法曹養成フォーラムでの日弁連委員の発言に思う~その2

(続き)

6の新たな法曹養成制度の現状で、川上委員は、法曹志望者、非法学部出身者・社会人割合の大幅減少の原因は、次の3点だと指摘する。

ア 司法試験の合格率が伸び悩んでいること(高リスク)

イ 法曹養成課程に経済的負担が伴うこと(高コスト)

ウ 法曹需要の現状(低リターン)~就職難

 一見確かに、もっともらしい理由に見えるかもしれない。しかし、旧司法試験は合格率2~3%であったが、志願者は増加の一途であった(若手優遇策を採用した際の受け控え時期を除く)。

 つまり、旧司法試験の志願者増加の傾向を考えると、合格率に関するリスクは実は大きな理由にならない。5年内に3回の受験で合格しなければ受験資格を失うリスクの方が大きいはずだ。これも法科大学院とセットで導入されたものである。法科大学院制度を導入せずに、何回でも挑戦できる制度にしておけば、仕事を辞めてまで法科大学院に通わずに済むし、仕事をしながらでも実力を貯えて合格することも可能だった。リスクは大幅に軽減できたともいえる。

 次に高コスト問題だが、どんなに優秀な学生であっても大学卒業後法科大学院で学費・生活費が必要になるのであればコストはかかることになるので、無駄な回り道をさせている法科大学院は優秀な法曹志願者にむりやり高コストを強いていることになる。

 また、法律の勉強に限って教わらなければ絶対に身につかないというものではないから、自習して実力をつけるタイプの人間にも高コストを強いていることになる。もちろん一般の法曹志願者に対しても、新司法試験は法科大学院を卒業しなければ受験すらさせてもらえないから、無理にコストを掛けるよう法科大学院制度が作られているといえる。

 したがって、高コスト問題は、理由になる。川上委員は法科大学院と司法修習のコストを指摘するが、これまでは司法修習生の給与制があったため、高コスト問題といっても、実際は法科大学院に必要とされるコストの問題だったのだ。

 最後にローリターンが最も大きな問題だと私は考える。どこの世界でもそうだろうが、優秀な人材を集めるためには、費用をかけるか、権力を与えるか、名誉を与えるかなど、とにかく何らかのリターンが必要であり、これは異論がないところだと思われる(優秀な人材をヘッドハンティングする場合、当然高額な報酬や高いポストが準備される)。これは法曹志願者だからといって例外ではないだろう。法曹志願者だけが霞を食って生きていけるのならともかく、法曹志願者だって人間だ。生活がある。生活を維持する売上が上げられる見込みが薄いのなら志願者は減って当然なのだ。

 普通99%ダメとは、ほぼ不可能を意味するところ、旧司法試験が98%落ちる試験でありながら、志願者を増やし続けていたのは、法曹資格に相当なリターンが見込まれた~法曹という仕事に経済的意味においても魅力があった、ということと無関係ではないはずだ。

 ところが、存在しない法的ニーズを存在すると断言して、弁護士人口を激増させた結果、新人弁護士の就職難が生じ、一括登録時に於いて10%以上が就職出来ない事態が生じ、今年はさらに就職状況は悪化すると見込まれている。

 優秀な人材ほど、視野が広く将来のことをきちんと考える割合が高いはずだから、リターンが見込めない業界(すなわち未来が見込めない業界)に、わざわざ飛び込もうとする人材は少なくなるはずだ。お医者さんのように健康保険制度が整備され、保険診療だけでも十分生活が可能なリターンが得られるならともかく、そのような制度が一切ない弁護士に、ボランティア的な国選弁護や民事法律扶助事件を押しつけて解決しろと迫るのは、力一杯筋違いだ。ボランティアを強いるなら、生活出来るだけの収入を確保させてからやらせるべきものだ。どんなボランティア対しても、自分や家族が飢えているのに、他人のために食物を差し出すよう求めることは出来ないはずだからだ。

 弁護士の報酬はお布施だといった中坊公平さんも、大阪弁護士会内でのお話では、まず自宅を建て、恒産を3億円貯め、生活の不安を払拭してから社会のために働け、と仰っていたと聞いたことがある。

 知らない間に、中坊さんの言葉から、「自宅を建て、恒産を3億円貯め、」という部分が抜け落ち、弁護士は社会のために働け、という部分だけが一人歩きしていったのだ。そりゃぁ、中坊さんは、京都の旅館の持ち主だったはずだから、それで良いのかもしれないが、普通の弁護士には、3億円なんて貯められないぞ。

 自由競争させれば自然と優秀な弁護士が残るはずだという意見もあるが、そういう意見を言う人にはこう言いたい。

 貴方は依頼した弁護士の方針の善し悪し、書面の善し悪し、証拠選別の善し悪し、主張の組み立て方、訴訟の進行させ具合の善し悪し等が、全て分かるのですか。 仮に貴方は分かっても、一般の方も同じように弁護士の善し悪しが分かりますか。

 何度も言うが、自由競争させるためには、競争の対象の善し悪しが判断でき、よりよきものを選び直せる状況がないと競争自体が成立しない。弁護士の仕事は一般の国民の方には仕事の内容の善し悪しは極めて分かりにくいし、一度依頼して解決してもらったものを再度別の弁護士に依頼してもう一度解決してもらうことも出来ない。つまり、自由競争が成立しない分野に該当するのだ。確かに、大企業やお金持ちは困らない。情報も費用も潤沢にあるから、良い弁護士に頼めるだろう。しかし困るのは、一般の国民の方だ。大企業に人権を侵害されて一生に一度の訴訟をする際に、依頼した弁護士がハズレであっても(ハズレの可能性が相当あっても)いいのだろうか。答えは当然ノーのはずだと私は思う。

 そうだとすれば、その分野に関わる専門家の質を国家が厳重に管理し、相当程度の品質を維持する必要がある。国民の人権に関わる分野であればなおさらだ。自由競争すればいいなどと無責任なことを言わないでもらいたい。お医者さんで考えればすぐ分かるだろう。医学部を出た人間全てに医師免許を与え、自由競争で良いお医者が残るから、それで良いといえるのだろうか。医師を無限定に増加させ、生活のためにお金を稼ぐことばかり考える医師が増えたら、本当に国民の健康は守れるのだろうか。

だいぶお話が脱線したが、川上委員の発言は、ピントがずれているように思われてならない。

(続く・・・かも)

※記載内容については、全て執筆者の個人的な見解に基づくものであって、当事務所の統一した見解・意見ではありません。

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