総務省からも散々叩かれた法科大学院制度だが、日弁連の法科大学院関連の委員会が、法科大学院を維持・改善すればよくなる、といわんばかりの意見書を日弁連の意見として出したがっており、各弁護士会に、意見照会が来ている。
日弁連で、法曹人口政策会議が昨年、中間とりまとめとして司法試験合格者原因に言及するや、直ちに法科大学院関連の委員会が法科大学院堅持の意見書を日弁連の意見として提出させるという手段に出て、法曹人口政策会議の中間とりまとめの効果を減殺しようと画策したのとよく似た構図が再度実行に移されつつあるのだ。
私の聞くところによると、日弁連の法科大学院関連の委員会には、法科大学院と利害関係のある方々が多数在籍しており、法科大学院ありきの議論しかできない状況にあるようだ。
そりゃぁ、法科大学院を残したい方々の集合体なら、当然意見は法科大学院維持に偏る。しかし、そんな自分の利害関係ばっかり考えていて良い状況なんだろうか。昨年、法曹人口政策会議において、私を含めて守旧派ではない先生方の何人かは、法曹人口政策会議と、法科大学院・司法修習の委員会と合同で話し合うべきだと何度も提言した。反対する守旧派が多い中、意見交換会が開かれたことは、宇都宮会長の英断の一つであったと私は思っている。
そこで私が感じたのは、法科大学院関連の委員会の先生方は、法科大学院ありきの議論しかできておらず、問題点を出来るだけ矮小化してなんとか目つぶろうとしている姿だった。理念は間違っていないという話もあったように思うが、理念が正しくても、実際に弊害が出ているならその手段は正しくはないと言うことだと思う。
今回の提言案についても、宇都宮会長が法科大学院関連の委員会に諮問した事実はないようなので、法科大学院関連の委員会が、俺たちの意見を日弁連の意見として出せと、要求しているのが実態ではないだろうか。この提言案を、各単位会に意見照会したことは、広く意見を求めるという点で少なくとも前回の議論もなく提出された提言案に比べればマシである。
おそらく、これも宇都宮会長でない守旧派の会長であれば、理事会を素通しして、日弁連の意見です!として発表されていたかもしれない。
提言案を読んでみたが、やはり、法科大学院維持で凝り固まった方々は、変わってないないな、と半分あきらめの気持ちを抱かざるを得ない。
ただ、余りに、ひどい内容だったので、私も意見を提出させて頂いた。ごく短時間でまとめたので不備・不当の点もあるだろうが、以下に掲載させて頂く。
法科大学院制度の改善に関する具体的提言案に対する意見
大阪弁護士会会長 藪野恒明 殿
平成24年4月25日
大阪弁護士会会員 坂 野 真 一
第1 具体的提言案作成過程について
法科大学院制度の改善に関する具体的提言(案)(以下「本案」という。)については、まず、日弁連会長が諮問していないにもかかわらず、関連委員会が日弁連の提言案として提案しているものと聞いており、仮にそれが事実だとすれば、日弁連内の一部会がその部会の意見を、対外的に日弁連の意見として表明したいと主張しているにすぎないものではないかと思料される。
特に、法科大学院に関する部会は法科大学院関係者(いわゆる利害関係人)が多数所属しており、利害関係人が多数いるが故に、法科大学院制度に関する公正中立な議論がなされることなく、安易に法科大学院制度を是とする前提に拘った意見が散見されるように見受けられる。
少なくとも、現時点では、法科大学院は法曹養成制度の中心に据えられているのであるから、法科大学院制度を検討するに当たっても、法曹人口政策会議のようにひろく委員を募り、公平公正な立場で議論を戦わせるべき問題であるところ、法科大学院に関しては、そのような民主的手続が日弁連内に確立されておらず未だ、一部委員の意見が日弁連の意見として表明されようとしていることに、当職は大いなる危惧を抱くものである。
第2 提言の趣旨について
1 法科大学院制度について
本案は、法科大学院制度の改善策として①教育の質の向上のため入学者選抜を強化すること、②法科大学院の地域適正配置、③教育の質の向上のための施策、④法科大学院修了までの経済的負担の軽減、⑤情報開示、について、提言する。
①に関して言えば、より多くの法曹志望者を集めるためには、法曹の魅力を回復するしか手段はない。どんな名監督(名教授)であっても、草野球選手だけを集めて大リーグの球団と戦うことは不可能である。すなわち、多数の優秀な法曹志願者を集める必要があるところ、受験競争率や学生定員充足率などの数字あわせでは、優秀な人材を集めることには全くつながらない。無意味な改革である。なお、一部学者が、司法試験合格率を上げれば志願者は増加すると、なんの根拠もない主張をしているが、旧司法試験は合格率2%台でも志願者が増加していた事実をどう説明するのか聞いてみたいところである。旧司法試験が如何に苛酷でも志願者が増加していたのは、法曹という仕事に魅力があったからである。それが昨今の、無思慮な弁護士激増政策により、新人弁護士の就職難が明らかになり、法曹という仕事に魅力が失われたのである。優秀な人材を集めるためには、お金を積むか、名誉を与えるか、権力を与えるかくらいしかないところ、そのいずれも法曹という仕事に見出せないとなれば、どうして優秀な人材が法曹界を目指すだろうか。その事実をまず見据えるべきであり、法科大学院の小手先の改革で全てが改善されると考えるのは、全く現実を把握できていない者の主張であることにまず気付くべきである。
