司法試験が、受験者数の減少、受験者の総体的なレベル低下により選抜能力を失いつつあるのではないかという危惧を以前ブログにも書いたが、その危惧は当たっていたようだ。
法務省に掲載されている平成30年8月3日司法試験委員会決定に基づく、「司法試験の方式・在り方について」と題する文書には、次のように書かれている。
短答式試験は,裁判官,検察官又は弁護士となろうとする者に必要な専門的な法律知識及び法的な推論の能力を有するかどうかを判定することを目的とするものであるが,その出題に当たっては,法科大学院における教育内容を十分に踏まえた上,基本的事項に関する内容を中心とし,過度に複雑な形式による出題は行わない。
たぶん誰も、本当のことを直接言わないだろうから私が言ってやるが、司法試験委員会としては、本音としては、次のように言いたいのだろう。
本来法曹(裁判官・検察官・弁護士)になろうとする者に必要とされる、専門的な法律知識や法的推論能力(それに私見であるが、事務処理能力も必要である)を判定できるだけの、しっかりとした質と量の短答式試験問題を司法試験で出題するべきだと司法試験委員会は考えている。何故なら司法試験は、法曹になろうとする者に必要な学識及びその応用能力を有するかどうかを判定することを目的とする国家試験である、と法律上明記されているからだ(司法試験法1条1項)。
しかし、法科大学院経由の受験生全体の実力から推察される、法科大学院での教育内容を踏まえれば、受験生が法科大学院で身につけてきた実力が十分だとはとてもいえない状況にある。
仮に、司法試験委員会が、法曹に通常必要な法律知識や法的推論能力を試そうと考えて、きちんとしたレベルの短答式試験を出題すれば、短答式試験で足を切られてしまい、現状の合格者数すら確保できなくなる。
そこでやむなく、司法試験のレベルを落として、基本的事項に関する内容を中心に出題せざるを得ないのであり、本来法曹の資質を見るために必要と思われる複雑な形式による出題ができなくなっている。
おそらくこういうことだろう。
ちなみに、基礎的な問題に限定されているはずの、令和元年度の短答式試験は、175点満点で108点以上が合格(但し1科目でも40%以下の得点である場合は不合格)とされている。受験生全体の平均点は119.3点だから、受験生の平均点を10点以上、下回っていても短答式試験には合格できるというザル試験になっている。
このようなザル試験であるがゆえに、予備試験ルート司法試験受験生の短答式試験合格率は令和元年度で約99%となっている。これに比べ同年度の法科大学院ルートの司法試験受験生の短答式試験合格率は約71%に過ぎない。
予備試験考査委員が、法科大学院卒業者と同等の実力を持っている、裏を返せば、法科大学院を卒業したならこれくらいの実力を持っていなくてはならない、と判断したレベルにある予備試験合格者が99%合格する試験で、法科大学院ルート受験生は3割も落第するのである。
そして、志願者が激減しているにもかかわらず合格者を1500人程度に維持しているため、短答式試験に合格した受験生のうち約半数が最終合格するのだ。
私は思うのだ。
法科大学院卒業生の実力が全体的に見て不足だからといって、司法試験を簡単にしようというのは、目的と手段が完全に入れ替わってしまっているのではないかと。かつて大学教員たちが、司法試験に合格するだけの実力くらい3年で身につけてみせると豪語して導入された法科大学院なのだから、本来であれば法科大学院の側から、司法試験を簡単にしないでくれ、というのが筋だろう。
司法試験を法科大学院のレベルに合わせるべきだ(簡単に合格できるようにしてくれ)という、一部学者の主張は、自らの教育能力が乏しいことを自認する、極めて恥知らずな主張だと知るべきだ。
法科大学院に意味(乃至は価値)を持たせるために、司法試験を簡単にすれば、実力不足の弁護士があふれ、結局国民の皆様が困ることになる。司法改革はそのような社会を目指したわけではない。
だいたい、2004年に開校してから、おおよそ20年近く経っているのに、未だに教育内容の改革を検討し続けなければならないようなポンコツな制度を、どうして高額の税金を投じて維持しなくてはならないのか。
本当に世の中わからないことが多いものだ。
このようなブログを書く意義が私にはよくわかりません。
現行制度のもと試験問題のレベルを上げるも下げるも、受験生がいくら声をあげてもどうにもならない問題です。
試験委員会の裁量に委ねられる問題ですから。
現行制度のもと死に物狂いで試験を突破してきたにも関わらず、不当に低い評価を受けるおそれのある受験生の立場を踏まえての発言でしょうか?
