京都の三大祭りと言えば、葵祭、祇園祭、時代祭だ。
京都大学で学生生活を送っていた私も、当然のごとくアルバイトで、3大祭りに出ている。幸いにも各2回ずつ参加することが出来た。弁当付きで5000円前後(だったと思う)のアルバイト料は、夕食を京大生協のカレー150円で済ませることも多かった私にとっては、相当魅力的だった。
経験したからこそ言えるのだが、この三大祭りの中で最もしんどいアルバイトだったのが、真夏に山鉾巡行が行われる、祇園祭だった。
私は船鉾の引き手を2度勤めたが、2度とも物凄い炎天下で、へろへろになった記憶がある。
山鉾は、四条通を通って、河原町通りを北上し、御池通を通って、新町通(だったと思う)を南下してもとに戻るコースをとる。
山場は、四条河原町の辻回しだ。他の山鉾は、割った青竹をしいて水を打ち、その上を滑らせて辻回しを行っていたが、当時の船鉾は青竹ではなく木を使っていた。見るからに滑りが悪そうなので、割った青竹の方が合理的だとは思ったが、それぞれの鉾にはそれぞれのやり方があったのだろう。「エンヤラヤー」のかけ声に合わせて、一気に引き綱を引き、10トンを超える鉾がきしみながら方向転換するのは、やっていても、なにがしかの感動を覚えるものだった。
ただし、辻回しがすんでも曳き手の仕事は、それからが本番だ。そこから河原町通りを北上するのが曳き手にとっては相当辛いのだ。実は、河原町通りは北に向かって上り坂になっている。歩いていると全く分からないのだが、人をたくさん乗せた鉾を引いていると、上り坂であることはよく分かる。四条通よりも河原町通りを曳くときの方が明らかに重いのだ。
しかも、河原町通りには、日光を遮るものがなにもない。灼熱の夏の日に焦がされながら、鉾を曳くことになる。このあたりまで来ると、最初の鉾が動き出したときの感動や、辻回しの達成感など薄れ、早く帰ってシャワーでも浴びたいという気持ちが湧いてきた記憶がある。しかも、曳いている鉾は次第に重くなっていくようにも感じられるのだ。
ちなみに、鉾には方向を決めるハンドルがない。また車輪の大きさがずれているせいかどうか分からないが、必ずしも真っ直ぐには進まない。そのときは、すすみすぎた側の車輪の下に、木で出来た道具(名前は知らない)を噛ませて乗り上げさせて調整する。鉾が重く感じられるときはその道具を乗り越えさせるのも一苦労となるときもあったように思う。
今思うと、京都で学生時代を送ったからこそできた、貴重な体験だった。
暑い夏が来ると、いつもすこしだけ祇園祭のことを、そして闘病中に祇園祭宵山の想い出を語ってくれた故・信國乾一郎くんのこと思い出す。