一般の方には、とんとなじみがないだろうが、私は判例時報という雑誌を買っている。判例時報は、10日に一度、判決録をまとめて掲載している。1冊800円が基本定価で、毎号買っていると結構な負担になるのだが、弁護士である以上、判例時報か同種の雑誌である判例タイムスのどちらかは、おそらく必ず事務所で定期購読しているはずだ。
その判例時報が、2167号から2回シリーズの巻頭特集で、司法制度改革のことを取り上げた。2167号は相変わらず現実無視の佐藤幸治氏の講演録だった。2168号では、パネルディスカッションとその資料が掲載されていた。
私が気になったのは、法曹人口増大と法曹養成制度改革に関しての法曹実務家の意見だ。
肯定的意見も5つ掲載されていたが、中間的意見が3つ、否定的意見は9つ掲載されていた。いずれも法曹実務家(裁判官・弁護士・元裁判官)の意見である。
上記の問題に関する弁護士の意見はあちらこちらで、述べられているが、裁判官の意見は珍しい。
否定的見解の中で、裁判官または元裁判官の意見は7つある。
以下紹介する。
(意見その1)
修習生を一気に増やした結果、資質や能力の面でびっくりするような人が法曹になっている。2回試験で多少はふるいにかけられているが、三回の受験のうちにほぼ例外なく合格しているから、現状では資質面で問題のある法曹が誕生することは不可避だ。就職難などにより法曹全体の魅力が低下すれば、法曹志願者の減少は避けられず、一層の質の低下を招くことになる。
(坂野のコメント)
私がいつも言っていることと全く同じことを、この裁判官の方は感じておられるようです。佐藤幸治氏や法科大学院協会のえら~い教授が何を言おうと、現場を知らない机上の空論に過ぎません。この裁判官が仰るとおり、現実の法曹の現場では恐るべき事態が進行しています。早くそれを止める必要があるのではないでしょうか。
弁護士も自由競争で良いという人もいるようです。しかし、果たしてお医者さんでも同じことがいえるのでしょうか。
実力が足りなくても、ヤブでも、なんでもみんな医者にしてしまえ、競争させればそのうち藪医者は廃業していくからかまわんだろう、と平気で言えるのでしょうか。藪医者が廃業に追い込まれるまでに、助かったはずの命がいくつ失われるのでしょうか。しかもその藪医者に真の医師としての実力がなくても、営業能力が高く、笑顔の素敵な人だったらどうでしょう。自由競争は儲けた者勝ちの世界です。お客を集めて仕事ができなければ、どんなに良い腕のお医者さんでも生き残れません。医師の能力だけで淘汰されるわけではないのです。
自分は弁護士にかかるような事態は考えられないから無責任に、弁護士も自由競争で良いと言ってしまっていないでしょうか。
(意見その2)
法科大学院は予備校化せざるを得ず、法曹養成制度には制度的に致命的な欠陥がある。文科省がそれを糊塗するために法科大学院を締め付ければ締め付けるほど制度として歪んでいく。決して良質の法曹は生まれない。法科大学院は司法試験に合格した人を法曹へ教育する場とするべきであり、早急に、法科大学院→司法試験ではなく、司法試験合格者→法科大学院というように順序を正すべきである。法科大学院の統廃合は社会資本を無駄にし、法曹への途をより狭くするだけで、良質の法曹を産むことにならない。
(坂野のコメント)
元裁判官の御意見です。
法科大学院制度の欠陥を見事に指摘し、小手先の改革で法科大学院を生き延びさせても、税金の無駄になるだけだと明確に主張されています。法科大学院側はどう反論するのでしょうか。いくら法科大学院制度の理念が素晴らしいと主張しても、その理念が実現出来ない制度なら無意味な制度です。
法科大学院で身に付ける知識以外の要素が法曹に必要不可欠な要素であると主張しても、それならどうして大手法律事務所が法科大学院卒ではない予備試験ルートの司法試験合格者を争って採用しようとしているのか、説明がつきません。法科大学院が教養や人間性などが法曹に必要だと大上段に振りかぶっても、それは大手法律事務所から見れば、法科大学院で身に付けられるような資質ではないと考えているか、もしくは実際の現場ではそれよりももっと大事なことがあると考えているかのいずれかではないでしょうか。
結局、実際の現場で意味がない(かもしれない)畳の上の水練を、大金を取って教えることが果たして本当に正しいのでしょうか。
(続く)