かなり恐ろしいアメリカの司法~その2

 裁判を、お金儲けの道具と考える人を除けば、本当は誰だって、裁判で争いになる以上、真実にしたがって判断してもらいたいと思うだろう。少なくとも日本の裁判所は、可能な限り真実の発見に努めているように私は思う。

 しかしアメリカの裁判所では、真実が重要なのではなく、外観が整っているかが重要とされている、というのがアメリカの大御所弁護士(兼ロースクール教授)の説明である。

 では、何故アメリカの裁判は、真実であるかどうか別にして、外観が整っていれば、どれだけ不公正であってもその外観にしたがって判断して紛争を終わらせてしまって良いことになっているのか。

 鈴木弁護士による分析は以下のとおりである。

①アメリカの裁判所では事件数が余りにも多く、裁判所の処理能力を大幅に超えてしまっていること。
大量の事件が裁判所に持ち込まれる理由は、

ⅰアメリカが犯罪大国であること(銃を所持する権利の保障・好戦的性格?)、

ⅱ文化の多様性(人種のるつぼであり社会の共通認識の形成、異文化間での合意形成が困難であり、法律~裁判による解決しか基準が見出せない)、

ⅲ孤独感・帰属意識の希薄化

などから、犯罪や紛争が恒常的に多発し、ドライな訴訟的解決に委ねられていること。

②陪審制で真実主義を貫くことは無理があること。

ⅰ陪審員の多くは高齢者や主婦である場合が多く(忙しいビジネスマンが2週間近く裁判所に拘束されることは事実上不可能)、専門家でも困難である事実認定が、ぶっつけ本番で素人によりなされること。

ⅱそのため、弁護士としては勝訴するために、いかに素人である陪審員を丸め込むかという点に力点を置く傾向が強くなる。悪い言い方をすれば、アメリカの弁護士は依頼者の利益が全てなのだから、素人を上手く騙す演技力、相手方に対する執拗な人格攻撃によって、誤審的勝訴を勝ち取ることも弁護士の職務とも言いうる状況にあること(現実に多くの法廷弁護士が俳優学校に通っているとのこと)。

ⅲ多くの市民が陪審制に疑問を持ちながらも、民主的手続であることから裁判官に裁かれるよりマシという国家不信の伝統的意識が強いこと。

③上記の理由などから、手続的に正義を守ること(適正手続)の実現が精一杯であり、到底、実体的正義(真実の発見)まで手が回らない、インスタント司法とならざるを得ない状況にある。

以上が、私なりに理解した鈴木弁護士の分析だ。

鈴木弁護士がアメリカにおいて、多くの市民の方や弁護士などから聞き取られた中で実感されたことであり、相当の説得力があるように私には思える。

次に、鈴木弁護士は、アメリカの弁護士の状況をみながら、あるべき法曹界への姿について論じている。

(続く)

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