国選弁護報酬過大請求について

国選弁護事件報酬の過大請求についてマスコミ各社が報道している。

法テラス発表の資料によると、
被疑者国選全件調査において
過大請求件数 221件(151名)
過大請求額  4,099,170円
だったそうだ。

確かにこれだけ見れば、とんでもない弁護士がいるのではないかと指摘されてもやむを得ない面もないではない。過大請求となってしまった理由として、記載ミスや、記憶違い等があげられており、一般の方からご覧になれば、そんなミスなど理由にならず、過大請求がこれだけあるのなら、弁護士が故意にやったのではないかと思われるかもしれない。

しかしこれだけで弁護士が「故意に」不正ばかりやっていると即断することは誤りだ。
何故なら、全く同じように記載ミスや記憶違いの申告による過少請求もあるからだ。

その件数は、被疑者国選全件調査において
過少請求件数 511件(402名)
過少請求金額 推計1,000万円

つまり、記載ミスや記憶違いによる過少請求の方が過大請求よりもはるかに多いのだ。

この事実からすると、確かに一部弁護士が故意に過大請求を行った疑いは払拭できないものの、多くの弁護士は、きちんと記録をしておらず弁護活動の内容がよく分からなくなってしまった場合には、むしろ自分が身銭を切る手段を選択している可能性が高いように思える。

このような点について、マスコミはなかなか報道してくれない。過大請求の面ばかり取り上げてもう一方の過少請求は無視するところが多いようだ。

少なくとも皆様には、偏った報道に惑わされないで頂きたい。まだまだ善良な弁護士も多いのだ。

本年のブログ更新は、これで終了予定です。
ブログソフトの古さから、書式の設定がうまく行かなくなり読みにくくなってしまった当職のブログを、我慢してお読み頂いた方、誠に有り難うございました。
書式は直らないかもしれませんが、来年もぼちぼち更新していきます。
よろしくお願い致します。

ロースクール授業参観記~その9

次に、不動産の二重譲渡で、対抗要件を先に具備して不動産を手に入れた買主Aに対して、不動産を手に入れられなかった買主が債権侵害の不法行為を主張した事案が、講義のテーマになった。

教員が、不動産の対抗要件は?と学生に問いかける。

当てられた学生は、極めて自信なさげに「登記・・・ですか」と答える。うんうん正解だ。

教員は続けて「民法の何条ですか?」と問う。

S弁護士の記憶では、その学生は答えられず、次の学生が、「民法177条です。」と答えていたように思う。

まあ答えられて当然の質問だったが、一応、質問と答えがきちんと対応したので少し、S弁護士は安心した。しかし、ハーバード白熱教室のようなソクラテスメソッドとは全く違う。単なる一問一答だ。中学生に質問して答えさせているのと変わりはしない。

教員はさらに質問する。「不動産の帰属は、対抗要件だけで全て決まるのだろうか?」

これも基礎中の基礎だ。確かに不動産の帰属は対抗要件で決せられるが、背信的悪意者は、その限りではない。不動産対抗要件のところで必ず学ぶことだ。模範六法にも当然その判例が引用されているはずだ。

ところが、その回答が出てこない。何人か指名されては、首をかしげる学生が続出した後、教員が「どんな悪人でも177条で保護されるの?」とヒントを出し、5~6番目に指名された女子学生が、ようやく「背信的悪意者は別でした。」と回答した。

この比率で単純に考えれば、この講義にでている15名以下の学生のうち、背信的悪意者論を知っていたのは、おそらく2~3名が良いところであって、大半の学生は、背信的悪意者など理解できていない可能性がある。

そのような状況で、二重譲渡の債権侵害に関する不法行為の裁判例など、はっきり言って理解不能、どんな偉い教授の講義でも馬の耳に念仏状態だろう。だってその前提が理解できていないんだから。おそらく、学生にとっては、意味も分からないまま、教員の主張をノートに取るのが精一杯であった可能性すらある。

S弁護士の、ロースクール授業参観に関するメモはここで終わっている。

極めて残念なことだが、ロースクールの授業を参観しても、ロースクールがこれまで自らの利点として述べてきた、実務と理論の架橋、プロセスによる教育、双方向性の密度の濃い授業等は、結局実現されていない(看板に偽りあり)とS弁護士は感じざるを得なかった。

受験予備校は受験テクニックだけを教えるところ、との誤解もあるようだが、少なくとも法学入門者に対して法律の大枠を教え、アウトラインを理解させることに関しては、圧倒的に大学教授の授業よりも優れている。未修初学者には、まず法律のアウトラインを理解させる必要があるし、その点に関しては、S弁護士の見学したロースクールでは(見学した授業に関する限りではあるが)、受験予備校に完敗といったところだ。

