ロースクール授業参観記~その4

だって、レジュメ棒読みなら基本書を読んだ方が早いのだ。

会社法の定める制度を表面的に紹介するだけなら、高校生にだって、S弁護士にだって簡単にできてしまう。基本書を棒読みすれば良いだけだからだ。

基本書を教科書としたうえで、さらに講義に意味があるとすれば、基本書にさらっと平板に書いてあることを立体的に、分かりやすく、理解しやすく説明することではないのか。そのためには、何故その制度がおかれているのかという制度趣旨からはじまって、その制度の問題点、問題点の解決に至る過程、さらに未解決の問題があればその問題点がどうして未解決なのか、という点まで、分かりやすく説明がなされていなければならないように思う。

特に法科大学院がお題目のように主張する、「理論と実務の架橋」を目指すのであれば、少なくとも、その制度が具体的にはどのように実務で生かされ、どのような問題点が生じ、どうやってその解決を目指しているのかまで、判例などを題材にして説明しなければおかしい。
単に会社法に規定された制度を示して、こういう制度がある、という説明だけでは、何の理解も進まないだろうし、『「理論と実務の架橋」なんて、どの口が言った!』といわれてもしょうがないだろう。

残念ながら、この授業の講義部分には、その点が決定的に欠けているように思えた。

だが、理論と実務の架橋が崩れ去っているとしても、まだまだ決断を下すのは早い。なんと言っても、法科大学院の目玉はもう一つある。少人数双方向性授業だ。なんでもソクラテスメソッドとか言って、教員と生徒のやりとりで生徒の理解を深める方法らしい。S弁護士としては、ハーバード白熱教室のサンデル教授ばりに熱い議論がなされることを期待した。

以前、法科大学院の実務家教員の方に、ソクラテスメソッドの利点を聞いてみたところ、「生徒が眠ることを防止し、講義に緊張感を持たせるメリットがある」と聞いたことがあるが、S弁護士は信じなかった(ホントは信じたけど)。
そもそも、眠気防止なわけないだろ。だって、素晴らしい法科大学院の理念に沿った双方向性授業が単なる眠気防止の意味しかないなんて、多額の血税を法科大学院制度に投入させられている国民を、あまりにも馬鹿にしているじゃないか。

いかなる理由があっても、そんなことがあって良いはずがないのである。

ところが、なかなかその双方向性授業とやらは始まらない。延々と教員による会社法の制度の表面的解説が続いていく。

会社法353条(株式会社と取締役との間の訴えにおける会社の代表)の解説も、こういう場合は利益相反でまずいから、という説明しかなされない。何故利益相反なのか、利益相反だと何故まずいのか、という点について、具体的な説明が一切ないのだ。大学院生が理解しているので、説明を省いているのならそれはそれで構わない。もちろん膨大な会社法を1年で全範囲教えきるのは難しいはずだからだ。

大学院生達は、黙々とノートを取ったりしている。理解しているのかどうか分からない。353条の解説場面で、「利益相反だと、具体的にどのような不都合が出るのか」という質問が出ることもない。

この法科大学院は、2009年に不適合判定を食らったものの、その後3年は経過しているし、きちんと運営できているから、現在ではもちろん法科大学院としては適合しているはずだ。

ただし、適合不適合は、授業内容には及んでいないと聞いたことがある。
S弁護士から見れば、法科大学院はどれだけ優秀な法曹を生み出すかが至上命題だから、授業内容が優れていなければ全く意味がないと思うし、評価の対象として授業内容が含まれていないなどという馬鹿な話はないと思うのだが、現実はどうも違うらしい。

そのようなことを漠然と考えながら授業を参観していたところ、ようやく、教員が、学生に質問をし始めた。弁護士が授業参観していることもあってか、緊張気味の学生に、S弁護士は心の中で声をかける。

当たらなければ、どうということはない!

(続く)

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