9月1日に、法科大学院協会が「『法曹養成制度改革の更なる推進について』に対する意見」を公表している。
要するに、①法曹有資格者の活動領域はもっとありそうだ、②今後の法曹人口は増やしていかねばならず、それが法曹養成制度改革の理念に沿う、③法科大学院は組織見直し、教育の質の向上、経済的時間的負担軽減させれば制度として正しい、④予備試験は抜け道だから規制するか負担を重くすべき、司法試験の科目を少なくしろ、法科大学院卒業水準まで司法試験の合格水準を下げてくれ、と法科大学院側は言っているようだ。
①については、学者さんが絵に描いた餅はもう見飽きたので、さっさと食べられる餅を示してもらいたいところだ。民事一般事件、刑事事件、少年事件、破産事件など軒並み減少している中で、本当に活動領域の拡大を明確に示して頂けるのならそれは素晴らしい。
ただ、今のところ、学者さんは抽象的に需要はあるはず、あるはず、と言いつのるばかりで、何一つ実のあるお話しは頂いていないような気がするけどね。
②については、法曹養成制度改革の前提に司法制度改革があって、司法制度改革は法曹への需要が飛躍的に拡大するという完全に誤った予測の下に改革を開始した、という点を忘れてしまっているようだ。法曹への需要は飛躍的に拡大していない(むしろ減少している)のだから、そもそも司法制度改革も誤った前提の下に行われたものだし、その一環としてなされた法曹養成制度改革も、正しかったと盲信してよいものではなかろう。
学者ならそれくらいわかるんとちがうかな。
③については、10年もかかって未だに改革をし続けなければならない制度なら、制度自体に無理があったんじゃないの、と足下を見直してみる必要があるだろう。法科大学院にとって最も重要なはずの教育の質について、10年経っても解決できずに未だに改革し続けなきゃならんとは、失笑モンだ。そんなモンに税金を投入させられる国民の皆様にとっては、百害あって一利無しなんじゃないのか。
④については、ちょっと図々しすぎないか?
法科大学院がお金を取って時間もかけさせて、看板通りの素晴らしい教育をしているのなら、司法試験合格率において予備試験組に遅れをとるはずがないじゃないか(実際には完敗)。予備試験合格者がいくら増えても、プロセスによる法科大学院教育は素晴らしいんだから、本来なら負けるはずがないだろ。予備試験の負担を増やして予備試験組を減らそうなんて姑息な手段をとらずとも、正々堂々と司法試験で勝てばいいだけじゃないか。なぜそうしないんだ。
法科大学院の方が幅広い教育をしていると豪語するのなら、司法試験科目をもっと増やしてもらいたいと要望するのが筋じゃないのか。逆に司法試験の試験科目を減らしてくれ、法科大学院卒業レベルまで司法試験レベルを下げてくれ、というのは、法科大学院には、きちんとした法曹の基礎レベル(司法試験合格レベル)まで教育する能力がないことを認めちゃってると受け取っていいんですかね。
そもそも、法科大学院のための司法試験じゃありません。国民の皆様のために、受験生に法曹としての基礎的素養があるかどうかを判定するのが司法試験です。どこの医学部が、うちの医学部生の医師国家試験合格率が低いので、医師国家試験を簡単にしてくれなんて図々しい提言をしますかね。
とまあ、ざっと見ただけで突っ込み処が満載で困ってしまう。
さて、ようやく本題だが、この意見書の中ではプロセスとしての法曹養成制度、プロセスとしての法科大学院教育という言葉が頻繁に出てくる。プロセスという言葉だけ勘定しても9箇所に出てくる(数え間違いがなければ)。
ところがその実態は何なのか一向に分からない。
(続く)