もちろん、あくまでS弁護士が見学できたのは、未修初学者に関する講義だけであって、これが既習者向けならもっと優れた講義になっている可能性も否定できない。

しかし、受験予備校を敵視し、いみじくも、受験予備校のような講義くらい、大学でもやろうと思えばできる、と宣った佐藤幸治氏は、残念ながら、学生に理解させるという点において、大学の実力を買いかぶりすぎていたという他ないだろう。

現実をしっかり見据えて、法科大学院制度について議論すべきだ。その場合、どれだけ発言者の肩書きが立派でも、その肩書きを安易に信用して迎合してはならない。

議論においては、誰が言ったかはさして重要ではなく、何を言ったかが重要なのだから。

(この項終わり)

司法試験委員が法科大学院に求めるもの~知的財産法

今回は、知的財産法を取り上げる。

(採点実感に関する意見から引用)

5 今後の法科大学院教育に求められるもの

論点の内容についてはそれなりに記載されているものの,実務において重要な事実関係の把握・分析が不十分と思われる答案が多かった。法科大学院は実務家を養成する教育機関であるから,論点中心の教育ではなく,実際の訴訟等を想定して,具体的事案の中から,実務家なら当然なすべき主張を抽出し,それについて的確に論述する能力を広く養うような教育が求められる。
また,明文の規定があるにもかかわらず,条文を指摘せずに解釈論を展開する答案が多数あったが,条文解釈が基本であるから,条文を前提とした解釈を意識した学習を指導することが求められる。
さらに,最高裁判例や判断基準を示す裁判例があるにもかかわらず,その判旨を全く無視して自説を展開する答案も目立った。繰り返しになるが,法科大学院は実務家を養成する教育機関なのであるから,判例を念頭に置いた学習を常に心掛けることが望まれる。

(引用ここまで)

【超訳】~司法試験委員がいいたいことを推察しての私の意訳

5 法科大学院教育は何やっとんねん

 あかん、出来てへんで。論点の内容についてゆうたら、そこそこ書く奴はおるみたいや。せやけど、事実関係の把握、分析が全然あかん。事実関係の把握、分析は実務で言うたらイロハのイやで。そんな重要なところがさっぱりや。法科大学院ちゅうたら、実務家を養成するとこやろ?国民の皆様に、「実務家を養成できます、教育して実務家を養成します、」って約束して税金を頂いとるとこやろ?それを論点中心の教育にしたらあかんがな。そもそも、大学側は言うとったわな、予備校は論点主義やからあかんって。せやけど、あんたらのとこで教育受けてきたはずの受験生が論点主義としか思われへん答案しか書けてへんで。

 法律実務家を養成するのが法科大学院の使命やねんから、実際の訴訟なんかを想定して、具体的な事案の中から、実務家やったら当然ここに目をつけてこんな主張するやろな~っちゅうところを見抜くこと、ほんで、そこんところを的確に論述できるように教育してもらわなあかんやん。

 それだけやないで、きちんと法律の条文があるのに、条文を指摘せんと解釈論だけ振り回しとる答案が、仰山あったで。ちょっとと違うで、仰山やで。法律家っちゅうたら法律を使う仕事やろ、法律は明文で条文として書かれとるんやろ。それやったら、先ず条文にどう書いとるのかっちゅうことが全ての出発点やないか。条文を指摘せんと解釈論を振り回すっちゅうことは、覚えてきた論点を吐き出しとるだけなんとちがう?ホンマ、しっかりやってもらわんとあかんで。

 駄目出しばっかしで、ホンマはもう言いたないけど、大事なことやから言うとくで。実務家にとって、法律の解釈や似たような事案で、裁判所がどないな判断をしとるのかは、めちゃくちゃ大事やねん。最高裁判例や下級審判例で、今回の試験問題に使えそうな裁判例が幾つも出とったんやけど、その判旨を無視して独自の見解を振り回す答案も多かったんや。実務にとって判例が大事なんやから、実務家養成をする法科大学院は、当然判例をきちんと教えとかなアカンわな。何回も何回も繰り返しになるけど、判例を頭に置いて教育してもらわな困るで。常にそこは心がけてや。

(続く)

