司法試験~予備試験制限の動きに反対する。

 昨年12月8日のブログで、予備試験を制限する動きが出るかもしれないと予測したが、早速そのような動きが年末の忙しい時期にひっそりと開始されたようだ。

(引用開始)
司法予備試験、見直し議論 「近道」対策で、法務省など
https://this.kiji.is/187106651979843062

 法務、文部科学両省や最高裁などが近く協議会を開き、法科大学院を修了しなくても司法試験の受験資格を得られる予備試験制度の見直しを議論することが29日、関係者への取材で分かった。経済的理由などで法科大学院に進学できない人を救済するための制度が、法曹への「近道」に使われる傾向が強まったため。議論が受験資格の制限といった具体策にまで至るかは不透明だ。
 多面的な能力を持つ法曹を養成しようと、法科大学院修了者を対象にした現行の司法試験は06年にスタート、予備試験は11年に始まった。
(共同通信47NEWS 2016.12.30)

(引用ここまで)

以下、坂野の意見

 以前から述べているように、法曹としての実力が身についているのであれば、どこで学んでこようと一向に構わないと私は思っている。
 予備試験を法曹への近道に使って何が悪いのだ。
 予備試験経由の法曹が、法曹としての資質に欠けているという実証的データでもあるのだろうか。
 もし本当に予備試験経由者が法曹としての資質に欠けているというのであれば、法務省や最高裁が予備試験経由者を検察官や裁判官に任命するとは思えない。
 また、日本を代表する大手法律事務所などは、競って予備試験経由者を採用しようとしており、その傾向はずっと続いている。この事実は、予備試験経由者が法曹としての資質に欠けることなどなく、むしろ大手法律事務所は、こぞって法科大学院経由者よりも資質において優れていると評価しているからだろう。

 受験生にとっても、高い学費と最低2年間の拘束を余儀なくされる法科大学院の教育は、費用対効果として、魅力がないのだ。魅力があれば法科大学院志願者が激減するはずがないではないか。

 ちなみに、司法制度改革審議会意見書では法科大学院の理念を次のように表現していた。

•「法の支配」の直接の担い手であり、「国民の社会生活上の医師」としての役割を期待される法曹に共通して必要とされる専門的資質・能力の習得と、かけがえのない人生を生きる人々の喜びや悲しみに対して深く共感しうる豊かな人間性の涵養、向上を図る。
→専門的資質・能力は独学でも身に付けられる。豊かな人間性は教わって身につくものとは思えないし、司法試験問題を漏洩するような一部教育陣が豊かな人間性を口にするだけでもおぞましい。
•専門的な法知識を確実に習得させるとともに、それを批判的に検討し、また発展させていく創造的な思考力、あるいは事実に即して具体的な法的問題を解決していくため必要な法的分析能力や法的議論の能力等を育成する。
→知識・思考力は独学でも身に付けられるし 法的分析能力も同じである。法的議論の能力についても結局きちんとした知識と法的分析能力が基礎となるし、口頭の議論については司法修習期間でも十分身に付けられる。
•先端的な法領域について基本的な理解を得させ、また、社会に生起する様々な問題に対して広い関心を持たせ、人間や社会の在り方に関する思索や実際的な見聞、体験を基礎として、法曹としての責任感や倫理観が涵養されるよう努めるとともに、実際に社会への貢献を行うための機会を提供しうるものとする。
→司法試験受験科目以外を熱心に勉強する法科大学院生がどれだけいるか疑問だし、仮に基本的な理解ができたとしてもそれだけでは実務では使えない。結局、自分で勉強するしかないのだ。責任感や倫理観も、教わってどれだけ身につくものか疑問である。

 このようにみてみると、法科大学院の理念をみても、本当に法科大学院が必要なのか疑問だらけである。
 このようないい加減な理念を旗印に、どうして法科大学院制度設立に走ったのか、どうしてマスコミも法科大学院制度万歳となって何ら疑問を呈しなかったのか、について疑問に思えて仕方がない。

 今後の展開としては、おそらく、予備試験が法曹へのバイパスとなることは当初の理念に反しているという形式的理由で、文科省・法科大学院側は予備試験を制限しようとするのだろう。しかし、前にも述べたが、司法試験受験回数を制限する理由として、法科大学院教育の効果は5年でなくなるから、とされていたはずだ。

 わずか5年でなくなり、実務界からも評価されていない法科大学院教育の効果を、あくまで理念は正しいのだから、と言い張って、受験生に多大な費用と時間を負担させつつ、今後も行い続ける必要があるのか。
 社会人経験者など多様な法曹を送り出す目的を謳いながら、夜間の法科大学院がどれだけあるのか。
 多くの法科大学院が撤退した現在、地方の法曹志願者に対応する体制は整備されているのか。

 仮に予備試験が法曹へのバイパスになっていても、その制度のおかげで多くの人材が法曹を目指し、その制度を経由した法曹が資質として問題がないのなら、何も馬鹿高い税金を投入して法科大学院を維持する必要など無い。

 根本的なところをまず考え直す必要があるはずだ。

 そのためには、まず、予備試験経由者法曹を採用している、最高裁・法務省・大手事務所にヒアリングを行い、予備試験経由者が法曹としての資質に欠けているのかを確認することから始めるべきだ。
 それもせずに、文科省中心に予備試験制限を考えるなど、文科省と法科大学院の利益だけを優先し、国民を無視した制度検討になること必定だ。

 予備試験を制限するべきではない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です