もともとS弁護士は、たぶん霊感なんか一切ない方であり、座敷わらしに会っていたいなどという不埒な願望を持ちながらも、霊的なものについては極めて鈍感な男であると自負している。
ただ、説明の付かない不思議な夢は、体験したことがある。
ある日、司法試験の受験勉強を夜通しやっていて疲れてしまい、夕方に仮眠を取っていた時のことだ。
ふと気付くと、深い蒼色に充たされた世界に受験生Sはいた。蒼くて暗いのだが、ド近眼の受験生Sにも、なぜか遠くまで見通せる。
空間それ自体が蒼い色に染まり、その蒼い空間それ自体からぼんやりと明るさが出ているような不思議な世界だった。
もちろん、当の本人は夢の世界なので、そのときは、なんの不思議も感じていない。
どうやら受験生Sは、長く続く大きな階段の途中に腰掛けているらしい。
その、階段の両脇には杉の巨木が列をなして植わっている。樹齢にして何百年も経過していることがなぜだか、受験生Sには感じられる。
そして、その階段を、続々と人が上ってきて、ゆっくりと受験生Sのそばを通り過ぎていく。
なぜか全員がうつむいて、黙り込んでいる。
うつむいて黙ったまま、黙々と、階段を上ってくる。
思い返してみても、その人達の顔を見たような記憶がない。
しかも、全員が白い着物を着ているのだ。
これだけの人数が歩いているのだから、人のざわめきや衣擦れの音が聞こえても良いはずなのだが、なぜか、音が、全くといって良いほど聞こえない。
振り返って上の方を見てみても、やはり白い着物を着た大勢の人がずっとつながって階段を登っている。薄い霧がかかっているような感じがして、上の方は遠くまでは見えない。
というあたりで目が覚めた。
目が覚めた受験生Sは、夕食を一緒に食べた友人に、この不思議な夢の話をした。友人は、ひとしきり受験生Sの話を聞いた後、「変わった夢やね。」と大して興味もなさそうに言った。
そして、夜になり受験生Sは寝床につき、寝入った。
ゴーッ
妙な音を聞いた気がして、受験生Sは目を覚ました。
ベッドの中で耳を澄ましてみたが、しかし、現実には、音は聞こえないようだ。
「やれやれ、最近は神経が高ぶっているのかな」と思ってもう一度寝ようとしたその瞬間だった。
大きな揺れが襲ってきた。
大きな被害を出した阪神淡路大震災だった。
「後からおもえば、あのとき不思議な夢を見ていた」と言う人はよくいるが、受験生Sの場合は、その前日に友人と不思議な夢について話していたという点で、地震の半日前に不思議な夢を見ていたことについての証人がいることになる。
その頃は、精神的に不安定だったのか受験生Sの見る夢は、なぜか変なものが多く、中国の飛行機が落ちて電話を探す変な夢を見たと友人に話した数日後に中国の飛行機が墜落したりして、我ながら予知能力があるのでは、と少し疑ったこともあった。
しかし、もちろんそんなことはなく、それっきり何かを暗示するような夢は見なくなっており、やはり自分に霊感を感じることはない。
けれどもごく希に、その友人と震災の前日に見た夢の話を話題にして、不思議なこともあるものだ、と夢の話題で話すことは、未だにあったりする。