夜想

今朝、通勤途中に鴨川の橋を渡ると、金木犀が香っていた。
これからが、一番私の好きな季節だ。
朝夕とても過ごしやすくなり、空を舞うトンビが何となく寂しそうに見え、青空は透けていき、夕暮れは深くなる。
夕方になると何故だか、心細さが増してくる。

金木犀には、2度ほど香る時期があるように思う。
しっかり観察しているわけではないが、樹によって違うのだろう、10月初旬と、中下旬に香りのピークがあるように感じる。

私が賃借りしている自宅の裏に、古い家があり大きな金木犀が植わっている。その古い家から、あまり人の気配がしなくなったと感じてから数年経って今に至るが、金木犀は毎年秋になると、素敵な香りを忘れずに届けてくれた。深夜ベッドに横たわりながら窓を開け、建物の隙間から見える星をぼんやり眺めつつ、ときによい香りのする秋の空気を楽しむことは、私の秘かな楽しみだ。深夜に不意に通り過ぎる金木犀の香りは、私にとっては、何故か若かった頃の少し切ない、しかし振り返ればよき想い出といえる記憶を呼び覚ます気がする。

不思議なことに、その金木犀の樹は、1本なのに、10月には2度ほど強く香ってくれているように、私は感じていた。

先日、工事会社からのチラシが郵便受けに入れられていた。

金木犀のある裏の古い家が取り壊され、駐車場を造成する工事のお知らせだった。

きっと、あの金木犀も伐られてしまうことになるのだろう。
毎年、金木犀から当たり前のようにその匂いをかぎ、これからもずっと毎年香ってくれると、なんの疑いもなく考えていた、あの金木犀の樹からの香りのプレゼントが突然今年で終わってしまうことが分かった。

いつも感じてしまうのだが、なくすことが分かってから、もしくは、なくしてしまってから、なくしたことの大事さに気付くことが、私には多すぎる、そんなふうに思えるときがある。

人として成長すれば何時かそういうことはなくなるのだろうか。

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