吉田神社 節分祭 (「鈴鹿さん」のご祈祷)

 京都の吉田神社は、私の母校である京都大学のすぐ近く、吉田山にある。

 私は、あまり真面目な学生ではなかったので、天気が良すぎるという理由で授業をサボって吉田神社境内を散策したり、クラスメイト(法学部でも第2外国語等の選択によりクラス分けがあった。)から答えの出そうもない悩みを聞かされながら、吉田山に登ったりもしたものだ。

 基本的に無神論者である私だが、知人から数え年42歳の厄年の際に祈祷は受けておいたほうが良いと言われて出かけてから、吉田神社での節分祭には、都合のつく限りほぼ毎年出かけるようにしている。今年も昨日(2月2日)に参拝してきたところである。

 もちろん、参道に並ぶ多くの夜店をぶらぶら見ることも楽しいのだが、一番のお目当ては、普段は立ち入ることができない大元宮内院本殿(おそらく)での厄除けのご祈祷を受けることである。

 吉田神社の大元宮の御神徳は、以下のとおり。
「吉田神道の教義により宇宙軸を現す大元宮は、始まりの神(虚無大元尊神)を中心に祀り、そこから生まれ来る八百万の神々を祀る事で、全国の神々を祀る社として、様々な御神徳をお授け下さいます。」(吉田神社HPより引用)

 全国の神々を祀る社で、ご祈祷を受けるのであれば、全国どこに行っても守られるはずである。

 さらに、最近は、おそらくご祈祷の担当を何人かで分担されており、おそらくシフトを組んでおられると考えられるため、ご迷惑をおかけしてしまうのだが、可能であれば、祈祷をして下さる方を、「鈴鹿さん」にお願いすることにしている

 他のご祈祷担当の方には申し訳ないが、鈴鹿さんのご祈祷は、私個人としては一等優れているように感じるからだ。

 大元宮の内院本殿で行われるご祈祷だが、周囲には多くの参拝者がいるため、本殿の中にも外の参拝者の話し声がざわざわと聞こえてきて、途絶えることがない。特に大元宮には、各地方の神様が祀られているため、自分の出身地の神様を探してお参りする人が多く、結構騒々しいといっても良いくらいである。

 しかし、鈴鹿さんが祝詞をあげはじめると、実際には途絶えることがない周囲のざわめきが、さーっと引いていき、私には聞こえなくなるように感じるのだ。
 うまくたとえることができないのが残念だが、鈴鹿さんの祝詞がはじまると、まるで、現世の雑音や世俗の様々な出来事を遮断する、神様の清浄な領域が鈴鹿さんを中心にして現れ、本殿を満たし清めていくようにも感じられる。
 そして、その清浄な領域で響く鈴鹿さんのお声は、どこまでも、よどみなく清んでいるのである。
 鈴鹿さんの優雅で品のある所作を拝見しながら、ご祈祷して頂いている間、本殿に満たされた清浄な空間を全身で感じ、世俗の垢を本当に落として頂いた気分に、私はなれるのであ

 一緒に鈴鹿さんの祝詞を聞いた人によれば、「【朗々】って言葉は知っていたけど、鈴鹿さんのお声で、その言葉の意味を人生で初めて実際に体験することができた。」という感想だった。

 この特別な感覚を、感じたいがために、私は毎年吉田神社の節分祭に通ってしまうのかもしれない。

 吉田神社の節分祭は、本日(2月3日)が当日祭であり、明日が後日祭である。私は基本的には無神論者であるが、もし可能であれば、特別な神域を感じることが出来るかもしれないので、大元宮でご祈祷を受けてみることをお薦めしたい。

吉田神社で頂いたお札

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