鴨居玲展~2

 金沢に行く機会があり時間的余裕があるとき、私は石川県立美術館で、鴨居玲の作品を見ることが多い。そして、「1982年 私」の作品が持つ力に打ちのめされる。

 キャンパスを前にした自画像の周囲に、これまで鴨居玲が絵画の題材として描いてきた人物が描かれる。背景は中心から端に向かって暗くなっていく。しかし、鴨居によりかつて絵画としての生命を吹き込まれたはずの人物が、誰1人として、嬉しそうな表情を浮かべてはいない。困惑・諦観・不安・刹那的感情等の入り交じった感覚にとらわれたまま、その場に配置されている。そして中心に座る鴨居は、何も描かれていない白いキャンパスの前で絵筆を持たず呆然と座り込み、この絵を見るものに何かを問いたげに口を開けている。

 もう描けない、自分には絵を描くしかできないのに、もはやそれもできない。
 これ以上何を画くのか、何を描けば良いというのか、何が画けるというのか。
 それなのに、あなたは(神は)、何故、なお描くことを私に求めるのか。

 そのような声にならない鴨居の叫びが、ズンと響く。

 画家にとって絵を描くことは本能にも等しく、またその存在価値に直結する行為である。絵が描けないということは画家にとって自らの存在価値を否定することにもつながる。鴨居に兆した、もはや絵を描くことができないという自己否定の思いと、その自己否定の思いに抗いつつ感じていたであろう自負と、その自負を飲み込むに十分な底知れぬ恐怖と絶望。それを裏付けるかのように、展示されていた、鴨居の使用していたパレットの裏側に残された「苦るしかった」との走り書き。

 鴨居の自己否定にもつながりかねず、鴨居の心の奥底に封じ込まれ暗黒の天幕に覆われていてもおかしくないこの心的情景を、神が、あるとき、残酷にも部分的に光を当て浮かび上がらせたのかもしれない。
 そして、その情景を見てしまった鴨居が、自らの意思というよりも、画家としての本能で描ききったのがこの作品ではないか、とさえ思える。

もちろん、「1982年 私」も、この展覧会で展示されているはずだ。

東京、函館、金沢での展示が終わり、伊丹が最後の展覧会だ。

是非ご覧になることをお薦めする。

※作品に関する感想はあくまで坂野の個人的な感想であり、画家本人、解説者の方の見解と異なっている場合は当然あり得ます。

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