法曹養成制度改革顧問会議第2回議事録から~その4

(だいぶ遅くなってしまいましたが続きです。)

日弁連の司法修習に関するアンケートの解説は鈴木事務次長からである。

・司法研修所による統一的な導入的修習がなくなり、弁護実務修習開始時に修習生に弁護実務修習を行う上で支障となるほどに不足している知識・能力があると思ったことがあるかという問いをしております。この点については、弁護士会の方で「思ったことがある」が31会、個別指導担当弁護士では「思ったことがある」は34%、逆に「思ったことがない」は48%と、弁護士会と担当弁護士との間に少し認識の違いが出てきております。

続きまして、問4、先の問いで「思ったことがある」と回答した場合のみ、支障となるほどに不足しているのはどのような知識・能力なのかという質問をしております。弁護士会では、「実務科目についての基本的知識・理解」「当事者法曹としての視点・姿勢の理解」「法曹三者の立場の違いに基づく視点・姿勢の理解」、それから「書面表現能力」といったところが割合的には高くなっているように見受けられます。また、個別指導弁護士を見ると、「書面表現能力」が不足していると回答している人が多くなってございます。

(坂野のコメント)

実務家として必要な知識と司法修習を受けるために必要は知識を比較すればおそらく後者の方がレベルは低いと思います。実際に手術をするために必要な知識と手術を学ぶために必要な知識との比較を考えれば明らかだと思います。

しかし、その低い方のレベルにすら私の受け持った司法修習生は達していなかったと考える弁護士が、3人に1人以上いたということです。

特に書面表現能力の低さは、答案練習の不足との因果関係は否定できないでしょう。思ったこと考えたことを文章に表現することは意外に難しいものです。文科省は法科大学院の予備校化を避けるためという理由で、答案練習に否定的ですが、我が国の民法学の巨人、我妻栄先生が、答案練習の効用を民法案内のはしがきで述べています。答案練習を否定する法科大学院や文科省は、まず、我妻先生を超えてから、答案練習の効用を否定しろ!と言いたくなりますね。

・法科大学院で教育できない知識・能力があると思うかという問を個別指導担当弁護士にしております。64%の681人から、教育できない知識・能力があると思うと返ってきております。

その中身はどのようなものかということに関して、11番でございますが、「法曹三者の立場の違いに基づく視点・姿勢の理解」「社会人としてのマナー」「事実調査に関する基礎的知識・理解」「当事者法曹としての視点・姿勢の理解」「事実認定に関する基礎的知識・理解」といったものが、それぞれほとんど同じような人数で挙がってきてございます。

(坂野のコメント)

アンケートで指摘されている、要素はいずれも法曹実務家に必須ものであると思われますが、法科大学院では教育できない知識・能力であろうと司法修習生を担当した弁護士のうち3人に2人が感じているようです。あんまり法科大学院って理論と実務の架橋に関しては、意味がないようにも思えるんですけど、私の気のせいでしょうか。

・弁護実務修習終了時において、司法修習生に必要な知識・能力を修得させられたと思いますかという問に対して、指導担当弁護士は、「思う」が32%、「思わない」が31%、「分からない」が37%と、ほとんど3分の1ずつということになってございます。

(坂野のコメント)

簡単にいえば、自分の教えた司法修習生は実務家になっても大丈夫だ、と断言できる指導担当弁護士は、3人に1人未満であるということです。こいつは弁護士にしたらまずいんじゃないのという人材が3人に2人の割合でいるのに、現在の2回試験はザルですから、そのまま2回試験に合格して、弁護士として社会にどんどん出て行っているということになりそうです。

医師に例えてみるならば、指導する医師から見て、こいつは医師となるだけの力はないなと思う医師免許保持者が、3人に2人医師として社会に出て行く状況なのです。つまり藪医者率67%以上!怖くてお医者さんに行けませんね。

でも、弁護士ならそれと同じでいいのでしょうか。そんな社会を国民の皆様が本当に望んだのでしょうか?私にはよく分かりません。

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