経済同友会が、法曹育成に関する提言を出していることを、最近知った。
経済同友会は、2013年6月25日にも法曹制度の在り方に対する提言を出していて、その内容がとても偏ったものであること、その3ヶ月前に経済同友会から出された「集団的消費者被害回復に係る訴訟制度に関する意見」と矛盾する内容であることなどについては、すでに当ブログでも指摘したところだ。
(興味のある方は、ご参照下さい)
http://www.idea-law.jp/sakano/blog/archives/2013/06/26.html
http://www.idea-law.jp/sakano/blog/archives/2013/07/11.html
http://www.idea-law.jp/sakano/blog/archives/2013/08/15.html
さて今度の経済同友会の提言は、法曹の需要はまだまだあるとぶち上げた上で、法科大学院中心の制度維持と予備試験廃止などを主張しているようだ。
このブログでも何度も指摘してきたが、法科大学院が売り物にするプロセスによる教育がそもそも何なのか明確ではないし、プロセスによる教育がどれだけ理念的に優れていても実際の効果を上げられないのなら無用の長物であって、時間と税金の無駄使いに他ならない。プロセスによる教育が少人数双方向の充実した教育であるというならば、そのような教育は、旧司法試験時代の司法研修所でも十分行われてきていたのであって、何も法科大学院の専売特許ではない。また、司法試験の採点雑感に関する意見を読むと、年々受験生のレベルダウンが指摘されていることはすぐに分かる。ついには法科大学院での教育がきちんと行われ、学生に力が身についているかを確認するための共通到達度確認試験まで必要と指摘されている程、法科大学院の教育(一部の優れた法科大学院の存在は否定しないが、制度全体としての教育)は信用できないことが明らかになっている。
少なくともこれだけの事実だけから見ても、経済同友会は、現実から目を背け(そうでなくても現実をきちんと把握することなく)何らかの意図に沿って提言していることは明らかだ。
また、この提言を作成した委員の1人である、増田健一弁護士がパートナーを務めるアンダーソン・毛利・友常法律事務所では、明らかに予備試験合格者を優遇した採用活動を行っている。(具体的には、予備試験に合格しただけで司法試験を受験してもいない予備試験合格者を対象に、食事付・懇親会付の事務所見学会を開催している。)。
つまり増田健一弁護士が、本当に法科大学院教育が法曹教育に必須であると考えているならば、法科大学院卒の司法修習生のみを採用する態度を示すだろうし、少なくとも予備試験合格者を優遇する事務所見学会を開催することはおかしい。
とはいえアンダーソン・毛利・友常法律事務所は大事務所なので増田弁護士の意見が、他のパートナーに押し切られたという場合も考えられるだろう。仮にそうだとしても、アンダーソン・毛利・友常法律事務所では、少なくとも過半数のパートナーが、法科大学院教育は法曹にとって必須のものではなく、それよりも地頭の優れた人材を確保したいと考えていることの現れではないか。 日本を代表する大事務所の少なくとも過半数のパートナーが、法科大学院教育の無意味さを明らかにしているといっても過言ではなかろう。
なお、前のブログ記事の繰り返しになるが、「集団的消費者被害回復に係る訴訟制度に関する意見」のなかで経済同友会は次のように述べていた。
「日本は、自助・共助、それに基づく私的自治によって紛争を解決してきたからこそ、先進国中においても画期的に訴訟の少ない社会になっていると考えられる。安倍首相は、自助と共助が日本の伝統であり、今後も重視すべき価値観である旨指摘しており、この面からも安倍政権の目指す方向性と本制度(集団的消費者被害回復に係る訴訟制度)の導入が整合的かどうか検討すべきである。」
つまり経済同友会は、自分達が訴えられる可能性が高まる制度が検討されているときは、「日本の訴訟を避ける伝統にしたがって私的自治による解決を優先すべきで、訴訟は少ない方が良い。訴訟など司法の場での解決は避ける方向性があるべき姿」と述べているようだ。
前のブログ記事の最後に書いた記載を再度繰り返す。
経済界が戦後の日本を引っ張ってきた面があることは私も否定しない。しかし、今の経済同友会は、長期的な国民生活への展望を欠いた、あまりにも近視眼的且つ場当たり的な意見に終始しているのではないか、との危惧を拭いきれない。
(中略)
経済界のリーダー達の、懸命なご判断を期待するものである。