ロースクール授業参観記~その8

教壇から、教員がまず不法行為について説明している。

不法行為の成立要件のひとつである責任能力について、なぜこれが求められているのかという点に話が及んだ。教員は、いくつか考えられる根拠をあげた結果、政策的に責任能力が求められていると結論づけた。
しかし、どういう政策的理由なのかが、教員からは説明されない。政策的理由という以上は、何らかの必要性に迫られて責任能力が必要という政策的判断がなされているはずだし、そこが責任能力を必要とする意味を理解するための肝であるはずだ。どうしてひとこと、子供のときに犯した不法行為のために一生巨額の損害賠償責任を負って生きていかなければならないのは相当ではないから、本人保護の為に政策的に要求されている要件なのだと、説明してやらないのだろう。

もちろん、教員は大学教授なのだから、過失概念から責任能力について説明できるだろうし、現在では責任能力が政策的に必要であると解されていることも、当たり前のことなのかもしれない。しかし、ここは未習1年生向けの講義である。民法を習いはじめて半年も経っていない学生に対して、分かるように説明してやる必要があるんじゃないだろうか。「結局、責任能力は、政策的に要求されているんですね」と言われても、何のことだか理解できない方が普通じゃないだろうか。

S弁護士がこのような疑問を抱いているうちにも、講義は進行する。

教員が不法行為に関する裁判例をレジュメとして事前に配布していたので、その解説が始まる。
裁判例には、簡単な事案が記載され、判決文が引用されていたと思う。おそらく重要部分と教員が考える部分にアンダーラインが引かれているようだ。

教員は、事案を簡単に説明した後、判決文のアンダーラインを読み上げて、不法行為のどういう要件が問題になっていたかを簡単に指摘した上で、こう言った。

「判決文をよく味わってください。あっ、ここで、この判例は『思うに』と書いていますが、君たちはまだ使っちゃ駄目ですよ。君らが『思うに』なんて使うのは10年は早い(笑)。」

一体どういうことだろう。S弁護士には、この講義の意味が分からなくなってきた。

教員が重要だと思う部分を読み上げることは理解できる。その判決において不法行為のどういう要件が問題になっているかを指摘することも当然だ。しかし、『思うに』という言葉に関する冗談はともかくとして、一番に学生に理解させるべき点は、当該要件がこの判決事案においてどのように争われ(当事者の主張とその根拠)、裁判所がどのように判断し、裁判所の判断根拠はどういう点にあったか(条文や要件をどのように解釈・判断・適用したか)、さらにその判断自体についてどう評価すべきか・・・・・という諸々の点なのではないのか。それを全てすっ飛ばして、「判決文をよく味わえ!」といわれても、多くの学生にはそれは無理だ。これだけの説明で判決文を味わえるほど理解できるなら、その学生さんは法科大学院に来る必要などないだけの実力があるんじゃないだろうか。

そもそも法科大学院制度のウリは、理論と実務の架橋、プロセスによる教育、双方向性の密度の濃い授業等々、素晴らしいお題目が並んでいたはずだ。
万一この授業が、理論と実務の架橋というのなら、そのスローガンは完全に嘘であったか、嘘でないとすれば、少なくとも未習者のこの段階では実現できていないというべきだ。単に判例を紹介しているだけで、実務的な要素には全く踏み込んでいないからだ。
このような授業がプロセスによる教育というのであれば、そのプロセス自体に問題ありだ。明らかに基礎的理解を欠いている学生に、高度な問題を提示し、解説も十分にないまま、「とにかく理解しろ」と強要しているだけだからだ。そもそもプロセスによる教育が良いとされるのも、きちんとした教育ができる講師が、法的知識・法的思考方法をじっくりと身につけさせるためではなかったのか。その教育自体が崩壊している場合に、問題をかかえた授業でプロセスによる教育を受け続ける場合、逆に弊害が大きくなるのではないだろうか。この点について、法科大学院側はどう考えているのだろうか。
双方向性の密度の濃い授業についても、少なくとも未習者のこの段階では実現できていないことも、授業をみてみれば分かる。単に質問して答えさせるだけが双方向性授業じゃないだろう。中学生や高校生ではないんだから。

結局、全ての法科大学院で、そのような理想的な法曹教育ができる(だからこそ認可したのだろう)と、法科大学院協会・文科省が自らを買いかぶりすぎていたということではないのだろうか。S弁護士は本気で心配になってきた。

(続く)

ロースクール授業参観記~その7

会社法に続いて、参観を許された授業は、民法Ⅴだった。

民法Ⅴと急にいわれても、1044条もある民法のどの部分なのかすぐには分からない。未だに権威ある基本書であり、S弁護士が修習をしたどの裁判官室にもあったと記憶している我妻栄著、「民法講義」なら、総則がⅠ、物権がⅡ、担保物件がⅢ、債権総論がⅣ、債権各論がⅤの分類だったように思うが、仮に債権各論だとしても相当範囲が広い。

