※出発は条文から
日本は判例法の国ではなく、成文法の国である。だから、法的問題の解決を図ろうと考えた場合には、まず条文に依って解決を図ろうとすることになる。
もちろん論文試験でも、問いに答えるための武器は法律の条文であり、条文がスタートであることは大前提だ。この条文の重要性は、いくら強調してもしすぎることはない。特に憲法では条文からのスタートを忘れがちなので、十分注意する必要がある。
出発は条文からという話はよく聞くが、どう出発してよいのかわからないという人もいるので簡単な例で一緒に考えてみたい。
例えば、Pから土地の譲渡を受けたAと、その翌日にPから同じ土地の譲渡を受けたBがいるという典型的な不動産の二重譲渡の事例を考えてみる。
この場合、Aが当該土地の所有権を、売主であるPに主張する際には登記が不要であるが、Bに主張するためには登記が必要だということくらいは、受験生であれば常識の範疇に属する知識だと思う。
そのように言えるのは、AにとってBが民法177条の「第三者」に該当するといえるからである、ということも当然知っているだろう。
とりあえずその知識は忘れてもらって、登記を経由せずにAがBに対して所有権に基づく返還(明渡)請求訴訟を行ったと仮定しよう。
その訴訟の中で、AがBは民法177条の「第三者」に該当しない(だからBには、登記なしでAの所有権を対抗できるなど)と主張し、一方Bは自分が民法177条の「第三者」に該当する(だからAは登記を経由しないと所有権をBに対抗できない)、と主張して争っているとする。
AもBも、民法177条の「第三者」について主張しあっているのだから、民法177条を見てみることになるのだが、実はそこには、「不動産に関する物権の得喪及び変更は・・・登記をしなければ第三者に対抗できない。」としか記載されていない。
この条文の中に、不動産二重譲渡の場合には、後で譲渡を受けた者は前に譲渡を受けた者に対して、「第三者」に該当する、と書いてくれていれば話は簡単だ。
しかし、どこまでの範囲の人間が「第三者」に当たるかについて、民法177条の条文上には、なんら明確な記載がなく、条文の記載だけからでは、だれが第三者に該当するのか明確になっていないのである。
かといってこの場合、条文上明確でないから弁論の全趣旨からBは177条の「第三者」である、と裁判官が判決を書いてもAは納得しないだろうし反論や検証のしようもない。また、逆に、条文上明確でないから弁論の全趣旨からBは177条の「第三者」ではない、と判示されてもBは納得せず同様の問題が生じるはずである。何より、一つの条文に対して、このような場当たり的な判断しかできないのであれば、予測可能性が失われ法的安定性が極度に害されることになる。
判例ではこう解釈されているから、という理由も考えられなくはないが、判例の事案と本件が全く同一という保証はないし、判例がどうしてそのような解釈をしたのか、すべての事案でそう解釈してよいかについてまで示さないと納得させることは難しいだろう。
だいぶ長くはなったが、本問では、民法177条の「第三者」という条文の文言を解釈して、その意味するところを明らかにしておく必要性が出て来ているということは理解してもらえたと思う。
この点、答案に、いきなり民法177条の「第三者」の意味は、判例では~~とされているから、と記載する人もいるようだが、これは単に判例の知識を引っ張ってきただけであって、なんら条文解釈になっていないことに気づくべきだ。
したがって、(私は判例の指摘の重要性を否定するものではないが、)判例の解釈の結論だけを引っ張ってきて答案を作成しても、法律の解釈力を見ようとする司法試験では高い評価は得られない可能性があることに注意すべきである。
(条文解釈になっていない悪い記載例)
×× 本問のBは民法177条の「第三者」にあたる。したがって・・・・
☞まったく解釈を行っておらず、評価に値しない例である。但し、他の論点と比較して圧倒的に重要度が低い場合には許される場合もありうる(かもしれない)ことには注意。
× 判例では民法177条の「第三者」とは「登記の欠缺を主張するについて正当な利益を有する者」に限るとされている、本問のBは同一不動産上に所有権を取得した者であるから、同条の「第三者」にあたる・・・・。
☞判例の結論を引用しただけで、やはり条文の解釈を行っているとは言えない例である。但し、他の論点と比較して圧倒的に重要度が低い場合には許される場合もありうる(かもしれない)ことには注意。
このように、条文から出発する際には、条文の文言が明確ではないことから問題になるパターンと、条文通りに適用すると不都合が生じるパターンなどいくつかのパターンはあるが、いずれも条文の文言(記載内容)から、問題(解釈の必要)が生じてくることは、ほぼ同じである。
したがって、受験生としては、どうしてこの問題では、この条文の、この文言が解釈上問題となるのかについて、キチンと指摘してから条文の解釈を始める必要がある。
このような指摘もせずに、いきなり条文解釈が始まると、採点者からすれば、どういう理由で、受験生がその条文の、その文言を解釈し始めたのかが明確にならない。
その結果、採点者としては、「おいおい、いきなり条文解釈始めちゃったけど、なんで条文解釈する必要があるのかホンマに分かっているのか?」「覚えているだけと違うのか?」等の疑念がぬぐえなくなるのである。
今の例の場合、Bの立場で答案に書くとすれば、
(あくまで参考例~これがベストというわけではありません)
Aに登記が具備されていない本問の場合、本件不動産についてBがAからの返還請求を拒むためには、Aに登記がなければ本件不動産の所有権をBに対抗できないこと、すなわちAにとってBが民法177条の「第三者」に該当することを明らかにする必要がある。
しかし、民法177条における「第三者」は、文言上特に限定をすることなく規定されており、「第三者」とはどのような範囲の者を指すのか(Bのような者まで含むのか)不明確であるため、問題となる。
この点・・・・・(177条の第三者の解釈)→規範(判例・通説の規範でよい)
これを本件についてみると・・・・(あてはめ・事実認定)
したがって、・・・・(結論)
という形が考えられる。
身も蓋もない言い方をするが、主要論点における条文の解釈については、受験校などから論証集が出ているだろうから、本試験では、似たり寄ったりの論証があふれかえる可能性は高い。
そうだとすれば、受験生としての腕の見せ所は、出題に対して、どうしてその条文の、その文言を解釈する必要があるのか、を端的に提示する問題提起の部分となる場面も考えられるだろう。
今までの答練の答案などを見直して、どうしてその条文のその文言を解釈をする必要があるかについて明示できているのか、明示できていない場合どう明示すればよかったのか、等について検討することは結構意味があることだと思われる。
さらに時間があれば、論証集について、どの条文のどの文言の解釈を行っているのかを確認しながら六法の該当部分に着色したうえで、その後、今度は六法の条文だけを見ながら着色した部分にはどのような論点がどういう理由で生じていたか、を言えるように練習していれば、試験場でも司法試験六法が相当強力な味方になってくれる。試験場で使える司法試験六法を利用しない手はない。
(続く)