感覚、をイメージしていた。

 実際にHARBIN 1945 AUTUMNを見て感じたのは、概ね上記の感覚に近いものであったが、それだけではなかった。

 上手くは言えないが、さらに加えるならば、「現時点において階段で、遠くの子どもたちの声を聞きながら、自分はたった1人なのではないかと感じている」のではなく、「その階段にかつていた自分が、遠くの子どもたちの声を聞きながら感じてしまった、どうしようもない孤独感を、より純化して、今、想起している状態」を表現しているような印象を受けた。
(※あくまで、私個人の印象です。)

(続く)

(個展パンフレットより。右側下段が「HARBIN 1945 AUTUMN」)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です