②についていえば、幾ら法科大学院を適正に配置したところで、旧司法試験に比較して法曹への途は著しく狭められていることにまず注目すべきである。旧司法試験では、働きながら、何度も受験しながら実力を貯えて合格することも可能だった。また、地域的な差別もなかった。たとえば当職は、和歌山県南部の太地町出身であるが、法科大学院に通学しようと思えば、仮に和歌山市に法科大学院が設置されていたとしても、そこまでJR特急列車で片道3時間はかかるため、絶対に通学できなかった。特に地元に就職していた場合は退職して下宿をしながら法科大学院に通わねば司法試験の受験すら出来ないことになる。しかし、旧司法試験では法科大学院卒業という無意味な受験制限がなかったので、受験することは出来たのだ。つまり法科大学院の適正配置と幾ら言ったところで、過疎地の受験生は実質的にはその適正配置により何ら受験の道が開かれるわけではない。却って旧司法試験よりも受験の途が閉ざされるのである。全ての法科大学院が、全ての法曹志願者に対応した受講設備を整えてくれるのであれば話は別だが、経営を優先する法科大学院は過疎地の法曹志願者を切り捨てて、そのような対応を行わない。幸い都会で就職し、会社が通学を許容してくれる場合、夜間の法科大学院が必須となるが、その夜間法科大学院ですら、数えるほどしかないではないか。これでは、多様な人材を法曹界に受容しようとする理念に、全く逆行する結果である。法科大学院制度が多様な人材が法曹界を目指すことを逆に制限している結果になっている事実を直視すべきである。
③に関していえば、これまで法科大学院協会は、教育や厳格な卒業認定について問題はないと言い張っていなかったか。民法において、不動産の即時取得を主張した司法修習生の存在や、各地の修習担当者から実力の低下が危惧されている話は、多数耳にするところである。司法試験の採点雑感も基礎的なことが出来ていないと毎年のように指摘され、その数は年々増加しているうえ、ついには、平成23年度新司法試験の採点雑感に関する意見において、民事系の採点者は、一応の水準でも合格させていることを明らかにし、合格しても優秀と勘違いせずにしっかり勉強するように、と釘を刺すにいたるという危機的状況にまで陥っている。法科大学院が看板通りに、きちんと素晴らしい教育行い、厳格な修了認定をしていれば、このような事態が起こるはずがないのであって、法科大学院教育に重大な問題があること自体は明白である。したがって、履修上限を緩和したり少し単位数を増やしたりするだけで、教育の質に関する問題が解決するはずはない。
④に関していえば、限られた国家財源をどのように配分するかの問題であって、そうであれば、合格するかどうか(修了できるかさえ)も全く分からない法科大学院生に経済的援助をするよりも、修習生の給費制を復活させて、司法試験に合格した者の経済的負担を軽減する方が優先事項であることは明白である。水田に一面にばらまかれた芽吹くかどうかも分からない籾にお金をかけるよりも、きちんと育ってきた若い苗にお金をかけた方が明らかに効率的である。法科大学院制度に費やす費用を給費制に回せば、給費制の財政的問題は大きく改善されるはずである。法科大学院制度は、結果的には、大学・学者の食い扶持のために、法曹志願者が食い物にされている制度であると言われても仕方がないであろう。
⑤に関していえば、法科大学院が税金を投入されて維持されている制度である以上、情報開示は当然であって、それを義務づけられることもなく推移してきた事態の方が異常である。当然のことを改善策として主張するのはみっともない。
2 司法試験制度について
本案は、短答式試験が法科大学院に悪影響を及ぼすとして、短答式試験の科目削減や出題を基礎的なものに限定させようと主張する。また論文式試験についてはじっくり考えて回答する内容にできるよう分量を減らすべきであると主張する。要するに司法試験を簡単にせよという主張であると見受けられる。
