大阪弁護士会では各会派が、機関誌を発行している。
その機関誌には、昨年4月に、河本一郎先生がお亡くなりになられたということが書かれていた。正確には、亡くなられた際に訃報がFAXで届くので、そのときに私は亡くなられたことを知ってはいたように思うが、改めて記事を読むと、やはり見覚えのあるお顔だった。
河本一郎先生は、手形法を勉強したことのある人なら、一度は聞いたことがあるだろう、「河本フォーミュラ」の提唱者である。
河本フォーミュラの内容は、手形法17条但書きの「債務者ヲ害スルコトヲ知リテ」という要件について、「手形を取得するにあたり、手形の満期において、手形債務者が所持人の直接の前者に対し、抗弁を主張して手形の支払いを拒むことは確実であるという認識を持っていた」場合であるとするものだ。
ただ、どうしてこの呼び名になったのかは、はっきりとは知らない。ある人から聞いた話では、河本先生が提唱した際に、フォーミュラという言葉を使っていたからだとのことだが、私は確認していないので定かではない。
法律の世界では、他にこんなかっこいい名前で呼ばれるものは私の知る限りでは存在せず、手形法の教科書の中に、突如かっこいい呼び名で登場する「河本フォーミュラ」を知ったときは、妙に新鮮だった。
そのせいか、友人と「河本フォーミュラだとこうなる・・・」とか話すことが何となくイケテル気がしたものだった。だって、手形法は2018年の模範六法を見ても、未だにカタカナの法律だったりするのである。
私は河本先生から教えを受けたわけはない。もちろん河本先生は私のことをご存じないだろう。
ただ、河本先生は、大阪弁護士会に所属しておられたこともあり、1度だけ弁護団事件の訴訟で相手方として対決したこともある。
訴訟の内容はもう忘れてしまったが、白髪で大きめの声で話す方だったように記憶している。
弁論準備期日で、裁判官に対して法律はこうなっているのに裁判所がおかしいと熱弁をふるわれ、裁判官が、「先生、仰ることは分かりますが、まあ、まあ、、、、」と、河本先生をなだめるような場面もあり、なかなかエキサイティングな弁論準備手続きだった。
あくまでも訴訟相手として間近で拝見した、私の勝手な第一印象だが、学求のサムライのような雰囲気をお持ちであり、下手に近寄れば切られるんじゃないか、と思えるような怖さも秘めているように感じた。
会派の機関誌の記事を読みながら、弁論準備手続室で熱弁をふるっておられた先生の印象が、私にはとても懐かしく感じられた。不思議なことに、手続室では、お顔を拝見していたはずなのに、思い出されるのはお顔よりも、そのときの先生の存在、それ自体の全体的な印象なのである。
おそまきながら、ご冥福をお祈り致します。