(前回の続きです。)
予備試験制限論者の主張で、さらに理解しにくいのが、大学在学中や法科大学院在学中の学生が予備試験を受験すると、どうして法科大学院教育に重大な影響が生じるのかという点である。
他にもあるとは思うが、私がいまざっと想像するに、次の4点くらいが予備試験制限論者の根拠ではないかと思う。
①予備試験受験者が法科大学院の授業に集中しなくなる。
②予備試験に合格すると大学生が法科大学院に来ないか、法科大学院生が中退してしまう。
③予備試験に合格する学生は優秀な学生であって、優秀な学生が中退してしまうと、双方向授業がなりたたない。
④法科大学院を中核とする法曹養成制度という理念に反する。
①については、理由にならない。
法科大学院に行ったからといって、必ず授業に集中しなければならないわけではなく、サボろうが内職しようがそれは学生の自由である。授業に集中しなくて学力が身につかなくてもそれは自己責任だ。司法研修所でも内職している修習生がいたぞ。それに、法科大学院の授業に集中しないからといって予備試験受験者が、学級崩壊よろしく、こぞって授業妨害するとも思えない。
たとえ予備試験受験者が授業にあまり集中しなくても、熱心に授業に参加する学生にしっかりと教育してあげれば良いだけであって、なんら法科大学院の授業に重大な影響を及ぼすとは思えない。
②についても、理由にならない。
むしろ予備試験合格者が抜けてくれた方が、熱心に法科大学院教育を受けたい学生だけが残るから、法科大学院教育にとっては、むしろ好都合なのではないか。敢えて言うなら、予備試験に合格して中退されてしまうと、その法科大学院の司法試験合格実績にはならない可能性があるが、それは教育内容とは全く別次元の法科大学院の経営面に関する問題であって、法科大学院教育に重大な影響を及ぼすことにはならないはずだ。
③についても同様である。
優秀な法曹を育てるには優秀な人材が必要だというのなら、あなたの法科大学院では、優秀な人材がなければきちんとした教育ができないのですか?と逆に聞いてみたい。そもそも、法科大学院は適性試験と入試を科して、その合格者を入学させているはずである。つまり、入試に合格させた以上、法科大学院としては法曹になりうるだけの能力を学生に見出しているはずだ。
何も学費目当てで合格させているわけではないだろう。万一、学費目当てなら、それこそ法曹養成制度の理念に反している。
だとすれば、そのうち特に優秀なやつが予備試験に合格して中退したとしても、そもそもきちんと教育すれば、法曹になれる可能性がある人間を入試で合格させている以上、授業が成り立たないなどという泣き言は、とおらない。自らの教育能力の欠如を自白しているようなもんだ。
④についても理由にはならないだろう。
そもそも、プロセスによる教育が何を意味するかはっきりしないし、法科大学院を中核とするプロセスによる教育が優れているという実証は何一つ無い。学者が勝手にそういっているだけの話であり、理念が正しいとの立証は、何一つなされていないのだ。仮に理念が正しいとしても、理念だけでは優れた結果が付いてくるとも限らない。理念を実現する手段が貧弱であれば、貧弱な結果しか付いてこない。
むしろ、近時の司法試験の採点雑感を見ると、日本語の能力すら疑わしい答案が続出しているそうだし、前回も述べたが、実務界では(少なくとも大手法律事務所は)予備試験合格者の方を高く評価している。
法科大学院で幅広い教育をするという話もあったようだが、最近の司法試験の採点雑感を見てみると、試験科目ですら基本ができていないという指摘のオンパレードである。基本科目もできずに先端科目など教えても分かるはずがない。理解できない先端知識があっても実務では全く役に立たない。因数分解ができない者に、きちんとした微積分は理解できない。
一方、司法試験に合格しなかった法科大学院卒業者が社会で高く評価されているとの噂は、寡聞にして知らない。仮に社会で法科大学院卒業者が高く評価されているのなら、就職に関して引く手あまたのはずだが、そのような景気のいい話はついぞ聞いたことがない。何より社会が法科大学院教育を評価しているのなら、こんなにたくさんの法科大学院がつぶれるはずがないじゃないか。
結局、法科大学院教育は実務界と社会からは評価されていないのだ。
予備試験の制限を求める主張は、結局、血税まで投入されていながら、不味くて高いラーメンしか作れない法科大学院(と文科省)が、自分の不手際を棚に上げて、自分達の利権を守るために、安くて美味い屋台のラーメン屋を追放しろと言っているようなものだ。
それが実現した時に、結局、美味いラーメンを食べ損ねるのは国民の皆様だ。本来どっちを追放すべきかは明らかなはずだ。
私の知らない大学教授が言ったことがある。世の中の人々のお役に立つ仕事をしている限り、世の中の人々の方が自分達を飢えさせることをしない、と。
この成仏理論が正しいとすれば、経営難で続々とつぶれている法科大学院は世の中のお役に立っていないということになるはずだ。
どうして、予備試験を制限して世の中のお役に立たない法科大学院を残そうとするのかね。やっぱり予備試験制限論は、私にはよく分からん。
予備試験制限論者は、ポジショントークと建前はもういいから、現実を見て欲しい。
現実をきちんと見ないと、誤った対応しかできないよ。