新世代の基本書のひとつといわれ、(立法事実がないかもしれないにもかかわらず)民法改正に尽力中の内田貴著「民法」なら、確か、総則・物権総論がⅠ、債権各論がⅡ、債権総論・担保物権がⅢ、親族相続がⅣで出版されていたはずだ。内田先生の教科書の分類なら、民法Ⅴは??ということにもなる。

しかし、S弁護士の疑問は、大して思い悩む必要もなかった。講義の前に、教員の方がレジュメを配布して下さったので、あっさり解消したのだ。どうやら、このロースクールでいう民法Ⅴは、不法行為を扱うようなのだ。

ところが、不法行為は個人的には相当難しい分野だという印象がある。S弁護士が受験時代に入れて頂いていた「ニワ子でドン」という勉強会(今思うと、合格率2%時代~東大・京大出身の受験生でも15人に1人くらいしか合格しなかった時代に、参加者のほとんどが最終合格したという奇跡的な勉強会だった。中心的な存在だったT先生は今の京都弁護士会の副会長でもある。)の中でも、不法行為の辺りは、理解が難しく、勉強会でも議論がいろいろあったような記憶がある。

果たして、未修で半年間勉強しただけの院生が果たして不法行為の講義を理解できているのだろうか。未修なら民法の総則も知らない状態で法科大学院に入学している可能性もある。そんな状況で不法行為といったって、理解不能である可能性も高い。理解しやすい授業をする予備校で、集中的に半年くらい民法をやれば民法も大枠くらい分かるかもしれないが、従来の大学の講義であればほぼ無理だろう。

いや、確か、ロースクール導入を求めていた佐藤幸治氏は、大学だって予備校のような授業をやろうと思えばやれるのだ、と予備校を見学したこともないくせに、国会の委員会の中で堂々と発言していたと記憶している。ひょっとしたら、法科大学院ではS弁護士の知っている大学の講義と違って、物凄く分かりやすい指導ができるようになっているのかもしれない。逆にいえば、そうでなければ、未修生の10月時点で、不法行為をカリキュラムに加えるはずがないだろう。

「見せてもらおうか、大学教授が学生に法律を理解させる実力とやらを!」

どこかで聞いたことのあるような、セリフを再度唱えながら、S弁護士は民法Ⅴの授業参観を開始することになる。

(続く)

ロースクール授業参観記~その6

その後、教員から口頭で、株主総会決議省略・取締役会決議省略の比較問題、株主総会への報告の省略・取締役会への報告の省略に関する比較問題が出題された。

問題自体は面白いと思ったが、会社法の基本構造も分からない院生が混じっているのに、この質問は、ほぼ無理だろうとS弁護士は直感的に思った。

案の定、教員が何人指名しても、まともな答えは出てこなかった。教員はさんざん誘導しようと努力していたが、結局、院生はまともな答えができず、何の議論にもならなかった。

四則計算もできないのに、いきなり微積分は理解不能だ。本当に、教員は院生のレベルを分かっていないのか、分かっていてもカリキュラムの都合上、理解できない講義でもやらなきゃならないのか、どっちかだ。

ソクラテスメソッド、破れたり!
いくら理念が素晴らしく、方法が素晴らしいと言い張ってアメリカの猿まねをしても、優秀な法曹を生み出せてこそ意味がある。基礎的知識もないうちからソクラテスメソッドと称して質問してみても、時間の無駄。何の効果も上げられない方法では意味がないだろう。

聞くところによると、大手法律事務所は予備試験経由の合格者を優先的に採用しているという。仮に法科大学院が身に付けさせてくれるものが、法曹として本当に必要不可欠なものであるならば、大手法律事務所だって、予備試験ルートの合格者よりも法科大学院経由の合格者を選ぶはずだ。何故なら、法科大学院の理念からすれば、予備試験ルートの合格者には法科大学院がなければ身につかない(?)法曹として必要不可欠の何かがかけていることになるはずだからだ。
つまり、法科大学院が身に付けさせてくれるといわれている、豊かな人間性やら、教養やら、人間性やら、リーガルマインドといわれるものなんて、大手事務所からすれば、もともと個人の資質の問題であると考えているか、所詮はその程度、実務上は役立たず、畳の上の水練、全くの無用の長物、と言っているのと同じである。

