弁護士の、社会生活上の医師としてのニーズ

 日弁連執行部は相変わらず、法曹人口5万人目標(しかも、5万人達成後も増加させる方針を考えているように聞きますが・・・)を維持している模様です。

 そもそも、なぜ法曹人口が5万人必要なのか、5万人という数字をはじき出した根拠すら明確ではないのですが、日弁連執行部は閣議決定にも記載されていないこの数字を、墨守しようとしているようです。

 法曹人口5万人を目指すことを決めたH12.11.1日弁連臨時総会決議の際に、日弁連執行部は、「法曹一元(弁護士から裁判官(判事補)を任命する制度とご理解頂いて結構です。)のため」に、というお題目を唱えたことは何度かこのブログでも紹介させて頂いたとおりです。

 しかし、法曹一元は進んでいないばかりか、法曹一元に向けた積極的取り組みも日弁連ではなされていないようです。悪くいえば、日本の弁護士たちは、「法曹一元のため」という日弁連執行部が唱えた目標に、まんまと騙された格好になっています。

 そればかりではありません。

 当時の平山日弁連副会長は次のように述べています。

 ・・・・・5万名問題ですが、、これは、ここで我々が5万名が適切だというふうに書いている趣旨ではございませんので、このシミュレーションで行きますと、これだからこういうものが出ていて、それについて、我々としては今不足しているということは間違いないんではないかと。ですが将来、例えば3000名がどういうふうに計画的に、法曹養成制度ががっちりできて計画的におやりになるわけですから、それでその質が維持できてどういうふうに増えていくかということは分かりませんけれども、それで5万名程度に達するというのが、法曹一元を考えてみますと、例えば裁判官を4000人出すということになりますと、分母としてはやはり4万名くらい必要ではないかというようなことは議論しておりますけれども、それ以上は、吉岡会員に回答しましたように、これから、2010年、2020年の社会の人口構成とか、世界経済の中での日本の経済の立場とかいろいろなものを考えてそのときに決まっていくのではないかと。・・・・・・(臨時総会議事録p25~26)

続けて、当時の久保井日弁連会長はこのように述べています。

 ・・・・・マーケットとか、需要とかそういうものが法曹人口の一つのファクターになってくるということは、これは否定できないだろうと思います。それにはその時代、その時代の必要数をどのように確定していくのかということについては、大変これという定量的な算術的方法があるとは思えないので、その時々における国民の声を聞きながらいろいろな角度からそれを推測、認定していくということにせざるを得ない。弁護士会も当然、その中でその時点における事件の処理状況、法律相談とか様々な活動状況を見ながら、国民に対して適切な参考意見を提供していくという責務もあると思います・・・・・・・(議事録p26)

日弁連執行部自体が、5万人は確定の数字ではない、変わりうる数字であると明言しているのです。

 それがどうして、今の日弁連が5万人という数字の維持に躍起となるのか、私には理解できません。日弁連執行部の5万人維持の姿勢は、将来的に消費税が10%になる可能性があるとだけ言っていながら、どんなに状況が変化しても(極論すれば消費税率を上げる必要性がなくとも)、消費税を10%にする可能性は示唆したじゃないか、だから10%以下は認めないぞ、と開き直るのに似ています。悪くいえば、日弁連執行部の会員に対する裏切り行為ではないでしょうか。

 国民のニーズがあると日弁連執行部はいうのかもしれません。しかしその根拠はどこにもありません。きちんと調査されたことも、示されたこともないようです。国民のニーズがあるはずだ、と日弁連執行部が誤解しているだけかもしれないのです。

 確かに弁護士には、社会生活上の医師的な役割が期待されている部分があると思われます。

 しかし、一般の国民の方が、医師に病気を診てもらう回数と、事件があって弁護士に相談する回数を比較した場合、医師に診てもらう回数の30分の1の割合でも、弁護士に相談する人必要のある人は、おそらく希でしょう。

 弁護士のクライアントは個人だけではないし、仕事も違うので物凄く乱暴な比較になりますが、百歩譲って、医師に診てもらう回数の10分の1の需要が弁護士にあるとしても、弁護士の人数は医師の10分の1あれば足りることになります。

 現在医師の数は約28万人、弁護士の数は、今年登録する見込みの者を含めれば約29000人になります。すでに、弁護士の数は医師数の10分の1を上回ろうとしています。

 先日、政権交代に関するNHK特集が深夜に再放送されていました。そこで、野中広務氏が、概ね次のような内容の、実に印象的な発言をされていました。

 「高邁な政治思想なんてありはしない。その場その場の難局をどう切り抜けるか、それだけだった。」

 政治的闘争に明け暮れた自民党は民意を見失い、政権交代により野党へと追いやられました。日弁連執行部が、当時の自民党執行部と同じ過ちを繰り返していなければいいのですが。

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