諏訪敦個展「眼窩裏の火事」(府中市美術館)~その6


 第3章「わたしたちはふたたびであう」

 第3章の展示は再び明るい展示室でのものだ。

 大野一男立像は、確か諏訪市美術館の個展でも観たような記憶がある(間違っていたらスミマセン)。ずいぶん前の記憶なのではっきりしないが、11年前に観たときの印象よりも、とにかく凄味が増していた。

 うまく表現できないのがもどかしいが、より死に近づきつつある肉体を保持しながら、彼の存在自体が不死へと肉薄しているような感覚があり、私には、凄味としか言いようがないのである。

 既に故人であるはずの、大野一男が11年の時を経て、更に凄味を増してくるのである。一体、この絵に何が起きているのか、探ることすら怖い気がする。

 三菱地所アルティアムでの個展でも展示されていた、「山本美香」も私の好きな作品の一つだ。亡くなられた後に作成された作品であり、「わたしたちはふたたびであう」というモチーフにも合致する作品なのだろう。

 同様に亡くなられた後に作成され諏訪市美術館で展示されていた「恵里子」もこのモチーフに合う作品のはずだが今回は展示されていない。おそらくご家族が作品と恵里子さんへの思いを大事にされておられるからではないだろうか。
 今回の個展で初めて諏訪先生を知った方々のためにも、「恵里子」の作成にまつわるNHK番組「日曜美術館 記憶に辿り着く絵画 亡き人を描く画家」(2011)について、再放送を期待したいところだ。

 Mimesisは、画集「眼窩裏の火事」(図録を兼ねてだと思われるが、府中市美術館売店で先行販売されていた。一般販売は1月23日から。)の表紙に配置されている作品であり、大きな意味を持つ作品なのだろう。大野一男の舞踏をコピーして作品として表現している川口隆夫に取材をして描かれた作品であること等が、画集「眼窩裏の火事」には記載されているので、参考になると思われる。

 気付くと、会場は相当混雑してきていた。おそらく、15時から開催される諏訪先生と山田五郎さんとのトークショーに参加する人たちも到着してきたからだろう。
 

 私は、個展会場を出て、画集「眼窩裏の火事」と絵葉書(「HARBIN 1945 AUTUMN」と「日本人は樹を植えた」)を購入した後、美術館内のカフェで一休みした。いつものことだが、諏訪先生の作品をたくさん観ると、充実感を覚える反面、なぜかどっと疲れてしまうのである。


 一息ついて、カフェを出たところ、ちょうど、トーク会場に向かおうとしていた諏訪先生とすれ違った。私は、感謝の気持ちを込めて頭を下げて挨拶させて頂き、諏訪先生もこちらを認識して下さったようだった。これもタイミングがぴったりで、もう一口水を飲んでからカフェを出たらすれ違うことは叶わなかったはずである。僥倖に僥倖が重なった感じであり、今年はきっと、良いことがありそうな気がしてきた。
 諏訪先生と一緒にトークショウをすることになっていた、山田五郎さんともすれ違った。TVで見た印象よりも、小柄な方だな・・・と感じた。

 
 帰りは、なぜか駅まで歩きたかった。


 今回の個展を思い出しながら、近くの東府中駅まで歩き、そこから東京方面に向かい、私は京都への帰路についた。

(この項終わり)

(諏訪敦作品集「眼窩裏の火事」美術出版社 4800円(税別)~一般販売は1月23日から)

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