極楽丸事件~その1

 大分記憶が薄れているが、S弁護士がまだ大学生か高校生の頃、田舎で経験した事件である。

 学生Sの田舎は和歌山県太地町であるが、居住地区は太地町の森浦という地区にあった。森浦区では、初盆の家は、お盆初日に百八体と呼ばれる線香を焚く行事などがあり、8月16日(だったと思うが)に先祖の霊と初盆を迎えた仏様をお送りする行事があった。

 その行事は、わらなどで造った粗末な船(といっても5mくらいはあったと思う)に先祖の霊などをお乗せして、小さな漁船で引っ張りある程度沖の方まで引っ張っていって、適当に花火など打ち上げて、切り離し、お送りするというものだった。

 まだ学生であったSは、母親の親が亡くなったことでもあり、初盆の仏様をお送りする役目を、本家筋の従兄弟であるH兄ちゃんと一緒に仰せつかった。

 薄暗くなってきた森浦湾をゆっくりと、他の初盆を迎えた人たちの親類縁者6~7人と一緒に、一隻の小さな漁船に乗って、仏様をのせた船(もちろん紙製の灯籠などが吊ってあり、飾り付けされているが、わらなどで造った粗末な船~以下「仏船」という。)を引いていく。引っ張る側の漁船には、ヤマハかヤンマーの船外機が取り付けられており、順調に沖の方に向かっていった。

 ちなみに最近は、環境問題もあって、仏船を一度沖の方まで引っ張っていくが、最後は浜までそのまま引き返し、浜で焼くように変わっているそうだ。しかし、当時は、沖合で切り離し、あとは仏様達にお任せする(放置する)のが常だった。子供の頃に、流した数ヶ月後に浜にボロボロになった仏船が漂着していることを見かけることもあり、「本当に、あの世に帰れたのかな」と不思議に思ったこともあった。

 さて、ある程度沖合に出た頃、そろそろ花火を上げるようにと年輩の方に指示され、学生Sは、他の若い衆と適当に手持ち花火を、沿岸で見送っている人たちに見えるようにくるくる振り回したり、ロケット花火を打ち上げたりして、暢気にお役目を果たしていた。

 そのとき、であった。

 急に漁船のエンジンの回転音が下がり、えっ?と思う間もなく、エンジンが止まってしまった。
 慌てて漁船の持ち主が、スターターの紐を引っ張り、エンジンをかけようとするが、どうしてもかからない。何度やっても駄目である。若い衆は「なんでかからんの?」とか「ガス欠ちゃうの」等と気楽なことをいっていたが、辺りは次第に暗くなる。引き潮に引かれるように、次第に船は沖へと徐々に流されていく。

 誰かが岸に向かって、故障を告げようと声を張り上げたが、既に岸は相当遠くて声は届かない。遠目に見えていた見送りの人たちは、花火も終わったので、ぞろぞろ帰りだしているようだ。

 エンジンがかかっていない船の上は、不気味なほど静かで、これまで全く聞こえなかった、仏船にあたる波の音がチャプチャプ、チャプチャプと聞こえてくる。うちの田舎の町から鯨を追っかけていき、帰れず、漂流して多くの犠牲者を出した事件を書いた本を読んだ記憶が、何故だか蘇る。

 「舟板一枚、下は地獄」確かそんな言葉を聞いたこともあった。この薄いプラスティックの舟板の下は地獄かもしれない。

 後ろを振り向けば、あの世に帰る先祖の霊を乗せた船だ。すっかり暗くなってきた中で、怪しく仏船の灯籠が揺れている。どういうわけか船の動きと連動せずに、自分の意思を持って揺らいでいるように思えてくる。潮のせいなのか、仏船はゆっくりと漁船に近づいてくる。本来同じ潮にのって流されつつあるのだから、距離は一定に保たれていておかしくない。しかし仏船は何故かこちらに近づいてくる。不気味だ。

 仏船には、お経などの幟(のぼり)が立てられており、その幟の一つに船名が書いてある。次第に近づいてくる仏船の幟に墨痕鮮やかに、書き付けられた船名はこうだった。

 「極楽丸」

(続く)

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