今日(2010.9.12)の朝日新聞に、「司法試験~改革の原点をふまえた論議を」と書かれた社説が掲載されていたのを、お昼を食べに行ったお店で読んだ。
「3000人を墨守する必要はない」ということなので、以前の社説に比べれば随分トーンダウンしてきたようにも思われる。
確か私の記憶では、僅か2年半ほど前の社説(2008.2.17)では、随分違うトーンで社説を書いていたはずだ。そのときの題名を、社説氏は覚えておられるだろうか。
題して、
「弁護士増員~抵抗するのは身勝手だ」
かなり偏った社説だったので私もブログで若干反論させて頂いているはずだ。現実はどうなってきたか、もう一度社説氏には現状を見据えてもらいたい。
新司法試験合格者について、政府目標があったとしてもそれを実現できていないというのは、どれだけ司法試験委員会が受験生を合格させようとしても、そのレベルに達した人間がいなかったということだ。近年の新司法試験採点雑感を見ても、こんな実力で実務家になってしまうのはいかがなものか、という趣旨の批判がなされている。
つまり、法科大学院には、(随分甘く見てもだが)せいぜい年間2000名程度しか、実務家としての最低限の基礎を有する卒業生を送り出す能力がない、ということに他ならない。
その点を社説が批判すれば、まあそうかなと思うのだが、社説氏はそこには明確に触れず、軌道修正が必要とごまかし、法曹人口が多すぎるという主張の批判に話をすり替えていく。
『だが、弁護士の飽和状態を憂う声が上がる一方で、「弁護士が見えない」と嘆く市民は少なくない。このギャップの原因を解き明かす必要がある。』と社説氏は述べる。
まず、「弁護士が見えない」と嘆く市民は少なくない、と社説氏は断言する以上、そのような市民の方を、現実に多数知っているのだろう。
じゃあその市民の方に、弁護士会の電話番号を教えてあげてくれれば良いではないか。そうでなくても、こんな市民の方が弁護士に依頼したいと思っていますよと、その市民の方々の同意をもらって、連絡先を弁護士会に通知してくれればいい(市民の方としても弁護士に依頼したいんだろうからきっと同意するはずだ)。
ギャップの原因なんか解き明かさなくても、それだけで、社説氏の言う市民の方々には、すぐに弁護士が見えるようになるはずだ。それくらいやってもいいだろう。ファックスひとつで済むかもしれない問題だ。
しかし、これまで散々弁護士について論じながら、朝日新聞(その他のマスコミも)どうしてそれをやらないんだ。まさか、市民の声とかいいながら、勝手に自分の(事実に基づかない)認識を、「市民の声」にすり替えて社説に書いているわけではないはずだろう。
更に言えば、朝日新聞は、そのギャップを憂いているんだから、何とかしたいと思っているんだから、毎日無料で弁護士会の連絡先、弁護士の出来る仕事などを全国版に一面で広告してくれたっていいんじゃないのか。あっという間に、市民の方々に弁護士へのアクセスルートが明確になるだろう。
次に、社説氏は、法テラス勤務弁護士の次のような言葉を引用する。どうもこのような弁護士になれと言いたいらしい。
『その一人が語った「私たちは、そこそこ小金を持ち、知恵がある人を市民と言ってきただけで、本当に法的ニーズがある人々を見ていなかったのではないか」という言葉は重く響く。』
これをパロディにさせてもらうとこうなるかもしれない。「私たち(新聞社)は、新聞を購入する余裕があり、テレビ欄以外も目を通す人を読者と言ってきただけで、(新聞を購読する余裕が全くなくても)本当に新聞を読みたい人々、テレビ欄だけでも読みたい人、無料(若しくは一部10円で)で新聞を読みたい人を見ていなかったのではないか。」
