裁判官任官者数

 公式に、最高裁はまだ発表していないかもしれないが、今年の裁判官任官者数は、101名になるようだ。

 そのうち、予備試験合格者は12名いるとの情報がある。

 もし上記の情報が正しいとすれば、裁判官任官者数のうち11.88%が予備試験ルートの司法修習生から任官されているということになろう。

 翻って、今年の任官者は平成25年の司法試験合格者である。平成25年度司法試験合格者数は2049名、そのうち予備試験ルートの合格者は、120名である。予備試験ルート組の比率は5.8%である。

 法科大学院終了者と予備試験合格者が全く同一の資質を持っているのであれば、司法試験合格者中の予備試験ルート組と、裁判官任官者数中の予備試験ルート組の比率は、同一と言わなくてもかなり近い数字でないとおかしいはずだ。

 特に法科大学院が言うように、法曹としての必須の能力を法科大学院のプロセスによる教育で身に付けなければならないのなら、そして法科大学院の言う法曹としての必須の能力が本当に正しいのなら、現実とは逆に法科大学院終了者の比率が高くなっていなければならないはずだ。

 なぜなら、法科大学院の主張によれば、「法曹としての必須の能力を身に付けるプロセスによる教育」を経ていないのが予備試験合格者になるはずだからだ。

しかし現実は全く逆である。

 近時は特に裁判官は優秀な修習生が採用されることが多いという傾向・経験則?からは、予備試験組が法科大学院組より優秀であるし、裁判官という実務家としての適格性も高いということであり、最高裁も同じように考えているということになるだろう。

 これは、法科大学院が常々言っている、「プロセスによる教育を通して身に付けなければならない法曹としての必須の能力」とやらが、最高裁から見れば全く裁判官の実務に関係のない能力であると判断されているのだといっても言い過ぎではないだろう。

 それなのに法科大学院は、予備試験を制限するよう提言している。

 理由はプロセスによる教育が歪められるからだそうだ。しかし、そもそも実務の現場から見て、役に立っていると評価されていないプロセスによる教育(最高裁から評価されているのなら法科大学院卒業者の方が裁判官に高い率で任命されていて不思議ではない)なら、むしろ存在しない方が有益だ。

 時間もお金も税金も掛けて,実務から評価されない教育を施して誰が得をするのか。法科大学院で教鞭をとる人間(間接的には自分の子供に後を継がせたい弁護士)だけではないか。

 確かに法律に詳しい教員であることは間違いないだろうが、そもそも法科大学院の教員には、司法試験に合格したこともない教員、実務を経験していない教員も多い。よく考えなくったって、それ自体がおかしいだろう。

 いくら自動車の構造や交通法規に詳しいからといって、どこの自動車学校に自動車免許を持たず、実際に公道を運転したことがない状況で運転を教える教官が存在するのだろうか。

 そんなとんでもない自動車学校を卒業して免許を取得した人の事故率が高く、免許試験場で一発試験で合格して免許を取得した人の事故率が低い場合に、どちらのルートを優先すべきかは小学生にだって分かろうというものだ。

 有識者と言われる大学教授らで構成される中教審・法科大学院協会は、こんなこともわからず(わかっていても無視して)予備試験制限を主張する。

 これ以上現実から目を背けることは、本当に辞めて頂きたい。私はトップクラスの法科大学院は評価しているが、少なくとも全体的に見ればこの制度は失敗だ。

 法科大学院は、正直に、「私達はきちんと教育できると思っていましたが、できませんでした。今までできると申しあげて、税金を投入して頂いてスミマセン。」と謝るべきなんじゃないだろうか。

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