旧司の方が合格難易度が高いという事実は間違いありません。
かと言って、新司法試験が簡単だと軽々しくうたうのもどうかと思います。
旧司合格者であるというだけでここまで軽々しい発言を公にする方を初めてお見受けしましたので少々驚いた次第です。
新司法試験合格者です。新司法試験自体が、それほど簡単とは思っていませんでした。思っていませんでした、というのは、今は思っているということです。去年の合格率が40%だったというのを、坂本さんはご存知なんでしょうか。我々新司法試験組からしても、流石に40%だと、相当レベルダウンしたことは想像に固くありません。実際、私の周りでも素人に毛が生えたような方でも去年合格しました。自分自身も上位から38%ぐらいで不合格になったことがあるので分かるのですが、あのレベルで合格できるような試験なら楽勝と言わざるを得ません。当時の私は、三段論法を覚えて1年というレベルでした。論証も予備校本の半分ぐらいしか知らないレベルでしたね。基本書なんてほとんど読んだことなかったです。ああ、あんなレベルで合格できるような試験になってしまったんだなあ、と思うと、新司法試験合格者の私でも悲しくなってしまいます。ちなみに今年の受験者は3300人、合格者1500人を維持するのであれば、今年の合格率は50%近くまでいく予想です。更にいえば、今のロースクールの入学者は年1600人です。合格者1500人を維持するのであれば、数年以内に、更に悲惨なレベルの試験に落ちていくと思われます。これが正しい司法試験のあり方であるとは、私にはとても思えません。
旧試験では、学業優秀でしかも司法試験もみっちり勉強しているのに、何でこの人が受からないんだろうという人がたくさんいました。新試験では、(さすがに、中堅・上位層は優秀なんだろうと思いますが)なんでこんな人が受かるんだろうという人が入り込んでいます。旧試験でも、ほとんど合格実績のない地方国立大学出身者からも合格者が数名ありましたが、故にその人は尊敬されたものでした。最近は、およそ勉学からほど遠い大学からも(おそらく大学の存亡をかけて実績づくりために大学院に送り込まれた、あるいは、自ら法科大学院制度に便乗した)合格者が出るようになってしまいました。医学部・医師は一般にエリートである一方、お金を積めば何とかなる底辺医学部があるという状態に近くなっています。司法試験を医師国家試験のようにという、当初のスローガンが逆の意味で実現したわけです。あるいは、アメリカのように、弁護士が議員や連邦政府高級官僚(といっても政治任用ですが)などのエリートの供給源ではあるが、司法試験そのものは難しくなくそれだけではエリートでも何でもなく、エリートになるにはそこからもう一歩ステップ(選挙や政治任用、弁護士プロパーなら敏腕弁護士や巨大ローファームに入所できるような経歴をもつ)を踏まねばならない、に変わってきたのでしょうか。もっとも、単に、優秀層を遠ざけ、底辺層が便乗する試験になっているだけのことなら、以上の例を持ち出すことまでのことではないのかも知れませんが・・・。新試験合格者も旧試験合格者に劣らず、むしろ、大学院でしっかり学んだと意味では学問を積み優秀な人がいるのは当たり前のことです。「簡単」になったというのは、「底辺」が下がりに下がり底なしにりつつあるということだと思います。
予備校の論証集半分で受かるわけねーだろう
お前の時代はアホなくせに法科大学院に入れば司法試験受かると思ってた猿ばっかりだったから合格率は低いが、今はお前らの時代の悲惨な状況を見て、法科大学院制度の副作用として法科大学院入試の時点でろ過された結果能力あるやつしか司法試験を受けてない状態
本当に弁護士かよ、分析力終わってるな