映画「ザ・コーヴ」について

 映画、ザ・コーブを上映中止にする映画館が出たとの報道は知っていたが、それに関して、日弁連会長が会長声明を出していることは知らなかった。

 確かに表現の自由は大切だ。表現の自由がない世界では、民主主義すら窒息する危険がある。だから日弁連会長の会長声明も分からないではない。

 しかし、まだ観ていない私が断言するのもなんだが、盗撮を行ったことからもわかるように、ザ・コーヴは明らかに片寄った意図で作成された映画である。おそらく、太地町の漁業に携わる人達の生活や、太地町がクジラ類の慰霊碑を建てて、人間が生きていくために命を頂いたことを感謝しその霊を慰めようとしていることなど、全く触れられていないのだろう。

 私自身、太地町の出身であり、小さい頃、父親と漁船に乗ってゴンドウクジラの追い込み漁に参加させてもらったことがある。イルカやクジラを、魚市場で解体しているところを小学校の頃、帰り道で何度も見たこともある。当然海にも血が流れており、子供心に、かわいそうだと思った記憶もある。

 だが、漁師さんたちが真剣にイルカやクジラを解体しており、どこも無駄にしないように非常に気を遣っていたことだけは、子供でも分かった。それだけ、漁師さんたちは真面目に、人が生きるために頂いた命と向き合っていたのだった。

 ふざけ半分か妙な使命感か知らないが、映画スタッフが変装して太地町にやってきたり、半分スリルを求めるように盗撮カメラを設置する行為とは、間違いなく次元が違う真剣さで漁師さんたちは働いていた。かつて、太地町には、かつて古式捕鯨時代に、鯨を捕獲中大暴風に遭遇し、漁に参加していた漁師たちがほぼ全滅するという、極めて悲惨な事故もあった。それでも生きる糧を得るために、危険を乗り越え、太地の男たちは捕鯨を続けてきたのだ。

 私が仮に映画館の主人なら、腹は立つが、多分ザ・コーブは上映すると思う。但し、ザ・コーブを見てもらったあと、ザ・コーブの監督やスタッフが、牛肉やチキンをバクバク食っているシーンを流し、その後に、「いのちの食べ方」という映画を流してやりたい。当然途中での退席は禁止だ。

 人が生きていくためには、どうしても他の生き物のいのちを頂かなければならない事実を再認識してもらい、ザ・コーヴが如何に片面的なとらえ方をしているかについて、良く考えてもらいたいからだ。

 ザ・コーブが公開され、私がそれを観て考えが変われば、この映画について、また書きたいと思う。ただし、オフィシャルサイトの監督の話から想像するに、99.9%私の考えが変わることはないと思うが。

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