法科大学院の学費のため窃盗

 報道によると、岡山で大学生が、窃盗で逮捕されたそうだ。

 その動機につき、大学生は「法科大学院の学費を手に入れるため」と述べているそうだ。もし本当なら、かなり問題ではないだろうか。

 何度も述べてきたが、新司法試験は法科大学院を卒業しないと受験すら出来ない(予備試験の例外はあるが、法科大学院が予備試験合格者の増加につき反対しているため、極めて狭き門とされる危険性が高い)。

 新司法試験という国家資格を得るための試験を受験するのに、法科大学院への通学と卒業(当然、入学金や学費など学生は高額な負担を追わなければならない)が条件とされているのだ。合格率が3%未満であった旧司法試験の時代でも、大学在学中に司法試験に合格するだけの実力を身につけることも出来た極めて優秀な学生もいた。そのような優秀な学生も、法科大学院という回り道と高額な費用を無駄に使わなければ法律家になれなくなっている。もしそのような学生が経済的に恵まれていなかったとしたら、果たして司法試験を目指すだろうか。

 もちろん、奨学金や、授業料免除などの可能性もあるだろう。しかし、法科大学院に通うだけ時間の無駄である場合もあるし、生活費は当然かかる。優秀な学生が法科大学院に進学せずに、新司法試験に合格し、すぐに就職して働いていたとしたら、その学生は弁護士として活躍できたはずの2年間の収入を失うことにもなるだろう。

 また、法科大学院自体も利益を出さなければ継続的に運営が出来ないだろうから、仮に優秀な学生を優遇すれば、普通の学生がその分の経済的負担を負わされることになろう。法科大学院が採算を度外視して優秀な法律家を育成するために、赤字でも学生のために経済的負担を軽減してくれるなら話は別だが、まさかそんな慈善事業を法科大学院側が行ってくれるとはとうてい思えない。

 地方にも法律家を行き渡らせるために、地方にも法科大学院が必要だという話を法科大学院側もしていたように思うが、学生が多く集まらず、採算のとれない田舎には、法科大学院を作ろうとする大学はなかったように思う。

 結局、法科大学院だって採算重視なのだ。現状を見る限り、導入当時大学が思ったほど法科大学院は金の卵ではなかったのだ。それが明らかになりつつある現状では、本当はもうやめたいと思っている法科大学院も多いはずだ。

 何度も言うが、もし本当に法科大学院が素晴らしい教育をしており、その教育を受けた方が、予備試験組より新司法試験にはるかに合格しやすいし、実務家になってからも極めて有利なのであれば、学生は殺到するはずなのだ。学生にとって、新司法試験に合格しなければ法律家の道は開けないのだし、法律家になってからも有利な実力をきちんと身につけてくれるのであればたとえ新司法試験に合格しなくても(経済界も弁護士不足を喧伝していたので)企業が争って雇用してくれるだろうから、多少の学費はむしろ安い先行投資になりうるからだ。

 法科大学院協会は、多少の問題点を認めつつも、基本的には法科大学院制度は素晴らしい制度であるとの姿勢を崩していない。社会の評価、新司法試験合格実績を素直にみれば、法科大学院制度が日本の法律家養成の桎梏となりつつあることはもはや明白のように思われる。こんな簡単な事実認識も出来ない教授が実務家を養成するはずの法科大学院で教鞭を執っているとしたら、その方が危険ではないだろうか。

 それはさておき、近頃、司法修習生の給費制維持に関連して、「お金持ちしか法律家になれないのか」というスローガンが掲げられている。確かにそのスローガンは一面の真実を述べている。しかし、修習生の給費制維持よりも、法科大学院制度の方が経済面でも法律家を目指す人の大きな障害になっていることを、今回の事件は示唆しているのではないだろうか。

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