ある会社の取締役が、こういう機械を導入して製造すれば、これまで以上に優秀な製品をたくさん生産できると豪語したので、費用を投入して取締役の主張する機械を導入した。ところが、導入した機械は、その取締役の豪語するような性能を発揮するどころか機能不全を起こし、機械の半数以上が壊れた状態になっている。
しかもその取締役は、機械導入から20年近く経っても成果が上がらず惨状が明らかになっているにも関わらず、機械が上手く動けば上手く行くはずだと言って、機械をあれこれいじるだけで何ら結果を出せていない。
さて、このような取締役はどう扱われるのが正しいだろうか。
会社の話であれば、このような取締役は、当然責任を取らされて、クビになっているはずだ。会社のお金を無駄に使われれば、株主だって黙っていないだろう。
ところで、この話を法科大学院制度に変えて見るとこうなる。
法科大学院導入(推進)論者が、法科大学院制度を導入して法曹養成を行えばこれまで以上に優秀な法曹をたくさん生み出せると豪語したので、国は、多額の税金を投入して法科大学院導入論者が主張する法科大学院制度を導入した。ところが、法科大学院制度は、導入論者が豪語したような効果を発揮できず(司法試験合格率に関して、予備試験ルートは約95%、法科大学院卒業者は約40%未満)、半数以上の法科大学院が潰れている。
しかも、法科大学院導入論者は、法科大学院制度導入から20年近く経っても優秀な法曹を生み出すという成果をあげられず(司法試験合格率で予備試験ルートに大差をつけられ惨敗状態)、惨状が明らかになっているにもかかわらず、制度をいじれば上手く行くはずだと言って、法科大学院制度をあれこれいじるだけで何ら結果を出せていない。
このような法科大学院推進論者は、当然責任を取らされてクビになっていなければならないのではないか。多額の税金を使われた国民だって、事実を知れば黙っていないだろう。
しかし、現実には、法科大学院推進派の学者と実務家が雁首揃えて、法科大学院制度をあれこれいじることに注力し、司法試験受験生に不安を与え続けている(文科省、法科大学院等特別委員会など。)
ちなみに、司法試験予備試験は、法科大学院課程を修了した者と同等の学識及びその応用能力並びに法律に関する実務の基礎的素養を有するかどうかを判定する目的で実施されている(司法試験法5条参照)。
つまり、司法試験予備試験合格レベルは、国が想定する法科大学院修了者と同レベルなのであり、法科大学院教育がキチンとなされているのであれば、司法試験の合格率において、予備試験組と法科大学院修了者組とで大きな差が生じるはずがないのである。
荒木飛呂彦先生の漫画ではないが、「無駄無駄無駄無駄・・・・」と言いたくなるときもある。