もっと直接的に言えば、法科大学院の教育を大手法律事務所は評価していないといっても過言ではないだろう。いくら立派な工場を構えて、立派な製品を生み出していますと自称したところで、消費者に評価されない製品しか生み出せないのであればその事業は失敗である。
ごく当たり前のことだ。
日経新聞だって、法科大学院以外の問題なら、いつもそういうんじゃないか。日経新聞とすれば、大手法律事務所が予備試験経由の合格者を優先採用している事実(仮にそれが本当に存在しているのであれば)をつかんだのなら、本来は法科大学院の存在意義を問うなど法科大学院批判に回るべき立場のはずだ。それが事実に即した報道だろう。

しかし、日経新聞だけではなく大手マスコミは、それをやらない。法科大学院擁護の意見ばかり社説に載せる。
以前も言ったが、公認会計士試験の合格者は、一時期増加されたが、その後、需要がないということもあり、一気に減らされている。それを批判したマスコミがあっただろうか。公認会計士を増やすことになったのも、司法改革と同じような理由からだった。だとすれば、マスコミは公認会計士試験の合格者減はおかしいと主張していなければならないはずだ。
一方日弁連が司法試験合格者の増加ペースをダウンさせるべきと主張した際に、大手マスコミはこぞって、日弁連批判をした。穿った見方かもしれないが、法科大学院は新聞広告等を行うなどして、マスコミにとっては良いお客さんだ。法科大学院制度を批判して、もし法科大学院制度がつぶれたら、広告収入が減るだろう。社説と言いながら、単に法科大学院に存在していて欲しい立場だからじゃないのか。

こんなことを考えながら、会社法の授業を聞いていたS弁護士であるが、次の民法の講義でさらに、法科大学院大丈夫か?の思いを強くすることになる。

(続く)

ロースクール授業参観記~その5

ここからの、教員と院生の質疑応答は、S弁護士がメモを取り損ねた部分でもあり、S弁護士の記憶の限りでの再現にすぎないものであって、この法科大学院での質疑応答の現実が、S弁護士の記憶に基づく記述と全く同じであるという保証はまるで無い、ということを前提にお読み下さい。

教員が院生に質問する。
「株式会社で、取締役を選任するのはどこ?」

ボクシングでいえばジャブにもならない、基本中の基本の質問だ。イロハのイ以前の問題だ。法律の条文(会社法329条1項)にも明記されているし、神田秀樹会社法第14版p27には、「株式会社の特質」という株式会社の概観部分にも「日本の現行法は、株式会社については、出資者(株主)が選任した取締役が取締役会を構成し、そこで経営上の意思決定を行うこととし、その執行は取締役会が選定する代表取締役が行うという姿を典型としている(ただし、第6節で口述するように他の期間設計も認められる)。」と、明確に記されている。

なるほど、弁護士が参観している状況下での、緊張を、超基本的な質問にあっさり答えさせることよって、ほぐそうという狙いなのか・・・・・。緊張をほぐしてそれから、本質の問題に移っていくんだな・・・・・。
S弁護士は、教員の温かい配慮に少し感動を覚えかけた。

しかし、院生は首をひねって沈黙したままだ。かといって六法をめくるそぶりもない。六法に書かれている条文、特に基本条文は実務家必須だ。基本条文については覚えているくらい勉強していて当たり前なのだ。
かつてS弁護士が司法試験の口述式を受験したときにも、司法試験用六法が机におかれているのに、基本条文について確認しようとしても、試験官は参照を許してくれなかったぞ。
逆にいえば、実務では条文の知識は当たり前だが、司法試験(短答式を除く)であっても、条文は受験生の最大の武器なのだ。全ての出発点は条文なんだから。
まさか六法の引き方も知らないで、法科大学院で半年も過ごしてきたはずはないだろうが、どうして六法を引いてでも一生懸命答えようとしないのか。

まさか六法不要の授業ではあるまい。ただでさえ、条文のややこしい読み方が含まれる会社法だ。六法を引き倒すくらい引きまくってもおかしくはない科目のはずだ。
六法を引くのは簡単だ。条文を覚えていればその箇所を引けば良いだけだし、大体330条前後と覚えていればその近辺を探せばよい。
そこまで覚えていなくても、会社法の目次をみれば、第2編株式会社で、第1章は設立、第2章は株式、第3章は新株予約権だから関係ないとして、第4章「機関」の辺りにあることは分かるはずだ。仮に万一、取締役が会社の機関であることも知らずに授業を受けていたのでは、講義は「お経」同然、何ひとつ理解できているはずがないだろう。

第4章「機関」の中を見れば、第3節に「役員及び会計監査人の選任及び解任」と目指すべき条文の位置を示唆する文言がちゃんとでている。そこを引けば、役員(取締役)の選任について書かれた条文があるはずなのだ。

