父親の涙

 人身保護申立に関する、期日がありました。

 事案は、子供を認知していた父親が、監護権者である母親の監護に不安を覚えて、保護したという事案でした。母親からは、無断で我が子を連れ去られた事案と捉えられていると思います。

 このような事案では、父親には監護権がないため、母親から人身保護手続を申し立てられた場合には、よほどの事情がない限り父親の監護は相当と認めてもらえません。監護権者指定審判申立、審判前の仮処分申立など、手を尽くしたものの、結局家庭裁判所には監護権者を父親に指定してもらうことはできず、人身保護手続の期日になりました。

 父親は、父親から離れたがらない子供を、どうしても裁判所に連れてくることができませんでした。

 父親に、法的には監護権はありませんので、散々手を尽くした結果であれ、人身保護手続き上は、圧倒的に不利な(ほぼ確実に負ける)状況にありました。私としても父親に嘘を言うわけにはいかないので、その見通しを伝えていましたが、父親を慕う子供の様子を聞かされると、父親を慕う子供とその子供を守ろうとする親子の情が、法に優先してはなぜいけないのか、という気持ちが心の中で湧き出てくるのを抑えることができませんでした。

 父親は、期日の席上で、自分が保護して、ようやく落ち着いた生活ができるようになった我が子を、返さなければならなくなる、自分で守ってやれなかった、という自責の念で、涙が止まりません。裁判長も非常によい方で、情理を尽くして説明をしてくれましたが、法的な観点からみても結論を変えることはほぼ無理であり、その事実を知る父親の涙を止めることは、最後まで、できなかったのです。

 席上で父親が「どうやって〇〇(子供の名前)に謝ったらええんやろ」と、小さくつぶやいたその押し殺した声は、おそらくしばらくは忘れられないだろうと思います。

 もちろん母親には母親の言い分があるのでしょうが、本件に限っていえば、私個人には、客観的に見ても、父親の愛情の方が勝っているように思われました。しかし、だからといって誰もが、自分の方が愛情に勝っていると主張して自由に子供を奪い合えば、社会は混乱し、社会秩序も失われます。何よりも奪い合いにさらされる子供のためにならないでしょう。本当は子供の意思で決められればいいのですが、子供が小さい場合には限界があります。裁判所に争いが持ち込まれている以上、どこかで判断が下されなければなりません。 

 本件の父親の行為は、監護権もなく子供を保護したという点、期日に子供を連れて来るという裁判所との約束を守らない点では問題です。しかし、それだけの理由で父親だけを責めることができないのではないか、という気がしてなりませんでした。結局、本件では、父親が任意に子供を返す代わりに、養育状況を報告する、母親がきちんと養育する旨確約するなどの条件で和解することになりました。

 法律の限界、社会制度の限界、等様々な限界を感じた事件でした。

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