荒井秘書官更迭に思う

 【荒井勝喜・前総理大臣秘書官は、3日夜、オフレコを前提にした記者団の取材に同性婚をめぐって「見るのも嫌だ」などと発言し、その後、不適切だったとして撤回し、謝罪しました。
 しかし、岸田総理大臣は、多様性を認め合う包摂的な社会を目指す政権の方針とは相いれず、言語道断の発言だとして4日、荒井氏を更迭し、後任を決定しました。】
(NHK NEWS WEB より引用2023年2月5日 5時57分)

 これはあくまで、上記記事を見ただけでの、(弁護士としてではなく)私個人としてのボンヤリとした感想だが、やりすぎなのではないかと考えている。

 今回の荒井秘書官の発言は、オフレコを前提にしたものだと報道されている。オフレコという言葉の意味にも幅があるようだが、一般的には、非公式の発言であり記録や公表しないことを条件に発言することを意味することが多い。
 つまり、オフレコ前提での今回の荒井秘書官の発言は、公式の発言でもないし、記録・公表されないことが前提で、敢えて本音を問われた際の、素直な内心の吐露であったと見るべきだと、私は思う。

 近時LGBTについて、様々言われているが、確かに、性的マイノリティであることを理由に差別をすることは、もちろんすべきではないことは分かる。

 しかし、今回の荒井秘書官の発言は、性的マイノリティの方の存在に個人的に違和感を感じていることを、オフレコで表明したもの、つまり「オフレコの条件で申し上げますが、私の内心はこういう思いなのです」、という発言だと私は受け取った。

 私の上記の推測が正しかったと仮定して感想を続けるが、この荒井秘書官の発言を根拠に(岸田首相によると「言語道断の発言」とのこと)、彼を更迭することが正当化されるなら、荒井秘書官が性的マイノリティの方に対して違和感を持つ自由すら許さない、いわば内心(思想?)の強制に繋がる危険があるのではないかと思われる。

 この点、性的マイノリティの方に違和感を持つことすら、許すべきでないと主張する方もいるかもしれない。
 しかし、憲法24条に婚姻は「両性の合意」のみに基づいて成立すると規定されているように、憲法自体が、婚姻は男性と女性の合意を前提としている。
 同性婚に関する大阪地方裁判所令和4年6月20日判決も、「憲法24条の文理や制定経緯等に照らすと、同条1項における「婚姻」は、異性間の婚姻のみを指し、同性間の婚姻を含むものではないと認めるのが相当である。」と判断している。

 このように、婚姻は男性と女性という異性間でなされるということが常識であった社会が、有史以来長らく続いてきたのだ。

 そうだとすれば、現時点で、性的マイノリティについて、違和感を持つ人がいても何ら不自然ではない。

 もちろん、その違和感を、現実の差別につなげてはならない。

 しかし、社会の構成員に要求できるのはそこまでであって、人の内心は自由であるべきである。
 ある事柄について、違和感を持つことすら許されない社会は、どこかおかしいのではないか。

 おそらく、野党は首相の秘書官任命責任を追及するだろうが、私は荒井秘書官の今回の発言は、オフレコ前提での発言である上、彼が現実的に上記発言に沿って性的マイノリティの方に何らかの差別的扱いをしたわけではないことから、なんら責任を問うべきではないと考える。

 むしろ、オフレコだからといって荒井秘書官の本音を引きだしておきながら、その発言をリークして問題化させた記者団にこそ、発言者と取材者との間の信頼関係を引き裂いた、大きな問題と責任があるように私は思う(発覚の経緯の詳細は不明ですが、記者団の参加者がリークしたと考えるのが合理的なので、記者団の問題と考えています)。

 岸田首相も、荒井秘書官を更迭する前に、当該発言は、あくまで職務上の見解ではなくオフレコでの個人の見解に過ぎず、性的マイノリティの方に何ら差別的取扱をしたわけでも、現実の不都合を与えたわけでもないということを示して、秘書官を守るべきだったのではないか。

 部下を守らず、切り捨てておいて、なにがボスだ。

 野党も、首相の任命責任追及とかで大いに盛り上がっているようだが、他に、もっとやるべきことがあるんじゃないのか。

真冬のダッハウ強制収容所(写真と本文は関係ありません)

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