教員は少し笑みを浮かべながら、「緊張しちゃって、忘れちゃったかな?」などと優しく聞いてあげているが、この質問に即答できない時点で、他の院生はともかく、少なくともこの法科大学院生が会社法の基本が全く分かっていないことが丸わかりだ。例え、初学者が半年勉強したに過ぎないとしても基本構造も分からずに、細かい制度が理解できるとは思えない。

そもそも、会社法を含む商法は、民法の特別法だ。一般法である民法を理解した上で、特別法の商法を勉強するのが筋だろうが、実は民法自体、膨大な量がある。初学者が民法を半年勉強しただけで、おおよその理解ができるとも思えない。民法も理解できない段階で会社法の理解が進むとは到底思えない。因数分解も分からない中学生に微積分を教えようといったって、不可能であることは当然だ。

となれば、そもそも未修者を1年で既習者入学レベルまで引き上げることを前提にした法科大学院システム自体が、制度設計として間違っていた可能性がある。

エライ大学教授の先生方は、法科大学院制度を設計する際、私が教えれば初学者でも1年間で法学部4年分の教育ができる!と信じていたのかもしれないが、実際には極めて優秀な学生をそろえでもしない限りそのような夢物語は、実現不可能なのだ。

S弁護士は、ガンダムで出てきたシャア・アズナブルの語った「ガルマ、聞こえていたら自分の運命を呪うがいい。君はよい友人であったが、君の父上がいけないのだよ」というセリフを思い出していた。

何故かS弁護士には、シャアがこう語ったように思えた。
「質問された君、聞こえていたら自分の運命を呪うがいい。君はよい法曹志願者であったが、法科大学院制度がいけないのだよ」

(続く)

ロースクール授業参観記~その4

だって、レジュメ棒読みなら基本書を読んだ方が早いのだ。

会社法の定める制度を表面的に紹介するだけなら、高校生にだって、S弁護士にだって簡単にできてしまう。基本書を棒読みすれば良いだけだからだ。

基本書を教科書としたうえで、さらに講義に意味があるとすれば、基本書にさらっと平板に書いてあることを立体的に、分かりやすく、理解しやすく説明することではないのか。そのためには、何故その制度がおかれているのかという制度趣旨からはじまって、その制度の問題点、問題点の解決に至る過程、さらに未解決の問題があればその問題点がどうして未解決なのか、という点まで、分かりやすく説明がなされていなければならないように思う。

特に法科大学院がお題目のように主張する、「理論と実務の架橋」を目指すのであれば、少なくとも、その制度が具体的にはどのように実務で生かされ、どのような問題点が生じ、どうやってその解決を目指しているのかまで、判例などを題材にして説明しなければおかしい。
単に会社法に規定された制度を示して、こういう制度がある、という説明だけでは、何の理解も進まないだろうし、『「理論と実務の架橋」なんて、どの口が言った!』といわれてもしょうがないだろう。

残念ながら、この授業の講義部分には、その点が決定的に欠けているように思えた。

だが、理論と実務の架橋が崩れ去っているとしても、まだまだ決断を下すのは早い。なんと言っても、法科大学院の目玉はもう一つある。少人数双方向性授業だ。なんでもソクラテスメソッドとか言って、教員と生徒のやりとりで生徒の理解を深める方法らしい。S弁護士としては、ハーバード白熱教室のサンデル教授ばりに熱い議論がなされることを期待した。

以前、法科大学院の実務家教員の方に、ソクラテスメソッドの利点を聞いてみたところ、「生徒が眠ることを防止し、講義に緊張感を持たせるメリットがある」と聞いたことがあるが、S弁護士は信じなかった(ホントは信じたけど)。
そもそも、眠気防止なわけないだろ。だって、素晴らしい法科大学院の理念に沿った双方向性授業が単なる眠気防止の意味しかないなんて、多額の血税を法科大学院制度に投入させられている国民を、あまりにも馬鹿にしているじゃないか。

いかなる理由があっても、そんなことがあって良いはずがないのである。

ところが、なかなかその双方向性授業とやらは始まらない。延々と教員による会社法の制度の表面的解説が続いていく。

会社法353条(株式会社と取締役との間の訴えにおける会社の代表)の解説も、こういう場合は利益相反でまずいから、という説明しかなされない。何故利益相反なのか、利益相反だと何故まずいのか、という点について、具体的な説明が一切ないのだ。大学院生が理解しているので、説明を省いているのならそれはそれで構わない。もちろん膨大な会社法を1年で全範囲教えきるのは難しいはずだからだ。

