文科省中教審の法科大学院等特別委員会は、私の見る限り、司法制度改革の目的よりも、手段であったはずの法科大学院制度の維持存続に汲々としている印象がある。
プロセスによる教育のどこが優れているのかも明らかにせず、司法試験合格率で彼らからすればプロセスによる教育を経ていない予備試験組に惨敗し続けながらも、学者の先生方は何の根拠も示すことなく、「プロセスによる教育」というマジックワードを振り回し続けている。
議事録についても、学者の現実を見ない、偏った法科大学院ありきの意見ばかりが多く、腹が立つので最近読んでいなかった。
しかしふと思い立って少し近時の議事録を見てみると、多くの学者委員が、本来の目的を見失い、法科大学院維持存続ばかり考えた発言を繰り返す中、弁護士の酒井圭委員は問題の本質に迫る、なかなか鋭い提案をなさっているときがあることに気づいた。
しかし、残念ながら、結局多くの学者委員に、はいはいそんな意見もございますな・・・という感じでスルーされている印象が強い。
また、最近、専門委員に加わった、弁護士菊間千乃委員も令和元年9月10日の第94回特別委員会で、「(法科大学院における)法学未修者教育の充実」の議題について、未修者を切り離す意見もあるとの報告に対し、面白いことを述べているので一部引用する(着色は坂野による)。
(引用ここから)
【菊間委員】 菊間です。私は未修者で社会人で4年コースの夜間のロースクールに行った経験からお話しさせていただきますけれども,未修者といっても社会人と,あと仕事をしないで未修の人とでは全く違うので,そこをまず分けて考えなければいけないかと思っています。私も社会人から弁護士になったので,弁護士になってから本当にたくさんの社会人の方から法律家になりたいのだという御相談は受けています。ただ,皆さんロースクールには行っていません。私がいた頃よりも夜間が減っているということがあるのと,今こういう現状だと,仕事を辞めてロースクールに,私が行った2期生の頃は仕事を辞めてロースクールに入る人が多かったのですが,今は非常にそれは危険だということで,働きながらとなるとロースクールは難しいので予備試験を私も勧めていますし,予備試験の方に社会人の方は今受かっている。その社会人の方もロースクールの中に取り込んでいきたいということであれば,大きく考え直さないといけないのではないかと。今の状況で社会人がロースクールにはまず来ないのではないのかという気がしています。
学習の未修者のことを考えた場合もですけれども,例えば私も加賀先生と同じ御意見で,既修者との切離しというのは違うのではないかと思います。自分の経験からいっても,先生方は未修者からするとできない人の気持ちが分かっていないというか,何が分からないのかが分かってくれないのですね,先生方が。私も法学部出身ですけれども,ここで先生方にこんなことを言うのも何ですが,大学には全く行っていなかったので,本当に何も分からないままロースクールに入ってしまったので,一からだったのですね。その時に何が一番役に立ったかというと,既修者の人に勉強の仕方を教わったことですよ。既修者の方はどう勉強したら物事が分かるかとか,どういうノートの取り方を取ったらいいかとか,どう論文を書いたらいいかとか,今まで自分達がいっぱい悩んで考えてきたことを未修者の人に教えてくださった。
(後略・引用ここまで)
つまり菊間委員は、大宮法科大学院の卒業生でありながら、自らの体験を踏まえても、後進の社会人法曹志願者には、法科大学院ではなく予備試験を勧めているのだ。法科大学院の先生方は、未修者にとって、何が分からないのかという根本問題すら理解してくれなかった、勉強の仕方、ノートの取り方、論文の書き方など大事なことは法科大学院教員ではなく、既修者に教わったとも述べている。
このような現実が指摘されていることについて、文科省・中教審・法科大学院の教員は、恥ずかしいと思うべきだ。
確かに、未修者の教育には教員の多大な労力と、未修者自身の多大な努力が必要である。法科大学院制度導入の当初、えらい学者の先生達が、1年もあれば既修者に追いつくだけの力を身につけさせてやれると自らの教育能力を過信したため、法科大学院では1年間で既修者に追いつくという無茶苦茶な制度設計がなされた。
未修者を切り離す制度を考えるのであれば、自分たちが自らの教育能力を過信して制度設計をしてしまったことへの反省がまず最初に必要だと思われる。しかし、残念ながら、私が読む限り議事録から学者委員にはそのような反省の動向はうかがえない。
今回の未修者を切り離すという問題提起の中には、おそらく、既修者とは別の未修者向けの教育が必要だからという建前があるのだろうが、その裏には、既修者のみの法科大学院にして司法試験合格率を上げたいという、自分たちの教育能力の欠如を棚に上げた野望が潜んでいるように感じられてならない。
話は少しずれてしまうが、法科大学院側(学者委員)は、現実を見ていないだけでなく、菊間委員が現状に即して、社会人法曹志願者に対して勧めている予備試験を敵視し、プロセスを経ていないとか、本来の趣旨と異なるなどと批判することにより制限しようと躍起になっている。
そもそも、予備試験を通じてでも、多様なバックグラウンドを持つ優秀な法曹が生み出されるのであれば、何ら問題はないはずだ。
仮に学者委員が言うように、プロセスを経ない予備試験ルートに問題があるというのなら、すでに予備試験ルートでの法曹も相当数存在するのだから、彼らを調査し予備試験ルートの法曹に何らかの問題があることを立証する必要があるし、それは容易に可能なはずだ。
ところが現実には、大手法律事務所が予備試験ルートの司法試験合格者を就職において長年にわたって優遇し続けているし、予備試験ルートの司法試験合格者も多数、裁判官や検察官に任命されていることから、予備試験ルートの司法試験合格者は問題があるどころか、むしろ見どころがあると実務界では思われているとみて間違いあるまい。
だとすれば、予備試験ルートを制限する理由は存在しないということになるはずだ。
結局、未修者を切り離し、予備試験を制限しようとする法科大学院等特別委員会は、多様なバックグラウンドを持つ優秀な法曹を生み出すという司法制度改革の目的を達成することを目標にしているのではなく、ひとえに法科大学院制度という手段を維持することが最優先事項にしているといわざるをえないだろう。
さて、菊間委員の発言を聞いた学者先生方は、どう反応していくのか。
今まで通り、現実から目を背け、プロセスによる教育というマジックワードにすがって、それを振り回し続けるのだろうか。もしそうなら、そのような人間を有識者として専門委員に任命した文科省の見識も疑わざるを得なくなるだろう。
酒井委員や菊間委員が現実に即した発言を今後も続けた場合、次回の委員編成で再任されるのかも要注目だ。