琴きき橋

 平家物語に小督について、書かれた段がある。

 高倉天皇の寵愛を一身に受けた小督であったが、高倉天皇の中宮が平清盛の娘である徳子であったため、清盛の怒りを買い、小督は、嵯峨へ身を隠すことになる。

 高倉天皇はひどく悲しみ、源仲国に馬を与え、密かに小督を探させる。しかし、嵯峨野あたりにいるらしいこと、片折戸をした家にいるらしいこと、の僅かこれだけの手がかりしかない。仲国は、どうやって探すんだと自問しながら嵯峨野近辺を探す。

 折しも中秋の名月のころであった(と思う)。琴も名手でもあった小督は、きっと、この月に誘われて琴を弾いているに違いないと信じて、仲国は琴の音が聞こえないかと耳を澄ませつつ、馬を走らせる。そして仲国は、ようやく、琴の音を耳にするのである。

 その場面の平家物語は、私の記憶によればこう書かれていたと思う。

 「峯の嵐か松風か、尋ぬる人の琴の音か、覚束なくは思えども、駒を早めていくほどに・・・・・・」

 仲国は、宮中で小督と一緒に笛を奏したことがあり、聞き間違うことはなかった。そして、ついに小督を発見することになる。

 高校時代の私は、中秋の名月が白く輝く夜に仲国が馬を走らせている情景、探しあぐねていた女性の手がかりを見つけた仲国の不安と興奮、二人を巡り合わせたものが琴の音というあまりに儚き糸であったことなどが、この一節に凝縮されているように思えて、何度も読み返したものである。

 その琴の音を、仲国が聞きつけた場所が、琴きき橋である、とされている。

 場所は、京都嵐山、有名な渡月橋のたもとにある。先だっての連休に、琴きき橋跡に行ってみた。非常に多くの観光客が嵐山を訪れており、土産物などを物色していたが、琴きき橋跡の石碑に注意を払う人は見当たらなかった。

 単なる石碑であるから、当たり前かもしれない。

 しかし、そのようにひっそりと佇んでいる方が、その後の小督の運命にも合うようで、私には何となく好ましく思えたのだった。

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