夢の記憶

 小さい頃、怖い夢を見て大泣きし、両親に慰めてもらった記憶をお持ちの方は多いだろうと思う。

 私も怖い夢を何度も見て、泣いたことがある。母親や父親に、怖い夢を見たと訴え、泣いていたのだが、どんな夢かと聞かれても、きちんと説明できなかった。

 もちろん、怖い夢ばかり見るわけではなく、楽しいものや、訳の分からん夢も多く見たのだが、私が幼少の頃見た怖い夢の中に、何度も見る同じ夢で、とてつもなく怖いものがあった。

 その夢が出てくると、「ああ、また怖い思いをするのだ・・・」一瞬にして思うのだが、夢というものは見ているときは極めてリアルであって、夢であることも忘れて、その渦中で非常に恐怖を感じる、そういうことの繰り返しだった。

 多分、その夢は、小学校くらいから次第に見なくなり、中学生から今に至るまで、司法試験受験中に一度見たという例外を除いて、もう見なくなっている。

 ではその怖い夢とはどんな夢かと問われると困るのだが、天地が裂けるような恐ろしい天変地異の夢としか説明ができなかった。どんなに言葉を尽くしてもおそらく、その夢を表現することは無理だと、最初にその夢を見たときから私には分かっていた。全く音が聞こえない冷たい静寂のなかで、物凄い恐ろしさと、仮に、人間が神の恩寵を失い、この宇宙から、時の終わる刻(とき)が来たのなら、その夢の光景のようになるのかも知れないという非常な不安を、同時に感じるような夢だったからだ。

 私は、その恐ろしい夢を誰かに伝えることは、もう無理だろうとあきらていたのだが、あるとき、私が見た怖い夢の記憶に近い、絵を見つけてしまった。

 ジョン・マーティン(1789~1854)という画家の、「神の大いなる怒りの日」という絵だ。

 見た瞬間、私の見ていた夢の映像とは全く違うものの、絵の中に描かれ、表現されている「大いなる、なにか」は、私の見ていた怖い夢に表れていたものと同じものではないか、と強く感じた。私と同じように、なにかを感じていた人が昔いたのだ、そしてその何かをこのような凄い絵にして表現していたのだ、と思うと、驚くというより、嬉しく、また、地球の裏側の路地裏の店で隣人とばったり出会ったような不思議な思いを同時に感じた。

 「神の大いなる怒りの日」は、トレヴィルという出版社が1995年頃に出していた「ジョン・マーティン画集」に掲載されており、幸い私は当時購入したその本を未だに大事に持っている。(その後、絶版になったが、最近復刻版が出版されたようだ)。正確には、同じくトレヴィルが出していた「死都」という画集に、「神の大いなる怒りの日」が掲載されており、そこで初めてジョンマーティンを知り、彼の画集を買ったのだ。

  トレヴィルは、素晴らしい画集や写真集を出版していたが、残念ながら経営者が亡くなって、会社を整理したのではないかと思う。

 好き嫌いはあると思うが、異色の画家として是非一度ご覧頂きたい画集である。

(「ジョン・マーティン画集(復刻版)」 エディシオン・トレヴィル 3990円)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です