少年事件

 少年事件を担当して思うのは、子供というか少年は、まだまだ人間というより人間途上という感じで、人になる過程のように思われるということ、そして、その少年と向き合うことは常に簡単ではない、ということだ。

 少年が何をどう考えているのか、頭の中を覘いてみることが出来ればどんなに楽か。どれほど話がしやすいか、少年と面会したあとにいつも思う。

 いつも少年と向き合ってお互いに話をしながら、どうすればこの子が間違いに気付いてくれるのか、どうすればこんな事件を起こしたときの君は情けなくどうしようもない奴だった、と心の底から思えるようになるのか、弁護士側も自問自答の繰り返しだ。

 頭の良い子は、こちらの意図を見抜いて、こちらの希望するような反省の言葉をクチにしたりもする。少年だって必死なんだから、それは仕方のないところでもある。だがそれに騙されていては、反省につながらない。

 悪いことをしてみんなに迷惑を掛けた、こんなひどい目にあった、だからもうやらない。一見、これは反省の言葉だ。

 しかし、みんなに迷惑を掛けないならやるのか、こんなひどい目に遭わないのならやるのか。心を鬼にして、少年に問いかける必要がある場合もある。

 おそらく子育てと同じように、少年事件の付添人活動については、きっと正解はないのだろう。だがその中で、可能な限り正解に近い道をたどれないか、今、自分が少年とたどろうとしているこの道で正しいのか、付添人としての悩みは尽きない。

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