ベネチアの夜

 ベネチアは、深夜のほうが、素顔に近い。

 4~5回しかベネチアに行った経験がない若輩者のうえに、ここ10年ほどは人の多さに嫌気がさしてしまい、行ってもいないくせに、私は生意気にも、勝手にそう思い込んでいる。

 ご存じの通り、ベネチアは世界的観光都市だから、昼間の混雑は相当なものだ。ヴァポレット(水上バス)にあふれんばかりに観光客が乗っていることもあるし、土産物店などが集中している地区では、すれ違うのもやっと、ということもある。

 しかし、私が何度か行っていた頃のベネチアでは、夜の飲食店が店を閉めた後の深夜は、人通りも少なくなり、少しだけ静かな時間が戻っていた、と記憶している。

 大体、どこの観光都市でも道路が近くを通っていることが多く、人通りがほとんどなくなった深夜でも、遠くからごぉーっという、自動車の走る低い響きが聞こえてくるところがほとんどだ。私は京都に住んでいるが、京都だって、この音から無縁ではいられない。

 ところが、ベネチアにはその響きがない。深夜で運行本数が減ったヴァポレットが響かせるディーゼル機関の音がときおり遠くで聞こえるくらいなのである。
 自動車が入れない街だから当然なのだが、そこが、まず、かなり素敵に感じられる。

 それに加えて、静かな通りを、ゆっくり歩いていると、ちゃぷちゃぷ、とか、ぴちゃぴちゃ、という、運河の波が、岸を優しくなでているような音が聞こえてくる。不思議なことに、急いだり、普通に歩いているときにはその音は聞こえず、ゆっくり歩いているときに限って、その音に気づくことができるようにも感じられる。

 どういうわけか、このような水の音を聞くと、不思議と気持ちがなだらかに、穏やかになっていくような気がする。

 おそらくこの町で眠っている人は、特に気にもしていない音かもしれないが、街の本質的属性としてこの音が、住民やこの町を訪れる観光客が眠っているうちに、ひそやかに彼らの無意識の中に深い影響を与えていくように、私には感じられたりするのだ。

 だから、深夜のほうが、街としての素顔に近いのではないか、と感じたりするのだろう。

 もちろん、治安のいい日本と違ってイタリアだし、いくら当局が威信をかけて警備に力を入れているからといっても、強盗が出ない保証もない(聞いた話では、暗殺者通り~アサシンストリートという名前の通りもあるとか・・)。したがって、あまりお勧めはしないのだが、やはりベネチアの深夜の散歩は魅力的だという思いが私には強い。

 機会があれば、是非再訪してみたい都市のひとつである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です