霜焼けの記憶

 私は、和歌山の南部で育ったが、冬は、やはり寒かった。

 私の実家の裏には、小さな川を挟んで、山際まで狭い田畑があったが、陽差しの届かない田んぼには、霜柱が相当な高さまで育っていた。

 比較的暖かい日であれば、力一杯踏みつけて、ザクッ、と音を立てる遊びが出来たのだが、寒い日であれば、どれだけ力を込めて踏みつけても、霜柱はびくともせず、足が痛くなるだけだった。

 裏の小さな川も、冬は水量が下がることもあって、寒い年には、よどみには氷が張ったものだ。氷に向けて石を投げつけ、貫通させる遊びもやった。氷の上を、川の真ん中近くまでどれだけ近寄れるか試して、川にはまってしまったこともあったように思う。

 しかし、最近は全くと言っていいほど、川に氷が張ることはないようだ。京都だって、私が大学生だった頃と比較してでも、雪が積もる日が明らかに減っているように思う。

 私も中年になり、寒い日は、次第に辛く思うようになってきたが、それでも、冬になれば冬らしい日があっても良いのでは、と感じる。

 そして、小中学生の頃、クラスメイトは罹らず、なぜか私だけ冬になると罹っていた霜焼け、もう一度罹ってみたいとまでは思わないが、冬の寒い日には、あの感覚が時折懐かしくなる時がある。

 小さい頃、冷えれば痛み、暖めれば痒くなる、泣くほど辛かった霜焼けなのに、人間とは不思議なものだ。

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