大学院生達は、黙々とノートを取ったりしている。理解しているのかどうか分からない。353条の解説場面で、「利益相反だと、具体的にどのような不都合が出るのか」という質問が出ることもない。

この法科大学院は、2009年に不適合判定を食らったものの、その後3年は経過しているし、きちんと運営できているから、現在ではもちろん法科大学院としては適合しているはずだ。

ただし、適合不適合は、授業内容には及んでいないと聞いたことがある。
S弁護士から見れば、法科大学院はどれだけ優秀な法曹を生み出すかが至上命題だから、授業内容が優れていなければ全く意味がないと思うし、評価の対象として授業内容が含まれていないなどという馬鹿な話はないと思うのだが、現実はどうも違うらしい。

そのようなことを漠然と考えながら授業を参観していたところ、ようやく、教員が、学生に質問をし始めた。弁護士が授業参観していることもあってか、緊張気味の学生に、S弁護士は心の中で声をかける。

当たらなければ、どうということはない!

(続く)

ロースクール授業参観記~その3

皆さんご存じの通り、法科大学院側は、素晴らしい理念に基づいた素晴らしい教育を行い、厳格な修了認定を行っていると、これまで明言してきた。

S弁護士も大学法学部を卒業した身であり、大学にはそんなこと到底無理だと思っている一方で、(そのほとんどが法科大学院関係者であったり、法科大学院推進派であった方々ではあるが)法科大学院は素晴らしいと仰る弁護士の先生もいらっしゃるので、心の片隅で、自分の考えが誤っていたらどうしようという不安もないではなかった。

だから、今回は、プロセスによる教育の、お手並み拝見だ。

さて、見せてもらおうか、ロースクール理念の神髄とやらを!

威勢の良いかけ声とは裏腹に、S弁護士の座る席の机の上には、はるばる事務所から持参してきた神田秀樹教授の「会社法」(弘文堂)最新版がおいてある。授業の正確性や分かり易さなどを比較しようという目的もあるが、万一、教員から当てられたときに変な答えをしないためというちょっとした自己防御目的もあったのかもしれない。

せっかくもらったパワーポイントのレジュメと、スクリーンに映し出されている映像が一致していることがすこし気になる。レジュメを配布しているのであればわざわざ同じ内容をスクリーンに映す必要ないじゃないか。スクリーンに映すなら、具体的事例とか、設問とかなら、分かるんだがなぁ。

一抹の不安をS弁護士は抱えながらも、とにかく授業は開始された。

ご存じの通り、会社法には様々な制度が規定されており、会社の基本構造を学んだ後は、そのような制度への理解を深めていく必要がある。特に初学者には会社の基本構造は大事なところだ。

教員の説明は、この制度がある、という点に関しては、丁寧な口調だ。
だけど、結構早口だ。
それに、ある制度の説明の具体例を口頭でいうので、分かりにくい。

例えば、会社法349条5項(株式会社の代表取締役の権限に加える制限)について、

「代表取締役の包括的な代表権を制限しても(例えば食品部門にはA代取、薬品部門にはB代取の担当とする等)、善意の第三者には対抗できない。このように不可制限的な権限なんですね。」とレジュメ記載通りで説明が終わってしまう。

果たしてこの説明だけで、法科大学院生は理解できるのか?
多分、学生時代のS弁護士なら無理だ。
具体的に問題となる場面が即座に、頭の中に浮かばないからだ。

『349条4項を見ても分かるとおり、法律上、代表取締役は株式会社の業務に関する一切の裁判上裁判外の行為をする権限を有するとされている。
だから、例えばX社と食品を取引しようとするY社からすれば、X社の代表取締役といえばX社の業務に関する一切の権限を持っていると考えるはずである。その結果、Y社としてはX社代取AをX社の代表として扱って取引すれば安心だ、と考えるのが普通だろう。
ところが、じつはX社の中に内部規定があって、代取AはX社の扱う商品のうち薬品のみの担当であり、食品については代取Bという別の代表取締役の担当とされていて、代取Aには食品を取り扱う権限がないとされていた場合どうだろうか。
Y社とX社代取Aで締結した食品に関する契約はAにその権限がなかったということで無権代表行為や権限濫用などの瑕疵があるものになるとして良いだろうか?法律上、代表取締役には、一切の裁判上裁判外の行為をする権限を与えられているにもかかわらず、X社の都合だけでその権限を制限し、その制限を対外的にも主張できるとして扱って良いだろうかという問題だ。
それでは、あまりにもX社と取引するY社の取引の安全を侵害する。なぜなら、Y社からすればX社内の代表取締役の権限の制限など知りようもないはずなのだ。それなのに、X社から、取引後に「実は、うちの代取Aには食品を扱う権限がなかったので、代取Aの権限濫用行為でした。申し訳ありませんが、その取引はなかったことにして下さい」等といわれても困る。
だから、349条5項は、取引安全の見地から、代表取締役の代表権の制限をしても第三者に対抗できないとして規定しているのだ。
ただし、この規定はあくまで、取引安全のための規定だから、代表取締役の権限濫用行為まで知っていた相手方まで保護する必要はない・・・・・。』

