今年の職業講話

 私は、弁護士になった年から、中学校での職業講話を行っている。

 幸い、「もう来なくていい」といわれることもなく、大体毎年数校から、お声をかけて頂いている。感想文を頂いた場合は、大抵、子供達に一言書き添えて送ることにしており、それが生徒にとっては好評のようだ。

 中学校の他にも、高校生に対する出張授業も何度も行ったことがある。ただし、中1~高3まで、一通り授業をしたことがあるが、経験上、一番真面目に話を聞いてくれるのは、中学1年生である。

 中3以上になると、「意味もなく大人に反抗するのがなんだか格好良い」と変な意識を持つ生徒が増えてくるように思う。ひどい高校などでは、教室の一番真ん前で、最初っから寝るふりをしたりする生徒もいる。寝たふりをしているかは、質問を当てたりするとすぐ分かるのだ。

 学校の先生も注意すればいいとは思うのだが、大抵生徒の柄の悪い学校では、注意すらできていない。授業が終了した後に、「すみません、生徒の態度が悪くて」、と先生から謝られたこともあったくらいだ。そんなときでも、一応弁護士会から出向いているので、クイズ形式に切り替えたり、雑談を挟んでみたり工夫をして、なんとか授業は続ける。しかし、一部の生徒はどうしても態度を改めない場合もある。

 私は個人的には、外部の講師に対しあまりに失礼な態度をとるのであれば、講師の側にもそれ以上講義をしない自由があっても良い、と心の底では思っている。生徒として最低限の礼儀を守らない者に対して、講師が迎合する必要はないと考えるからだ。

 幸い、今日は、礼儀正しい中学生が職業講話を聞いてくれた。弁護士の仕事の内容や、そのやり甲斐、困ることなど、嬉しかったことなど、できるだけ本当のことを話してきたつもりだ。

 しかし、その子供達が、将来弁護士になろうと考えたとき、果たして弁護士が魅力的な仕事として彼らの目に映っているだろうか。いくらやり甲斐があっても、就職すらままならない職業、生計を立てられる見込みすら危うくなっている職業であれば、弁護士という職業を子供達が目指してくれる可能性は決して高くはないだろう。また、仮に弁護士を目指してくれても、就職もできず、生計すら立てられない状態に陥ったとき、この子供達は、私の職業講話をどういう思いで、思い返すのだろうか。

 弁護士という仕事の素晴らしさ、やり甲斐等(これは確かに本当である。)を説きながらも、私は、「頑張って弁護士を目指して欲しい」と、純真な中学生諸君に心の底から言い切れないことが、なによりも、悔しかった。

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