司法試験を簡単にしろとの法科大学院側の要望について。

法科大学院を維持しようとする人たちから、司法試験をもっと簡単にして合格しやすくしろとの要望が出ていると聞いた。法科大学院側のこの論調に賛成するマスコミもいるようだ。

確かに、司法試験法1条4項には、司法試験は、法科大学院と司法修習との有機的関連の下に行うものとする、と規定されている。そうだとすると、法科大学院卒業レベルと司法試験合格レベルに大きな格差があるのであれば、有機的関連を強調して、司法試験を簡単にせよと主張することには一理ないではない。

しかし、有機的関連を主張する前提として司法試験法1条1項には、司法試験は法曹になろうとする者に、必要な学識および応用能力を有するかどうかを判定することを目的とすると明記されている。

つまり、いくら法科大学院を卒業しても、法曹実務家として必要な知識と応用能力が認められなければ、司法試験に合格させるわけにはいかないのだ。

当たり前だろう。いくら大学医学部が、良い教育をしています、きちんと厳格な単位認定をしています、と主張しても、それだけで、医師国家試験を簡単にせよとは言えないはずだ。医師として必要な学識と応用能力がない人が医師になっては、国民が困るからだ。

現に、平成23年の司法試験採点雑感において、基礎的知識の不足がほぼ全ての科目で指摘され、民事系問題の採点者に至っては、「一応の水準」でも合格させていることを明らかにし、司法試験に合格したから優秀なんて思うな、と釘を刺している。

つまり、本来合格させるべき水準ではないレベルですら、司法試験で合格してしまう状況まで合格レベルは下がっているのだ。法科大学院教育が大失敗に終わっていることは、その指摘だけからも分かる。

こんな状況で、さらに司法試験を簡単にし、さらに合格しやすくした場合、法律家のレベルが一段と下がってしまう危険性があることは子供でも分かるだろう。

確かに、法科大学院の経営として、また学者のメンツとしては、自分のところで相当の費用を取って教育したのに、実務家として使い物になりませんと司法試験で判断されては困るだろう。しかし、実務家として使い物にならない法曹を生み出されては国民が困る。

法科大学院は、導入当時は今まで以上に優秀な法曹を育ててみせる、と大見得を切ったのだから、むしろ、法科大学院側としては、司法試験はどんどん難しくしてもらっても大丈夫と言えなければおかしいだろう。

法科大学院は優秀な法曹を生み出すための手段であったはずである。その手段を維持することが目的になっているのだとしたら、本末転倒も甚だしい。エライ学者さん達(全員とは言いません)が、法科大学院維持に注力している姿を見ると、既得権益にすがろうとする学者の姿が透けて見えてしようがない。

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