確かに、司法試験法1条4項には、司法試験は、法科大学院と司法修習との有機的関連の下に行うものとする、と規定されている。そうだとすると、法科大学院卒業レベルと司法試験合格レベルに大きな格差があるのであれば、有機的関連を強調して、司法試験を簡単にせよと主張することには一理ないではない。しかし、有機的関連を主張する前提として司法試験法1条1項には、司法試験は法曹になろうとする者に、必要な学識および応用能力を有するかどうかを判定することを目的とすると明記されている。つまり、いくら法科大学院を卒業しても、法曹実務家として必要な知識と応用能力が認められなければ、司法試験に合格させるわけにはいかないのだ。旧司法試験の短答式は難問だったといわれているが、実際に受験してみれば分かるが、聞かれていることは極めて基礎的な知識だった。旧司法試験の合格率が高くなかったことから直ちに難問奇問が出題されていたと主張することは誤っている。
前述したとおり、平成23年の司法試験採点雑感において、基礎的知識の不足がほぼ全ての科目で指摘され、民事系問題の採点者に至っては、「一応の水準」でも合格させていることを明らかにし、司法試験に合格したから優秀なんて思うな、と釘を刺している。つまり、本来合格させるべき水準ではないレベルですら、司法試験で合格してしまう状況まで合格レベルは下がっているのだ。法科大学院教育が大失敗に終わっていることは、その指摘だけからも分かる。こんな状況で、さらに司法試験を簡単にし、さらに合格しやすくした場合、法律家のレベルが一段と下がってしまう危険性があることは子供でも分かるだろう。
確かに、法科大学院の経営として、また学者のメンツとしては、自分のところで相当の費用を取って教育したのに、実務家として使い物になりませんと司法試験で判断されては困るだろう。しかし、実務家として使い物にならない法曹を生み出されては国民が困る。法科大学院は、導入当時は今まで以上に優秀な法曹を育ててみせる、と大見得を切ったのだから、むしろ、法科大学院側としては、司法試験はどんどん難しくしてもらっても大丈夫と言えなければおかしいだろう。法科大学院は優秀な法曹を生み出すための手段であったはずである。その手段を維持することが目的になっているのだとしたら、本末転倒も甚だしい。学者達(全員とは言いません)が、法科大学院維持に注力している姿を見ると、既得権益にすがろうとする浅ましい学者の姿が透けて見えてしようがない。
なお、司法試験の受験回数制限については、5年5回といわず、撤廃すべきである。それによって、じっくり実力をつけるタイプの人間が法曹界に参入することが可能になるからである。それによって合格率が仮に下がっても、法科大学院が素晴らしい実務家向けの教育を施し、厳格な修了認定を行っており、更に法科大学院協会がいうように経済界が法律家を欲しがっているのであれば、司法試験に合格しなくても、経済界が法科大学院修了者を放っておかないだろう。法科大学院の主張が本当に正しいのであれば、法科大学院卒業生は就職戦線において、引く手あまたでなければおかしいはずである。仮にそうでないとすれば、法科大学院の主張はどこかに嘘が混じっているということになる。
第3 提言の理由に関して
1 旧司法試験でも司法収集過程においてプロセスによる教育は実施されていたのであり、プロセスによる教育は法科大学院制度の専売特許ではない。
また、法科大学院制度によりこれまでよりも総体として多様なバックグラウンドを有する法曹が誕生したとの指摘があると述べるが、それは、当初の数年だけであり、現在は法学部出身者が多数を占めている現実を無視している。既に現時点では他学部出身者の数は旧司法試験時代と変わらないとの指摘もある。
さらに、調査能力が優れているとしても、アメリカのように判例法の国であるならいざ知らず、日本は成文法の国であるから、調査能力の前段階としてまず条文の知識が必須である。成文法に関する能力が高まっているのであれば、法科大学院にも存在理由はないではないが、単に調査能力の向上というだけでは何らの意味も見出しがたい。特にインターネットが急速に普及している現状では、旧司法試験合格者でも今の時代では優れた調査能力を発揮している可能性もある。
2 その他、本案は法科大学院制度に関して改善策を縷々述べているが、そのような改善策で改善できる問題であれば、とっくの昔に解決が出来ているはずである。
すなわち、法科大学院制度は、理念こそ素晴らしかったが、法制度がまるで違う米国型法科大学院をなんの批判もなく受容したこと、法科大学院卒業を司法試験受験資格としたこと等から、法曹志願者や法曹の質に極めて大きな悪影響を及ぼし続けている存在であって、もはや法曹養成において望ましい存在とはいえないことが明白である。
総務省の提言にも問題が指摘されている法科大学院制度は、思い切って廃止し、旧司法試験制度に戻すことが最善の策と考えられる。
第4 結論
以上より、当職は、本案は、問題の大きすぎる法科大学院制度の堅持をその根底に置き、法科大学院制度の問題点を到底克服できそうにない小手先の改善策を縷々述べているだけなのであって、このような提言を日弁連が行う意味は全くないと考える。
以上