40年前の修学旅行(和歌山県立新宮高校)

 机の引き出しの奥から、なんとほぼ40年前(1982年)の修学旅行の行程表が出てきた!

 画像ではちょっと分かりにくいようなので、日程を以下に書いておく。

(行程表ここから)

信州

黒部・志賀高原・草津・白樺湖方面

昭和57年度和歌山県立新宮高等学校修学旅行行程表

ご旅行期間 昭和57年9月25日(土)~9月30日(木) 5泊6日(船車泊2泊・旅館3泊)

9月25日(土) 新宮20:18(※19:00駅前集合)-修学旅行専用列車・・・名古屋経由→

9月26日(日)→松本6:01=ドライブインマツモト6:30(朝食)7:20=新島々=上高地 散策コース9:00(昼食)12:00※大正池~河童橋まで=信濃大町=扇沢14:40=トロリーバス15:00→15:16=黒部ダム=16:33トロリーバス→16:49扇沢=白樺乗鞍高原18:20 白馬アルプスホテル泊

9月27日(月)白馬乗鞍高原8:00=笹平経由=長野善光寺10:20(昼食)~11:30=須坂りんご園12:00~13:00=志賀草津高原ルート=14:30・・・白根火山・・・16:00=16:40草津温泉 ホテルヴィレッジ泊

9月28日(火)草津温泉8:30=9:20・・鬼押出し園・・10:10=11:00・・軽井沢ドライブイン(買物と昼食)・・12:20=女神湖=14:00蓼科牧場自由プラン(3Hコース) 白樺高原ホテル泊 夜キャンプファイヤー

9月29日(水)蓼科牧場8:00=茅野=9:30・・甲府ぶどう園・・10:30=11:30・・富士急ハイランド(昼食)・・14:30=河口湖IC=中央高速~首都高速=東京IC=17:30東京有明港(夕食)18:20~~日本高速フェリー(船中泊)

9月30日(木)~~宇久井港7:40~8:00=8:30新宮高校(各方面へ)

(行程表ここまで)

 時代としては、国鉄民営化が閣議決定されたものの、まだ実現していない時期だった。

 第1日夜、国鉄の修学旅行専用列車で新宮駅を出発し(紀勢本線の新宮より三重側は電化されていないため、ディーゼル機関車が牽引車であった)、就寝用に着替える際には女子生徒側を見えないように先生方が毛布などで目隠ししていたことがあったような記憶があるが、私の中学校(太地中学校)の修学旅行も確か国鉄の列車で東京方面に向かったような気もするので、中学校のときの列車と記憶の混乱があるかもしれない。

 いずれにしてももちろん、興奮して殆ど眠れなかったはずなので、翌朝松本駅に到着したときは眠かったのだろうと思う。

 第2日目はそこで、早すぎる朝食を取ってバスに乗って上高地・黒部ダム方面へ向かったようだ。

 上高地の記憶が余り残っていないが紅葉の時期でもあり河童橋周辺はかなりの人であったような記憶だけは残っている。トロリーバスで黒部ダムを往復して扇沢に戻ったが、かなり黒部ダムは寒かった記憶が残っている。その後、白馬白樺高原で宿泊したようだ。どうやって部屋割りしたのか覚えておらず、どのクラスメートと一緒だったのかも、今になっては、ちょっと思い出せない。

第3日の善光寺、須坂りんご園は良く覚えていないが、善光寺では精進料理っぽい昼食を食わされたように思う。白根火山はある程度山道を登って大きな火口が湖になっているのを見たのが印象として残っている。確か天気はあまり良くなかったはずである。バス移動が多かったので、担任の道上徹先生は、バスの後部座席にどっかと座り、ビールを呑みながら暇そうに知恵の輪をやっていたように記憶している。今の時代、修学旅行で引率の先生が飲酒したら大問題になりそうだが、当時は大らかなものだったのだろう。宿泊は草津温泉だったが、温泉を堪能したかどうかは記憶にない。

第4日は鬼押出し園を見た後、女神湖・蓼科牧場でかなりの自由時間があったように思う。またその夜はキャンプファイアーも行われるということで、若い男女にとっては、なかなか青春の炎をたぎらせても良いような日程だったと思われる。しかし、私のクラスは新宮高校で1クラスだけ設けられた理数科であった。たまたま、その年に理数科を志す女子生徒が存在しなかったので、共学高校内の唯一の男子クラスという、なかなか厳しい状況下であった。キャンプファイアーの際にフォークダンスもあったように思うが、女子生徒は共学クラスにしかいないため、相当寂しい思いをしたような記憶も微かに残っている。

第5日は甲府ぶどう園に立ち寄った後、富士急ハイランドで昼食をとったが、確か出発時間を遅らせては船に乗り遅れる危険があるということで、アトラクションに乗ることは禁止されていたような記憶がある。ただ、私は中学校の修学旅行でも富士急ハイランドに来て昼食だけ食べているので記憶が混乱している可能性もある。昼食後は高速道路をひた走って東京有明港へ。

いま思えばりんご園やらぶどう園には寄ったくせに、首都東京は通過するだけで国立博物館も国立美術館も何も見学しないという、かなり(文化無視の・・・笑)思い切った選択だったようにも思われる。

当時は「フェリーさんふらわあ」が東京~那智勝浦(宇久井港)~高知と運行していた。確かその頃、オフコースが流行っていて、オフコースのライブ出演するテレビが運行当日にあったような気もするが、はっきり覚えていない。ただ、女子生徒の方が個室などを与えられている反面、男子生徒は私の知る限り全て2等の雑魚寝だったので、同じ旅行代金なら不公平じゃないか・・と思った記憶は、かなりはっきりと残っている。

第6日は、宇久井港に到着して解散となった。日程表上だと新宮高校まで移動してから解散の予定となっているが、新宮高校の生徒の通学圏は結構広く、新宮高校まで移動すると帰宅がより遅れる生徒も多かったので、新宮市の生徒以外で家族の迎えがある者は、宇久井港で解散したような記憶がある。

 多分卒業アルバムの修学旅行の写真を見たりすればもっと思い出せるかもしれないが、40年ほど前の修学旅行とはいえ、行程表を眺めて見るだけでも、旅行内容をそこそこ思い出せることは、ちょっと意外だった。

 旅行の際には、このように思い出せるきっかけや写真などを残しておくと、想い出をより長期にわたって楽しめるのかもしれないね。

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