弁護士の質に関する議論について雑感~2

(前回の続きです)

 こういう指摘をすると、以前コメントでも頂いたことがあるが、旧司法試験合格者が優秀だとマウントを取っているのだろうと批判される。

 しかし、私自身についていえば、旧司法試験を合格するまで時間もかかり、丙案による犠牲にもなってしまった(平成8年の論文式試験で私は0.03点差で落とされたが、私よりも成績の悪い受験生が、受験回数が3回以内という理由で200名以上も合格した)こともあり、相当苦労させられた人間でもあり、自分が優秀であるなどと思ったことはない。

 確か東大・京大出身者でも12~13人に1人くらいしか合格しなかった時代だったと思うが、参加者の多くが合格した奇跡の勉強サークル「ニワ子でドン」に参加させて頂いたときも、参加者の方々はみな若くて優秀であり、私は教えを請うことばかりだった。司法研修所でも裁判官志望の方々の自主的な勉強会に入れて頂いて、教えを請うてきた。


 ただ、私自身が、旧司法試験で1500番程度の成績しか取れなかった頃のレベル(そこから最終合格まで7年かかった。)で考えると、1500番程度の実力では実務家を名乗って弁護士バッジをつけるなど、本当に恐しくてしょうがないレベルの実力しかなかったことだけは確かである。

 現状の司法試験の合格者全体のレベル低下の危険を指摘する議論をした場合、「最近の合格者を誹謗しているのではないか、弁護士会内部を分裂させるおそれもある、むしろ弁護士になって懲戒処分を受けているのは最近の合格者ではない、質の低下は懲戒処分を多く受ける年輩弁護士の方である」との反論もある。

 しかし私は思うのだ。

 私が前回のブログで指摘した①~③の点は、私の意見の部分を除き、事実なのである。

 最近の合格者に遠慮して今起きている事実から目を背けていれば、問題が放置されたまま取り返しがつかなくなってしまうのではないかと。

 国が資格を認めたのだから、合格者の方は、胸を張っていれば良いのだ。

 しかし、若手弁護士の方も良く周囲を見直して頂きたい。ご自身が今、依頼者の人生を左右する事件を扱っている現状から考えて、受験者平均点の40点も下の得点しか取れないレベルは、法曹として十分な知識と応用能力があると本当に言いきってよいのだろうか自分が依頼するとして安心して任せられるレベルなのだろうかと。

 私の主張が仮に正しく、法曹の全体としてのレベルダウンがさらに進行する事実が生じるならば、いずれ司法に対する国民の信頼は失われ、誰も司法を当てにしなくなるだろう。

 そうなっては手遅れなのだ。

 次に、弁護士の質を懲戒事例数で判断しようとする議論については、私はこう考えている。

 そもそも、司法制度改革の基礎となったと思われる司法制度改革審議会意見書には、「大幅な合格者数増をその質を維持しつつ図ることには大きな困難が伴うこと等の問題点が認められ、その試験内容や試験方法の改善のみによってそれらの問題点を克服することには限界がある。」との記載があるように、司法制度改革では司法試験合格時点の質が問題にされている

 また、司法制度改革審議会意見書には、弁護士倫理に関して、弁護士会の果たす役割について、「弁護士会は、弁護士への社会のニーズの変化等に対応し、弁護士倫理の徹底・向上を図るため、その自律的権能を厳正に行使するとともに、弁護士倫理の在り方につき、その一層の整備等を行うべきである。」と明確に記載されており、司法試験合格者の質の議論と弁護士倫理の問題は完全に区別して論じられている。

 したがって、司法制度改革との関係では、司法試験合格時の質を問題にするのが筋なのであって、懲戒事案で質論を語るのは筋から外れている。

 また、懲戒事例は弁護士として、相当大きな失敗や不法行為・犯罪行為などが原因になることが多く、個人の資質や考え方による部分も大きいため、一般化できるものではない。

 例えば、昭和40年生まれの人がこれまで殺人罪を犯した率は○%で、平成30年生まれの人がこれまで殺人罪を犯した率は▲%で、その率は平成30年生まれの人の方が低いから、昭和40年生まれの人は殺人傾向が強いなどと断定しがたいだろう。犯罪に手を染める人は、概ね特殊な事情があったり、特殊な感情や考え方を持っているなど、一般の同世代の人と同質だと考えることはできないから、例え昭和40年生まれの犯罪者がいたとしてもその犯罪者の特性が、昭和40年生まれの人の全体の特性である、と一般化して評価して良いわけがないからである。

 弁護士にとっての懲戒事案に関しても、この犯罪率と同様に、懲戒を受けた同世代に一般化できるものではないのだ。

 加えて、懲戒事案に関して、きちんとした比較は事実上不可能なのだ。

 現在懲戒事例について、若い期の弁護士の方が少なかったとしても、若い期の弁護士がさらに経験を積んだ20年後に、同様に懲戒事例の比率が少ないとは誰にも断定はできない。

 条件を揃えるなら、司法修習50期の弁護士が20年間のうち何件懲戒処分を受けたのかという割合と、司法修習60期の弁護士が20年間のうち何件懲戒処分を受けたのかという割合を比較しなければならないだろう。司法修習50期の弁護士が弁護士になってから23年間での懲戒を受けた割合と、司法修習60期の弁護士が13年間での懲戒を受けた割合を比較するわけにはいかない。前提条件が余りにも異なるからだ。

 仮に20年期間で比較できるとしても、その20年間は同じ20年間ではない。弁護士にとって過ごしやすい20年なのか、厳しい20年なのかによっても結論は大きく変わる可能性があるだろう。

 それなら、この1年間に懲戒を受けた数なら関係ないのではないかとの反論もあるだろうが、それは懲戒を受けた弁護士の置かれた状況や過ごしてきた環境が余りにも異なるからやはり、同じ条件での比較ができないため、適切な比較は不可能であると私は考えている。

 以上から、司法制度改革に関して言えば、懲戒事例を基にした弁護士の質論については、私は全くナンセンスだと思っている。

(続く)

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