と説明して、最判S38年9月5日の判例(代表取締役の権限濫用行為に民法93条但書を類推適用した判例)へと結びつける。

大体これくらいまで説明してもらわないと、多分、学生時代のS弁護士は理解できなかったと思う。

大学院生の反応も、極めて希薄だ。後ろから見ているせいもあろうが、分かってるんだか分かってないんだか、さっぱり分からない。なんだか必死にノートを取っていたりするけど、ホントに分かってるんだろうか。

S弁護士はだんだん不安になってきた。

(続く)

ロースクール授業参観記~その2

さて、授業時間も迫ってきた。
問題は、どの授業を見学するか、である。

4限目(14:40~16:10)に授業参観を許されたのは、会社法の授業だ。
新入生13名の参加するクラスと、再履修者10名の参加するクラスのいずれかが見学可能だ。

S弁護士としては、法科大学院がやたら強調する「プロセスによる教育」とやらが、半年間でどれだけ新入生に威力を発揮して教育効果を上げているのか知りたいと思ったので、迷わず新入生クラスを希望した。

なんでも教室は地下にあるそうだ。京大在学中に、勉強会でJ(法学部)地下といえば薄暗い雰囲気があったので、地下の教室とはどんなところや??まさか薄暗くって変なとことちゃうやろな、と自問自答しつつ、弁護士会のエライ先生に続いて、S弁護士は階段を下りる。

地下とはいえ、蛍光灯が煌々と灯り、明るい。
未だ節電状態継続中で、蛍光灯が間引きされ、まっ昼間でも薄暗~い大坂地裁や高裁の廊下とは打って変わって、非常に明るい雰囲気である。
ただ、何となく司法研修所の「いずみ寮」のように、妙に真っ白で病院的な雰囲気が漂っていなくもない。なにもそこまで、司法研修所っぽい雰囲気を出さなくても良いのにと、S弁護士としては思うのだが、教室の中に入ってさらに驚いた。

教壇に向かって、半円形状にまた階段状に机が並べられている。50~60名は優に座れるだろう。机の広さや椅子の間隔から考えれば、司法研修所の教室よりも立派かも。教壇の後ろには巨大なホワイトボード。机のフタを開けてみるとノートパソコンが入っている。盗難防止用にワイヤーでしっかりとつながれているのが、将来の、優秀で人格高潔な法曹を養成する法科大学院としては泣けるところだ。
教員の方が、教壇のどこかをいじると、ガイィーン・・・と音を立てて、巨大スクリーンが降りてくる。パワーポイントで作ったと思われるレジュメがその巨大スクリーンに投影される。
おおっ、なんだか、ガルマ・ザビの葬儀の時みたいでかっこいいぞ。昔はガンダムファンだったS弁護士は、心の中でジーク・ジオンとつぶやいてみたりする。

でも、生徒は少ない。約13~14名程度しかいない。

だから、せっかくの教室も、がっらがらに空いている。貧乏性のS弁護士から見ると、こんな立派な教室・設備は、無駄な施設なんじゃないの、と思えてしまう。だって教室の5分の1も使ってないんだから、仮に今日の授業でパソコンを使うとしても40台以上のノートパソコンがむなしく眠っているのだから、そう思っても無理はない。

だが、それはそれで仕方がない。
法科大学院教育は少人数制・双方向教育が目玉なんだから、60名用の教室でも13名なんだ。それでいいんだ。それが売りなんだから。授業料だってそれを前提に設定しているはずなんだろうし、税金だって投入されている。無駄なんていうと、逆に崇高な法科大学院の理想とやらに、罰を当てられる危険があるかもしれない。

考え直して、教壇の真正面最後列の机にS弁護士は腰掛ける。

ありがたいことに、教員の方から、パワーポイントのスライド4枚分を一枚のB4判に印刷したレジュメ(4頁×2、第7回と第8回の分)を頂くことができた。

いよいよ、授業の開始である。

(続く)