時代劇の悪役

 S弁護士の父親は、S弁護士から見ても、あきれるくらい時代劇が好きである。

 NHK大河ドラマは当然として、定番の水戸黄門、遠山の金さん、暴れん坊将軍、ちょっとテーマ曲が寂しい感じの大岡越前、お~と~こだった~らの銭形平次、死して屍(しかばね)拾う者なしの大江戸捜査網などなど、まあよく見ていた。今も年末やお盆に実家に帰ると、年末特集の白虎隊やら何やらよく見ている。

 時代劇は、話としては単純である。

 大抵の時代劇は、善良な商人(茶屋の娘の場合もあり)が悪代官(悪徳商人の場合もあり)にひどい目に遭わされ、「神も仏もあるものか・・・・・」と悲嘆にくれる。しかも、悪役は悪役面の俳優さんが必ずと言っていいほど演じており、一目で悪い奴かどうか分かる仕組みになっていて、番組の途中から見ても、どっちが悪役かすぐ分かるようになっている。

 そして、悪代官と悪徳商人が

「そちも、相当の悪よのう。○○屋」、

「いえいえ△△様にはかないませぬ。これで△△様も××様のあとを襲うてお奉行様に・・・」、

「これ滅多なことを言うでない。」

「いえいえ、もうお奉行様になられたも同然。これはそのときのお支度にお使い頂きたいと思うて、お持ちいたしました山吹色の菓子でございます。なに、ほんのお口汚しに・・・・」

「困るな、○○屋。まあしかし、菓子をくさらせるのももったいない。預かっておこう。」

「△△様、これで二人は同じ穴のむじな。今後とも、どうぞよしなに・・・・」

「うっしゃっしゃっしゃ・・・・」「ほほほほほ・・・・」

・・・・・・・てな具合で、悪役達が自らの首尾に酔いしれているところを、主人公やその仲間(水戸黄門の場合は風車の弥七)が目撃する。そして、弥七役のご注進を受けた主人公が真相を解明し、印籠やら桜吹雪を駆使して悪役を成敗し、めでたしめでたしである。

 大抵の悪役は、それまでに助さん・格さんや吉宗のみねうちや、平次の銭投げで痛めつけられているので、決めの印籠やら桜吹雪にめっぽう弱い。(最初から勝負は付いているのだが)印籠や桜吹雪が出た時点で「勝負あり!」である。

 つまり、時代劇は、どうしても代えようのないワンパターンであり、決して悪が勝つことはないお約束である。だからこそ安心してみていられるという面もある。

 ところが、これが、遺伝のせいかどうか分からないが、悔しいことに、S弁護士にも心地良いのである。仕事の関係で、そんなに早く家に戻らないので滅多に見ることはないが、TV番組で見かけると、結論が分かっていながらついつい見てしまうことがある。

 しかし、S弁護士の楽しみはそのワンパターンに乗った安心感だけではない。本当に希ではあるが、ワンパターンにおまけが付くことがある。

 散々痛い目に遭わされた上に、印籠を示され、いつもならへへーっとなり、命乞いする悪役が、ごく希に

 「ええい、こんなくそじじいが黄門様であるはずがない。切れっ!切ってしまえ!」

 「ええい、かくなるうえは・・・・・・」

 などと開き直って、襲いかかってくることがあるのだ。いつもなら印籠だけで勝負が付くので、開き直られて主人公が慌てれば面白いのだが、大抵はそんな反撃も想定の範囲内とばかりに、主人公達によって、あっさり悪役はやられてしまう。

 しかし、印籠という絶対に逆らえない正義を示された途端、直ちにこれまで行ってきた悪逆非道な行動を忘れたかのように命乞いをする悪代官より、実力でも権力でも、そして正義の面でも絶対に勝てないことを知りつつも最後まで悪役に徹しきる悪代官の方が、筋が通っているような気がして、なぜだかS弁護士は少しばかり好きなのである(悪人が好きというわけではないので念のため)。

 たまに時代劇を見ると、悪役が最後まで悪役で踏ん張らないかなぁ、とS弁護士はいつも少しだけ「おまけ」を期待しているという。

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