私は、このブログで繰り返し言ってきたが、「弁護士も職業である以上、生活を維持する手段でもあるのだから、原則としてペイする仕事が中心にならざるを得ないし、それを非難されるいわれはない。しかしそれは経済的に弁護士に依頼出来ない人を切り捨てろと言っているのではなく、そのような人々も弁護士に依頼できるよう、国民の理解の下で財政的措置を講じるべきである、」ということなのだ。
誤解を恐れずに言えば、法テラス勤務弁護士は、仕事がどんなにペイしなくても、(決して高給ではないと聞いている)給料をもらって生活が安定しているから、理想に近いことが実践しやすいし、言いやすいのだ。
もちろんこれまでの弁護士も、何とか生活が安定していた間は、弁護士会費の納入を通じて、また自ら手弁当で、そのような仕事を出来る限り行ってきた人が多くいる。法律扶助の拡充も求めてきた。
しかし、弁護士人口の増大は実現したが、司法予算の飛躍的増大も、法律扶助制度の飛躍的拡充も出来ていないのだ。そればかりか、弁護士人口の急増により、弁護士自体も生活のために競争を余儀なくされる事態を招きつつある。
自由競争は、いい仕事をするものが必ずしも生き残るとは限らない。結果的に儲けることが出来たものが生き残るものだ。このような自由競争を弁護士業に持ち込むことは、弁護士にとってはいかに競争に勝つかと言うことだが、結局どれだけ手間を掛けずに利益を上げられるかに帰着する。いきおい、業務のビジネス化はさけられない。そうなると、社説氏の引用する法テラス弁護士のような、弁護士像とかけ離れていくことはやむを得ない。
つまり、朝日新聞は、これまでの社説のように一方では、自由競争で「儲けた者勝ち」の弁護士業界にしろと言いつつ、もう一方で、(生活が安定していなければ到底出来ない)ペイしない仕事をやれと弁護士に無理難題を言っているのだ。
社説氏は更に続ける。『活動領域を法律事務所や法廷の外に広げ、市民や企業・団体の中に飛び込んでこそ見えてくる需要がまだあるはずだ。気になるのは、経済界や労働界、消費者団体など司法制度改革を唱えてきた人々の声が最近あまり聞こえてこないことだ。』
これは、ニーズがないことの裏返しではないのだろうか。
経済界・労働界、消費者団体など、結局弁護士をほとんど採用していないはずだ。一時の熱病のように弁護士不足を叫んでみたものの、実際弁護士が増えてみれば、よく考えてみたら弁護士がいなくても法務部があるよね、といったところだったのだろう。
それに、朝日新聞だって弁護士不足をあれだけ叫んでいたのだから、経済界・労働界・消費者団体のせいにするのは狡いだろう。あれだけ弁護士不足を喧伝し、この社説で弁護士は企業に飛び込めと高らかにいう朝日新聞が、いったい、どれだけの社内弁護士を雇用しているのだろうか。
日本企業内弁護士協会の資料によると、2009年後期の資料で、企業内弁護士の数は412名、そのトップ20位に朝日新聞は載っていないから、おそらく3人以下の弁護士しか採用していないのだろう。当然ニーズがあれば採用しているだろうから、朝日新聞の姿勢自体、企業に(少なくとも朝日新聞に)弁護士のニーズがないことの裏返しではないか。それでいながら企業に飛び込めとはどういうことだ。
ちなみに、2001年の企業内弁護士数は64名だそうだ。2001年から2009年後期まで、弁護士数は1万人程度増えている。弁護士を1万人増やして企業の採用数増加は350名弱なんだから、当初の企業のニーズ予想は大外れも良いところだというべきだろう。どこのパン屋が350名のために1万人分のパンを焼く必要があるのだ。
その大ハズレのニーズ予測に基づいたのが、司法制度改革だったのだ。
だから、今回の司法制度改革の原点に戻っても、間違った予測に基づいた改革なので意味がないように思う。
若干眠いため、散漫な文章になっていると思います。
申し訳ありません。