ある事件の顛末~4

 具体的な弁護内容は分からない。

 また、Aさんの記憶が完全に正しいとも限らない。

 私の推測と違って、実は国選の弁護士は起訴を回避するために示談に向けて必死に活動していたのかもしれない。

 しかし、仮にAさんの記憶が正しいとするなら、国選の弁護士は、刑訴法237条1項を知らなかったか、勘違いしていた可能性が高い。告訴は公訴提起までに限り取り消せるのであり、起訴後は告訴の取り消しはできないのだ。だから、起訴後に示談しても被害者が告訴の取り消しができない以上、一度起訴されてしまった事件がさかのぼって取り消されるはずもない。大げさに言えば、起訴されてしまってからでは、(情状面では示談の意味があるが)全てが遅すぎるのだ。

 また、気になるのは、示談に動くよりもAさんへの接見(面会)を優先させていた国選の弁護士の行動だ。

国選弁護の報酬を考えれば少しは理解できる。起訴されるまでの被疑者国選の段階では、上限はあるものの接見を重ねるごとに国選報酬が少しずつ上乗せされるのだ。弁護士の激増により、ボスから給与をもらうイソ弁の待遇は急激に悪くなっている。事務所経費がかからないイソ弁からすれば、少し時間を掛けても手取りが増える方が良いという人もいるだろう。Aさんも、留置場で同室の被疑者から意味もなく接見に来る弁護士が最近増えていると聞いたそうだ。

確かに、起訴翌日に保釈を申請し保釈させた行動は迅速ともいえるが、これも、国選弁護での報酬上乗せ要素だ。保釈の準備をするくらいならどうして被害者と示談して告訴の取り消しをさせなかったのだろうか。

 また、あれだけAさんのことを心配していたAさんの奥さんは、どうして離婚を言い出したのだろうか。私がそのことに触れると、Aさんは、「何より犯罪をしてしまった私が悪いのですが、執行猶予がついたとしても有罪判決ですから社会的には犯罪者であることは間違いありません。子供にその重荷を負わせることは妻にはできなかったようなのです。」といって俯いた。

私は、本当に残念だった。私が無理矢理にでも私選に変更させ、最もうまく進んだとすれば、示談→告訴取り消し→事件終了で、Aさんの家庭が破壊されることもなかったかもしれない。しかし、その当時Aさん家族は、Aさんが国選の弁護士に抱いていた「良く動いてくれる弁護士」という印象を信じ、国選の弁護士がきちんと弁護してくれていると信じて、別の選択肢を選ばなかったのだ。

 この案件は、フィクションとしておく。しかし、限りなく事実に近いフィクションだ。

 決して完全なフィクションではない。

 現実に起こりうる問題だ。

 この案件から分かることは、弁護士がきちんとした知識と実力を備えていないと、一般の方に大きな不利益を与える危険性が高いということだ。そして、残念なことに、一般の方には弁護士の仕事の内容・質は、なかなか分からない、ということだ。

その結果、完全に自由競争させた場合、基本方針を完全に誤っていた弁護士であっても、顧客の目に見えるところだけ一生懸命にやっていれば、その弁護士の問題を見抜けず結果的に国民の皆様が損をする危険があるということだ。

 全ての弁護士が知識不足というわけではなく、勉強熱心な弁護士の方が圧倒的に多いと私は思っている。しかし、新司法試験の採点雑感を見る限り、基礎的な知識不足が年々悪化しているように指摘されており、大きな問題が起きる危険は毎年増大しつつあるように思われる。それでも、ほとんどの国民の皆様には弁護士の質など分からない。

 そのような状況下で、自由競争させる弁護士制度が、真に望ましいものなのだろうか??

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