ポンデザールの鍵のやま

 昨年末、久しぶりにパリに行く機会があった。曇って陰鬱なパリの空の下、ポン・デ・ザールを渡ってみた。フェンスに違和感を感じたので、見ていると、橋のフェンスに鍵がたくさん取り付けられている。鍵をつけても全く意味がないので、一瞬不思議に思った。

 よく鍵を見てみると、鍵に男女の名前が書いてある。縁切りを願って鍵を一緒にかけるはずもないだろうから、どうやら若いカップルがお互いを結びつける意味で(願いを込めて?)鍵をかけているようだ。フランス語・英語・日本語・中国語など様々な国の文字が、ひっかき傷で書かれたり、油性マジックなどで鍵に書き込まれている。

 イタリアのヴェローナ市にあるジュリエットの像の胸に触ると恋が成就するという言い伝えみたいなものだろう(おかげでジュリエット像の胸の部分だけいつもぴかぴかしているそうだ。)。ポンデザールを舞台にした恋愛小説・映画があったかどうかは、寡聞にして知らないが、おそらく初めは、何かの小説か映画でそのようなシーンがあったか、どこかの雑誌かサイトか何かがおまじないとして広めたものではないかと思う。

 おそらく、数年のうちに、そのうち半数以上のカップルは鍵をかけたことを後悔するか、忘れてしまうのだろう。初恋の人とゴールインして、ずっと幸せに暮らした人の数はごくわずかなのだ。だからこそ、数あるデートスポットの中には恋が成就する名所以上に、「別れの名所」は数多く存在するのである。

 この橋でも、鍵をかけて良かったという結論にまで到着するカップルは、経験上間違いなくごく少数だろう。しかし、憧れのパリまで一緒にやってきた若いカップルの考えることはそんな先のことではない。

 私も経験があるので分かるが、若いということは、ある意味、後先考えずに今を生きているということでもあるから仕方がないかもしれない。明らかに、鍵を取り付けるつもりで作ってきた、カップル名が彫り込まれた鍵まであった。

 若いカップル達の、今を生きているその証をいくつも眺めながら、「気持ちは分かる。大抵ダメになっちゃうけど、頑張れよ。」という気持ちと同時に、「こんなに景観を台無しにすることをしやがって・・・。」という気持ちが湧いた。

 それは、私に分別がついたということだけではなく、失うまで気付かない若さという宝物を、彼らが今まさに持っている、ということに対する無意識な嫉妬が混じっているからかもしれない。

 鍵の山を見て、そんなどうしようもないことを考えながら、寒々しい装いを見せるパリとセーヌ川に負けて心まで冷たくならぬよう、せめてコートのポケットに手を突っ込み、そのときの私は、ポンデザールを足早に渡っていたのだった。

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